88 誰もが幸せになれる国
いよいよ最終回。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました ✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。
レナはよく知っていた。
孤児だったラフィールが、狼の領主に見出されてウォルフの騎士になったことを。
ラフィールが両親を知らないことも、ファルークと同じで「家族」への憧憬が強いことも。
「お2人が似ているとは思っていました。でもまさか本当にご兄弟だったなんて……。ファルークさまは、一体どこでそのお話を――」
「さあな。どこかのお節介が教えたんじゃないか? そんなことをしそうなのは、1人しか思い浮かばないが……」
衝撃的な事実に反して、自分の肩越しに聞こえる低い声は、意外なほどに平坦だった。
レナはラフィールの背中を、優しく擦る。
独り言のように吐き出される心の澱を、黙って聞いてあげることしかできなくて――。
「俺は血の絆というものを、まったく信じてはいなかった。そのせいか取り立てて、自分の境遇を不幸だと思ったこともない」
孤児院も悪くはなかったし、領主夫妻にも可愛いがられた。もちろん全員とは言わないが、職場の仲間たちにも恵まれていた。
「それに俺は、取り戻せない過去を振り返りながら、真っ直ぐに歩き続けられるような ――そんな器用な人間じゃなかったんだ」
ラフィールはレナを抱く手に力を込める。
「レナがお姉さんを必死に探しそうとする気持ちも、最初はほとんど理解できなかった」
知らない感情は知らないままで構わないと、余計な感慨は生きるのに邪魔になると、そう考えていたラフィールが、姉妹の絆を眩しくも羨ましく感じるようになったのは、果たしていつの頃からだったのか。
レナのことを無茶苦茶に、奪いたくなってしまったのは――。
たとえ多少強引な方法であったとしても、レナを手に入れたときの無上の喜びは忘れられない。
世俗の垢とは無縁な少女を、幾重にも自分の黒に染めかえた。レナもまた、秘密を明かさないまでも、ラフィールを一途に愛してくれた。
けれど心に吹くのは隙間風で。
何てことのない日常に、正体不明の寂寥感が忍び込んだ。胸を締め付けられるような切なさを、覚えたことも数知れない。
それは街で家族連れを見かけたときだったり。寒い日の夜に家から漏れる、橙色の灯りだったり。
独りぼっちじゃなくて、むしろレナや他の誰かと、一緒にいるときだったり――。
「お前を抱けば抱くほど、満たされながらも、俺の中の孤独が増して苦しかった。
結局俺は立場や環境が変わろうとも、どんな俺でも永遠に受け入れてくれるような ――帰ることのできる場所がほしかったんだ」
いかなる困難があろうとも、諦めずにいてくれる絶対的な献身と愛情。
人は必ず過ちを犯すけれど、そんなことでは揺るがない強固な絆。
家族という関係が、すべての問題を解決しないとわかっていても、ラフィールにとってレナとカタリナの関係は、夢のように尊いものに思われた。
レナを真正面から見据える瞳は、ファルークと同じ琥珀色。
ラフィールは腕の力をふと緩めた。
「レナと出会えて良かった。知らなかった感情を、お前が俺にくれたんだ」
レナはラフィールの頬に手を伸ばす。
少し冷たい頬に触れたとき、その上から大きな手が重ねられた。
「遠ざけてきた感情と、敢えて向かい合ったとき。人は新たな悩みを抱えることになるだろう。
だがその感情に振り回された経験は、必ずや自分の糧となり、人生に豊かな実りをもたらしてくれるに違いない」
「どんな感情にも意味がある」と、ラフィールは少し照れくさそうに笑って言った。
「血の繋がりに、実際どれほどの意味があるかはわからない。それでも俺は弟がいるとわかったとき、意外なほど素直に喜べたんだ。きっと昔の俺ならば、国王陛下に今さら弟面されたところで、すんなり受け入れることはできなかったと思う」
