9 あなたは何派?
「もしかして……」
ドクンドクン……
全身が心臓になったかのように、自分の鼓動が頭に響く。
考えてみれば簡単なことだ。狼の群れにうさぎが混じって、無事でいられる訳がない。
「もしかして……レナちゃんは塩派なの?」
でもマチルダはよくわからないことを言う。
「へ? シオハ?」
間の抜けたレナの声と、それに続く微妙な沈黙。
「「…………」」
マチルダの眉間が、細かい皺を作り始める。
「違うの?」
「いえ、あの、そうです! し、塩派なんです!」
レナは与えられた選択肢を掴むことにした。野うさぎの調理法なんて、まったく語れる自信はない。
怪しまれずに、かつ早くこの話題を畳むには、これがきっと最良の選択に違いないと、首がもげそうなほど首肯した。
そんなレナに、マチルダは目を細める。
「へぇ! ちょっと意外だったわ! ラフィール隊長と同じなのね。たしかに塩の方が素材の味をそのままを味わえるけど、どちらかと言えば通好みの大人の味よね」
「はは……はは……。ラフィール隊長も塩派なんですか……。うれしいです……」
ラフィールと一緒だと言われても、レナは反応しづらくて困ってしまう。とりあえず喜んではみせたけれど、それが彼女の限界だった。
そもそもレナにとってラフィールは、氷の仮面を纏った恐ろしい男にしか見えなかった。冷たい印象を与える整いすぎた容姿。感情の読めない低い声。
それに実際に彼は、初対面のレナから大切な物を容赦なく奪ったのだ。
そこでレナはハッとする。
「マ、マチルダさま! 今、何時ですか?!」
「うーん、9時半頃じゃないかしら。9時までレナちゃんが起きるのを待っていたから」
(もうそんな時間だなんて……。ラフィール隊長から、早くあの変化の薬を取り返さないと……)
丸薬の魔法は、とぉーい国の『しんでれら』と同じように、12時の鐘を合図に解けてしまうという。
何としてでも、明日の朝に飲む分を、早急に確保しなければならなかった。
「ラフィール隊長はどこですか? あの薬がどうしても必要で……」
「あなたが首から下げていたあの薬のこと?」
「はい」
「ラフィール隊長なら、この時間はもう部屋に戻っているはずよ」
ふと、マチルダはレナに哀れみの視線を向けた。
「……でも、あの薬は相当珍しいものよね?
彼も王都の専門機関で鑑定に出すつもりだと思うわ。危険な薬物である可能性を捨てきれない以上、未鑑定のまま返してくれるのかしら……」
レナの顔から血の気が引く。
「それは困りますっ。早く……早く……返してくれないと……私……」
料理談義は何とか乗り切ることはできたけれど、うさぎ獣人だと知られてしまった後の未来はどうしても描けなかった。
タレと塩。どちらもかけられたくはないし、繁殖の道具として弄ばれでもしたら、無垢な心はすぐに死んでしまうだろう。
「そんなに大事な薬だったの……。わかったわ、隊長に話だけでもしてみましょうか?」
どうやらマチルダは、レナが稀少な薬を必要とする何か特別な病気を患っていると考えてくれたらしい。
彼女はとても優しくて、病気というのはデリケートな話題だからと、敢えてレナから無理に詳細を聞き出そうとはしなかった……。
* * *
ドンドンドンドン!
「ラフィール隊長! 犬の獣人のレナですっ! お願いします、開けてください! ラフィール隊長っ!」
ドンドンドンドン!
「開けてくださいっ!」
レナの破れかぶれの気合いとは関係なく、意外にもあっさりと扉が開いた。
扉の向こうに立つラフィール。突然の来訪者に注がれる、その琥珀色の瞳はひどく冷たい。
「突然、なんだ? 騒々しい」
高い位置から見下ろされ、レナはすっかり勢いを失ってしまった。耳と尻尾をしおれさせ、プルプルと小さく震える。
(こ、怖い……。この人、やっぱり怖い……)
きゅっと握りしめた頼りない素材のワンピース。力のないその手から、布地がはらりと落ちていく。
圧倒的な力を前にして、レナは早くも服従のポーズをとりたくなった……。
長老「タレと塩。うむ、とぉーい国の焼き鳥みたいじゃな」
レナ「長老はよくとぉーい国のお話をされますね。でもタレでも塩でもどっちでも良いんじゃないですか? だって焼き鳥も野うさぎも、私たちは食べないんですもの」
長老「ばっかもーんっ! お主は考えが浅いっ!」
レナ「そんなに怒らなくても……」
長老「初めて食べていただく前には、バスソルトでお肌をすべすべに磨くべきじゃ! タレを選択したら……」
レナ「……したら? (ドキドキ)」
長老「……したら……それはただのリアル食料じゃ……(チーン)」




