聞こえ……て……い、ますか……~眠り姫と守護魔法使い~
――き……こ、え……すか……きこ、え……ますか……聞こえて……いますか……!
マリアルーシェは懸命に心の声を張り上げていた。
というのも。
「オルド公爵令嬢ティシエンヌ!
そなたの役目はこの私の妻になることのはず。
それなのにやれ帝王学、経済学と小賢しい。
私の心を安らげる努力を怠るそなたを王太子妃にする気持ちも失せた。
そなたとの婚約を破棄し、この眠り姫を妻にする……!」
マリアルーシェの入った棺が安置されている大広間で繰り広げられている痴話喧嘩――じゃなくて婚約破棄騒動。
マリアルーシェの従兄弟の孫である王太子ジュノワが、筆頭公爵オルド公の長女を振るという事態なのだが、魔力を広げたマリアルーシェは、ティシエンヌと呼ばれた令嬢からブワッと立ち上る怒気を察知して悲鳴を上げた――心の中で。
――聞こえていますか! 私は今、あなたの心に向かって直接声を届けています……!
誰かこの思念に気づいてほしい、その一心でマリアルーシェは思念波を飛ばした。
呪いの眠りに落ちてから五十年。
体は眠りに侵されつつも、心は自由にその辺を浮遊して、王宮恋愛遊戯を嗜んでいたマリアルーシェである。
魔力を使って周りを探るのはお手の物だった。
「……殿下。
実年齢六十八歳のマリアルーシェ様とご結婚なさるとは、正気ですか」
――っっっそんな年じゃないもん!
マリアルーシェは叫んだ。
うら若き十八で誰とも知れぬ相手から呪われ、それ以来体は時を止めて眠り続けている。
であるからには十八歳である。
蕾の季節や花満開の季節をすっ飛ばして枯れ木の年齢だなんて認めない。絶対にだ。
「ティシエンヌ、そなたこの艶やかな美貌を見てもそんな戯言を申せるのか。
見よ、この優しい顔を。
私が疲れた時には膝枕をして子守歌を歌ってくれるであろうし、この柔らかい手で髪を梳いてくれるだろう。
私の気に入りの菓子を作ってくれもするであろうな……」
――……それはお母様のお仕事では……?
思わず思念波で突っ込んでしまったマリアルーシェだが、気を取り直して救出信号を送り続けることにした。
――聞こえていますか? 私はこの婚約破棄に反対しています!
何度も何度も、同じ思念波を飛ばす。
魔法の心得がある者ならば、気づいてくれるはず。
それは確かに昏睡者が飛ばす思念波である。
薄く微かではあるだろうが、そんな繊細な波動だって感知してくれる誰かがいるってマリアルーシェ、信じてる。
「――っち、この甘やかされくさった小僧が……」
広げた魔力の感知網に、そんなやさぐれた呟きを拾ったが、きっと気のせいだ。
筆頭公爵の長女ともあろうお方がそんな、真実を的確に突いた言葉を発するわけないよね……。
常日頃、舞踏会の音楽に紛れる囁き声でさえ感知する、超高機能音声感知魔力式が暴走しただけだよね……。
「恐れながら殿下。
我が娘との婚約を破棄なさるとのお言葉はひとまず置いておきましょう。
ですが眠り姫であるマリアルーシェ様を娶りたいとの思し召しであっても、当の殿下が眠り続けたままでは婚姻は不成立なのではありますまいか」
怒りに似た殺気をまき散らす娘を慮ったのか、公爵自らが進み出て王太子にそう言上する声が聞こえた。
確かに。
っていうか、マリアルーシェはこんな王太子と結婚などしたくはないのだ。
相手の意志を確認しない結婚、駄目、絶対。
「それに殿下、そのマリアルーシェ様は殿下の祖父でいらっしゃる先王陛下の従姉妹君であらせられます。
しかも本来ならばこの王国を継がれる直系でいらした、唯一の姫君。
その姫君との婚姻は、王族法に照らし合わせなければ合法かどうかなど……」
公爵とは別の男性がそう主張した。
この魔力の気配は、先日の舞踏会で妻を寝取らせ遊戯していた侯爵のものではなかろうか。
あの修羅場は凄かった。
寝取ったと思っていたのに寝取らされていたと知った相手の男は激昂し、夫人は高らかに笑い、侯爵はその後熱い夜を庭園で夫人と過ごしていた。
未成年にはちょっと刺激が強すぎた。
「法学者から問題はないと回答を得ている」
王太子の側にいる、王太子とは別の男性からそのような返答があった。
この気配はもしや、内務大臣(♂)と懇ろな仲にある法務書記官(♂)のものではなかろうか。
この前控え室で『ボクと奥様、どっちが大事なんですかっ』と迫り、どっちも大事だと答えられて号泣していたアレだと思うのだが。
「法的に問題はなくとも、目覚めぬ王太子妃など役目を果たされぬようでは困ります。
……まさか睡眠中の女性に無体を働かれる殿下ではございますまい?」
寝取らせ遊戯好き侯爵の言葉に、王太子は沈黙で答えた。
「…………」
――……衛兵! 今すぐ王太子を捕まえてください!
王太子の不穏な沈黙にざわついた会場だが、書記官(♂)が声を張り上げたことにより、落ち着きを取り戻した。
「お静まりください!
