A2
その時だった。
満開の瑞々しい朱色の花弁からおびただしい量の液体が噴出した。
「「「「ぴぽppppppppppppppp」」」」
「え」
一輪の花弁だけではなかった。
周囲の花弁全てから液体がふきだした。
規則的だが、やけに耳に残るような不愉快な爆音が何もないこの地に木霊する。
その色味は花弁の色彩に対応しているようで、特に目の前の花は鮮やかな朱色で草原を塗り替えていた。
「なになになになに、こわいこわい」
内心では結構焦っているつもりでも口からは気の抜けたような言葉しか出てこない。なぜだかわからないけど、僕は大丈夫と思っていたのかもしれない。
高校に受験したときの気分のようだった。
突然受験する高校を選べとか、自分のやりたいことは何とか
そんな中でも程ほどにやってればなんとかなるみたいな
そういう大丈夫を今この時も抱えていた。
目の前の花は自分の出した液体をすごい勢いで根や茎から吸い上げているようだ。そのせいか地面に付着した液体はどんどんと花へと帰っていく。
それは液体にかかった自分も例外ではなかった。
「あああああああ!!!痛い痛い痛い痛い!!!」
液体がかかった部分が焼けるように痛い。
特に大量にかぶったのは頭だった。
歯医者のドリルを毛穴の1つ1つに突き刺しているかのような形容しがたい鋭い痛みが頭皮に襲い掛かる。
「なんだこれなんだこれえええ!!なんだよおおお!!!!!」
まともに考えてる余裕もない。
頭髪の液体をぬぐおうにもまるでゼリーのように凝固し始め、手や顔も同じような痛みを伴っている。
「んうんんんんんんんんんんぬう!!んんん!!」
涙が止まらない。
狂ったように頭を上下に大きく振り、歯を噛みしめていることしかできない。
絶対に座り込んではダメだ。
それだけはわかる。
足元にも液体は付着しており、この痛みが全身に及ぶことだけはどうしても阻止する必要がある。
でもどうしたらいい!!
何もできない!!死にたくない!死ぬのか!なんなんだよこれは!!!!
わからないわからないわからないわからないわからない
考えろ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいや痛い痛いいいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや
気づいたら走り出していた。
さっきまで歩いてきた道を、後ろには目もくれず駆けていく。
視界がぼやけてまるで正確な情報を得られない。
爽やかな緑色に赤、紫、ピンクの色彩を織り交ぜた水彩画のような美しい視界だった。
「ハア!ㇶュー ハア!ㇶュー ハアハア!!ゲホ!うっおえ」
肺が痛い。息苦しいからだけではない。
もしかしてさっきの液体を飲んでしまったのか……?
「ヒッ!ヒッ!!ハア!フㇶッ!」
パニックだ。
一巻の終わりだ。
あの液を飲んでしまった事実が焦燥感をさらに搔き立ててしまった。
喉を抑えて立ち止まる。
気管が痛い
肺が痛い
頭が痛い
顔も目も手も足も痛い
いたいたいたいたいたいたいたいたいたいたい
もう何が痛くて痛くないのかわからない。
先ほどまでガクガクと音を出して震えていた足が止まった。
漏らしたのだろう色の濃くなった下腹部がやけに鮮明にうつった
ああ。
限界か(終わったのか)。
そっとゼリー状のものを顔の上部から拭うと、少し明瞭な視界が帰ってきた。
先ほどまで何もなかった草原はもうその殆どが緑色を失っていた。
幼稚園児がその絵の具を単色でキャンバスに押し付けたかのような、濃くて重い色づかいだった。
そして花々が僕の来た道からも咲き狂っていた。
ああ。
帰る場所ないや。
「hあhあhhh」
笑ったつもりが残りかすの空気が漏れ出ただけだった。
どちゃ
色を変えた鮮やかな絨毯に顔から倒れこむ。
横には鳥のような生き物が同じように体を覆われて動かなくなっていた。
なるほどなあ
これは生き物が見当たらないわけだよ
ずるずる
鳥はあっという間に近くの花へと消えていった。
僕は重いのだろう
ゆっくりと最初に見た朱色へと引きずられていく。
ずるずる
あとどれくらいなのだろう
花に吸い込まれた後はどうなるんだろう
ずるずる
ずるずる
思考がクリアになっていく
驚いたことに体の痛みは花に近づいていくほどに引いていく。
その代わり液に覆われた箇所は指一本も動かない。
ずるずる
花に近づきたい
早く痛みから解放されたい
ずるずる
嬉しい
変な夢だった
そうだ僕は高校生だった
何か部活に入ってたんだっけ
思い出せないなあ
ずる
もう痛みは何も感じない
僕の5倍はあろうかという茎が見えた
茎がカパアァと音を立ててゆっくりと開いた
粘液が糸を引いている
中は真っ暗だ
気づいたら僕は直立して茎に向かって歩かされていた
それとも僕が自分から歩き出したのか
茎が目の前でさらにその口を大きく開く
ああ
死にたくない