ちょっぴり不敬な発言はあったものの、レナは兄弟の再会が佳きものとなったことに、心の底から安堵した。
「私もラフィールさまに、沢山の気持ちを教えていただきました。私たち、一緒ですね」
カタリナはラフィールの義姉で、レナはファルークの義姉。
ファルークはレナの義弟で、ラフィールはカタリナの義弟。
関係は若干ややこしくなったけれど、こんなに幸せなことはない。
「レナ……」
「ラフィールさま……」
深く愛し合う2人は磁石のようにぴったりと、美しい庭園で寄り添った――。
「あまりここに、長居してはいけないな。レナの体調が心配だ。大方慣れない王宮暮らしで、疲れが溜まっていたんだろう」
噴水脇の四阿には壁もなく、日が落ちれば当然、気温も下がる。
部屋に戻るため、先に立ち上がろうとしたラフィールを、レナは咄嗟に引き止めた。
「どうした?」
レナは座ったまま、ラフィールの様子を窺ってはモジモジしている。
「あの、ラフィールさま……。なかなか言い出すタイミングがなかったのですが……実は……」
そしてラフィールの手を、自分の薄い腹へと導いた。
「赤ちゃんが……できたみたい……です……」
「!」
「だから病気ではないんです。妊娠初期特有の、風邪に似た症状らしくって。あ、帰宅する際は、できるだけ揺れの少ない大きな馬車でゆっくり帰るようにと、お医者さまから言われました」
ラフィールは瞬きもせず、口をわずかに開いたまま。
何も――。
何も言ってはくれなかった。
「あの、ラフィールさま……?」
レナが恐る恐る声を掛ける。
まさか――。
まさか喜んでくれないのかと、レナは不安に囚われた。
でもそれは一瞬の杞憂で。
「レナはまた、俺に新しい感情を教えてくれるんだな」
ラフィールは、彼の人生史上最も輝く笑顔を見せて、レナと腹に宿った小さな命を横抱きにして、部屋まで大切に連れて行った――。
* * *
レナとラフィールは、いつまでも幸せに暮らしたという。
後宮を解散し、妃をただ1人と決めたファルークは、後継を金色の獅子の男児を優先としながらも、種族性別による制限を無くすように法律を改定した。
カタリナもまた立派に王妃としての務めを果たし、民衆から絶大な信望と人気を集めたとされている。
2人の息子である王太子も、やがて後世に名を残す、偉大なる王の1人となった。
――そんな歴史になる前の、迷いの森のラビアーノ。
ここは里で1番立派な長老の家。
長老夫妻とレオナールは、おもてなし準備の真っ最中。
レナは領主の娘として領地経営の補佐を、ラフィールは騎士の仕事を続ける傍ら、今は中央にいることが多くなった領主のために、婿養子として王都と領地を往復する多忙な日々を送っていた。
そして今日は、レナがラフィールと1歳になった子どもを連れて里帰りをする、初めての日。
レオナールがカトラリーをテーブルに並べていると、牛のおばさんがこんがりチーズのグラタンを持って入ってきた。
長老がサラダを運んでいる間にも、リスのお姉さんが木の実たっぷりの焼き菓子を。
馬のお兄さんは珍しい外国のお酒をケースごと。
長老の妻が花瓶に花を生けていると、狼の若夫婦が骨付き肉を大皿に、猿の双子と猫の三つ子は焼きたてパンを籠いっぱいに詰めて、意気揚々と現れた。
所狭しと並べられた料理の数々。
テーブルを仲良く囲む面々は、種族性別年齢なんて細かいことは気にしない。
肉食の獣人たちが中心となって、勝手に乾杯を始めて半刻ほど。
チリンチリン♪
ようやくレナたちが到着した。
「お久しぶりです」
「3人とも、よぉ来たのぅ!」
「お元気でしたか?」
わいわいがやがや。
既にかなり盛り上がっているようだ。
「ここも賑やかになりましたね」
レナが人いきれの満ちた室内を眺めて言うと、長老は朗らかに笑ってみせた。
「ふぉっふぉっふぉっ。色んな人がいる里も良いものじゃろう?」
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