そもそもマリアルーシェ様にかけられた呪いは、術者の命が消えるまで、殿下の眠りを維持させるという内容でした。
つまり、加害者を処刑すればマリアルーシェ様も目を覚まされるということです」
「そんなことは以前から分かっていたことだろう。
これまで、犯人が分からなかった。だから殿下は眠られたままだったのだ」
寝取らせ侯爵が鼻を鳴らした。
一方の書記官(♂)は誇らしげな声を上げた。
「そうです、ついに犯人が判明したのです!」
書記官(♂)の声に被せるようにして、王太子が高らかに命じた。
「犯人をこれへ!」
五十年分からなかった犯人判明の瞬間を察知して、マリアルーシェも心の中で目を見開いた。つまりは、心眼である。
「――っま、まさかっ!?」
「そんな!?」
会場のあちこちで上がる悲鳴。
そもそもなんでこんな舞踏会会場にマリアルーシェがいるかというと。
各国の賓客に、名高い『眠り姫』を見せるために晒されている――いや、安置されているのだ。
「で、殿下……そ、その方は……っ!」
怯えた声でどもる寝取らせ侯爵。
魔力感知のみのマリアルーシェにも、その懐かしい魔力は察知できた。
だが彼が犯人と思わなかったのは、彼が犯人を引き連れて来た側だと思ったからだ。
「そうだ。我が国を守護する魔法使い、ガガルールド(永遠の二十五歳)である!」
「ま、まさかガガルールド(永遠の二十五歳)殿がっ!?」
「不老不死とも呼ばれる永遠の二十五歳が犯罪!?」
「合法美青年(中身老人)が犯罪を!?」
会場中が阿鼻叫喚となる。
そして当のマリアルーシェも驚いていた。
どうして、彼が。
――……ガガ様……?
そっと思念波を飛ばす。
――マリアルーシェ……!? 目覚めていたのか!?
即座に思念波が返ってきた。
誰にも聞き取ってもらえなかった声を拾い上げてもらい、マリアルーシェの心が喜びに満ちる。
まぁ犯人らしいのだけれども。
――ガガ様、どうしてわたくしに呪いを? それほどわたくしを憎くお思いでしたの?
マリアルーシェは沈みながら問うた。
白銀の髪、黄金の瞳を持つガガルールドは、王国が誇る魔法使いだった。
全ての叡智を極めた彼は、年を取る術さえ失ったという。
マリアルーシェの憧れであり、初恋だった人だ。
――違う! ……違う。逆だ。君の縁談を知り、どうしても許せずに……。
ガガルールドの言葉を聞いて、マリアルーシェはソワソワと思念波を揺らした。
だってまるで、ガガルールドがマリアルーシェに特別な思いを抱いているようではないか。
――で、ではわたくしを助けてくださいませ。わたくし、あんな方と結婚なんて嫌ですわ。
あんな甘ったれた王太子は慎んで公爵令嬢に進呈したい。
好きでもない男性に膝枕をして子守歌を歌わされるのは絶対に嫌だ。
――マリア……だが、私が死ねば君は自由になれる。……私から。
マリアルーシェはさらに思念波をゆらゆらと揺らした。
別にそんな病的な愛情表現が好きとかではない。
できればごく真っ当な恋愛が望ましい。
だが、初恋で憧れだった人からそこそこ重そうな愛情を向けられるのは、正直言って悪くない。
――べ、別に許してさし上げたわけではありませんわ。でも、今のわたくしを助けられるのは、ガガ様だけですもの。
強がってそう思念を送れば、ガガルールドの思念波が嬉しげに跳ねた。
――あなたを助けてもいいのか。あぁ、私がどれほど喜んでいるか……私のマリア。
思念波なのにどこか艶やかにさえ感じる言葉の後に、会場で大きな悲鳴が上がった。
「な、なんだと!? 魔法封じが効かない、だと!?」
王太子の驚愕に、笑いを含んだガガルールドの声が響いた。
「誰が開発したと思っているのだね。
さぁ、私の姫を返してもらおう」
ゴウ、と吹いた風が棺の透明な蓋を飛ばし、マリアルーシェの体を浮かばせてガガルールドの元へと運んだ。
額に魔力の熱を感じて、瞼が震えた。
五十年ぶりの、震え。
「……マリア」
うっすら開いた目に、会場の光は強すぎる。
零れた涙にそれを悟ったのか、ガガルールドは会場中の明かりを強風で消して、ドゴォォォォォン! と天井を破壊した。
清らかな月明かりが降ってくる。
「……ガガさ、ま……」
月に照らされた白銀の髪が、硬質に輝いている。
「ごめん、マリア」
冴え渡る美貌が心から申し訳なさげに言うが、マリアルーシェはふい、とそっぽを向いた。
「許しません、わ」
こんな呪いをかけなくても……そう思って、マリアルーシェはため息をついた。
きっと無理だった。
女王としてこの王国を治めるために、最適の結婚をするしかなかった。
そしていつか老いて、彼をこの国に縛りつけたまま息絶えるしか。
「うん、ごめん。離せなくて」
マリアルーシェは苦笑した。
そういう所が、ずるい。
「――私の妻を離せっ!」
吹き飛んだ天井の砂埃を浴びたであろう王太子が、近衛騎士に守られながら叫んだ。
その姿を見て、マリアルーシェはクスリと笑った。
従兄弟によく似ている。
そして欠片もときめかない。
「さようなら」
ガガルールドの腕に抱かれたままそう言うと、魔法使いは大切そうに眠り姫を抱きしめてから姿を消した。
守護魔法使いを失い、子守に等しい王太子の世話を一身に任された公爵令嬢に、心から詫びながら。
ティシエンヌちゃん頑張って☆