後編
「君、本当にマサヒコくんの恋人かい?」
小林は口を開けたまま固まっている、図星をつかれたかのように。
「君の願いは嘘の匂いがプンプンするんだ。それに一人暮らしなら泊なんかもしやすいだろう、だったら彼氏の持ち物がないのはおかしい。」
「それは人それぞれじゃない」
「確かに、でも、思い出の品が一つもないのはおかしいな。その代わりこんなものも見つけたよ。」
僕が差し出した写真には、男の人が写っていた。男の写真を持っているだけなら何の問題もない。ただ……
「この写真、隠し撮りだよね。」
小林は黙ったままだった。
「君、そのマサヒコくんのストーカーだろ。」
……
「ええ、そうよ」
もう少し弁解するかと、思ったが小林は真実を話してくれた。
「マサヒコには別の恋人がいるの。だから私には見向きもしてくれない。でも、他に好きな人がいるからって諦めきれないじゃない。だからある日、私は彼に私と付き合ってくれるようにお願いした。そしたらあの人、私を振るだけじゃなく、家を覗くのも手紙出すのも電話するのもやめてくれって言うのよ。迷惑だからって。それでカッとなって階段から突き落としちゃった。そしたら打ちどころ悪くて意識無くしちゃうしもうどうすればいいかわからなくて」
小林は頭を抱え、地面に頭をこすりつけるような態勢で泣き崩れた。
「じゃー、君の願いはマサヒコのケガを治すことじゃないよね。」
「え?」
小林は少し起き上がり僕の方を見る。何と哀れな格好だ。
「自分に正直になるんだ。君の本当の願いは?」
小林は少しの間考える。
「……マサヒコと付き合うこと」
「違うだろ」
僕は小林の発言を軽々と否定する。そしていう「もっと奥底に眠ってる願望があるだろう」と小林はニヤリと不敵に笑う。
「マサヒコとあの女が別れることだ。あんな女より私のほうがずっとずっといい女だ。私のほうがマサヒコを幸せにできる。だからあんな女はいなくなってしまえ。ハハハハハ。」
これで契約は完了した。僕は彼女を膝から降ろし、小林のもとにひざまずく。
「その願叶えよう。ただし……」
小林は突然、僕に寄り掛かった。小林には今、何が起きているか分からないだろう。僕は小林の胸に手を当て、真っ黒に光る玉を取り出す。
「そ、それは……」
「これは君の魂さ。君の願いはもう叶えたよ。マサヒコ君のケガは治したし、マサヒコくんから今の恋人の記憶は消しておいた。もう彼がその女を好きになることはない。だからその代償として君の魂をいただくよ。」
「な、何で?服買ってあげたじゃない?お風呂も入らせてあげたじゃない?」
「何をバカげたことを、もしかしたら命を落としたかもしれないケガを治して、人間関係すら変えたんだよ。その代償が風呂と服は釣り合わないと思わないのかい。それに僕は一つだけ君に嘘をついたんだ。」
「うそ?」
「ああ、僕が人を殺した時、出会ったのは神じゃなくて悪魔なんだよ。」
そう、あの時、僕の前に真っ黒な翼をもった悪魔があらわれたんだ。
『絶望と罪に溺れし人間、私はお前のことが気に入った。お前に悪魔の仕事を与えよう。百人の願いを叶え、その代償に欲望に満ちた魂を私に捧げよ。そしたらお前の愛するものを生き返らせてやる。まず、左腕を貰おうか。その代わりお前に悪魔の力の一部とその女の抜け殻を与えよう。』
僕は悪魔にそう言われたのだ。
「実はお前で百人目だ。喜べよ。」
僕は最後にそう言い。小林は動かなくなった。
さあ、この魂を捧げればヒイラギが生き返る。やっとやっとだ、ついに僕はヒイラギに会えるんだ。
「ヒイラギ、おいで」
彼女は僕をすくっと見上げる。僕はその彼女に禍々しく光る魂を近づける。
「これで君は生き返るんだよ。」
この日を何度、夢見たか。この日を何度、待ちわびたか。僕は、僕は、
……
「ヒイラギ、どうしたの?」
その時、彼女は僕の手を掴んだ。まるでその魂を自分から遠ざけるように
「何で、何でだよ。」
いつも無表情な彼女の目から涙が出た。抜け殻のただの彼女から。
「……アキ」
「何だよ。僕が何なんだよ。最後まで言ってくれよ。ヒイラギを生き返らせるために僕がどれだけ年月を費やしたと思ってるんだ。僕が何人の人を殺したと思ってるんだ。もう後戻りなんかできないんだ。僕の罪はもう償えないんだ。だから頼むよヒイラギ……」
目が熱くなって、視界が水でぼやけ始める。そしてその場で膝をついて崩れ落ちた。
「お願いだからもう一度笑ってくれよ。僕にもう一度ヒイラギの笑顔を見せてくれよ。」
涙が止まらなかった。溢れてきてどうしようもなかった。
「お願いだよ。ヒイラギ、ヒイラギ」
「アキ……」
ヒイラギが僕の顔を覗きこむ
「……も……やめ…よ」
ヒイラギが僕の名前以外の言葉を話したのはもう何十年ぶりだった。ヒイラギは笑顔を作ろうとして顔を引きつらせている。ヒイラギの心が一瞬だけ見えた気がした。
「分かったよ。今日は、諦めるよ。だけどいつか絶対、ヒイラギを生き返らせるからな。」
僕はそう言って立ち上がり、小林に魂を返した。
「行こうか。ヒイラギ」
ヒイラギはまた無表情に戻り、コクリと一回頷いた。
『それはダメだな。』
その時だった。地面から何か恐ろしいものが沸き上がって来そうな重たい声。この声を僕は聞いたことがあった。
「悪魔……」
………………
何が起こったのか、一瞬理解できなかった。僕のお腹から血しぶきを上げながら黒くて爪の尖った手が出てきていた。悪魔の手だ。
『百人の魂は俺に捧げられるはずだろ。それなのに一度、抜き取った魂を戻してしまうのは契約違反だろ。だからお前の内臓ずたずたにしながら、目の前で大切なもの消える絶望に染まった魂を食べるとするか。』
悪魔がそういうと、ヒイラギの体から突然、血が飛び出した。その傷はヒイラギがあの男に切り刻まれた時と同じ場所だった。
「やめろ、やめてくれ。また、僕からヒイラギを奪わないでくれ」
ヒイラギはその場に倒れる。僕もあまりの腹部の痛みに立っていられなくなり体を地面にたたきつける。目の前にはもう光彩を失ったヒイラギがいた。
「待ってくれ、待ってくれよヒイラギ、返事してくれ!名前だけでもいいから僕の名前を呼んでくれよ!ヒイラギ!」
※ ※ ※
気付くと私は警察病院という場所にいた。
男女二人の死体が私の家に倒れていたそうだ。私はその男女を知っている。悪魔に身を売ってまで恋人を生き返らせたかった彼はどういうわけか死んでいた。そしてその恋人も。私はその二人を殺害した容疑者として、留置所で生活している。
風の噂によるとマサヒコとその彼女は別れたそうだ。
私たちはただ誰かを好きになって、その人の近くにいたかっただけなのに、その愛ゆえに誰一人として幸せにはなれなかった。
だから……
「ねえ、悪魔さん。私、結ばれたい人がいるの」
『そうか。ならお前に悪魔の仕事を与えよう。』
私は愛ゆえに幸せになりたいのだ。