87 家族という複雑な関係
カタリナを庇って大怪我をしたゴリラのおばさんが、ちょこっとだけ出てきます( ˘ω˘ )
森と湖の国フォレスターナ。
豊かな自然に恵まれた、獣人だけの小さな国。
この国は今ようやく、長く厳しい北風の季節を乗り越えて、暖かく穏やかな南風の季節を迎えようとしていた――。
* * *
国王陛下が御座す王宮。
観葉植物の鮮やかな緑。鼻腔を擽る花の香り。
王族たちが居住する、内廷にあるサンルーム。
部屋の中央にはテーブルと椅子が2脚、その脇にあるベビーベッドの中では、赤ん坊の王太子殿下が健やかな寝息を立てて眠っていた。
「お待たせしてしまってごめんなさい、お姉さま」
レナは到着するやいなや、すぐにペコリと頭を下げた。
恰幅の良いゴリラのおばさんに椅子を引かれ、レナはベビーベッドがよく見える位置、カタリナの斜向かいに腰かける。
カタリナはすぐに切り出した。
「いいのよ、気にしないで ――それよりもレナ。
体調は大丈夫? 随分顔色が悪かったから、心配していたのよ。診察の結果はどうだったの?」
「侍医の先生までご紹介してくださり、ありがとうございます。大丈夫です。悪い病気ではありませんでした」
「そう……良かった……」
妹の心配ばかりをしている姉に、レナは少しだけ腹を立てた。
「私としては、お姉さまの方が心配です」
「ふふふ。レナは本当に優しいわね。あんなに迷惑をかけたのに」
「もぉ! 答えになっていません!」
そもそもレナはカタリナに迷惑をかけられたなんて、これっぽっちも思っていない。
むしろ広い世界へ、結果的に連れ出してくれた姉には、深く感謝しているくらいなのだ。
――そしてレナがカタリナを気遣うのも当然のこと。
戴冠式に王太子宣下の儀。新王妃のお披露目を兼ねた連日のお茶会や夜会、友好国の大使との謁見など。新王妃の公務は、多忙そのもの。
レナたちが王都に来て、既に一月以上。
姉妹でゆっくりと過ごす時間が取れたのも、今日が初めてのことだった。
「私も大丈夫よ。休めるときにはきちんと休んでいるし、周りの皆がとてもよくしてくださるから」
カタリナがゴリラのおばさんにウインクすると、おばさんは分厚い胸をドーンと叩いてニカッと笑う。
「それにね。ファルークさまは一般的な家庭というものに、強い憧れを抱かれているの」
「とても複雑な環境で、お育ちになられた方だから」と、カタリナはいつの間にかうっすら目を開けていた赤ん坊を、ベッドからそうっと抱き上げた。
太陽のような黄金色の髪をもつ、獅子の男児。
既にその小さな肩には、重すぎる国の未来が乗っかっている。
カタリナは赤ん坊に頬を寄せた。
「私は王妃である前に、1人の妻であり母親よ。
けれど家族を尊重し大切にしたいと思うなら、王妃として努力するのは当たり前のことになってしまうのよ ――言っている意味、わかるでしょう?」
カタリナの夫は国王で、その息子は王太子。
たしかに王妃である彼女の一挙手一投足は、家族の評価に少なからず影響を与えてしまうだろう。
逃げ場がない悲壮な決意のように、凡人のレナには思われた。
「それはわかりますが……」
突貫工事のお妃教育を恙無く終わらせたカタリナでも、さすがに――。
「ねぇ、レナ」
「はい」
しっかり者の姉と甘えん坊の妹。
迷いの森の隠れ里に住んでいた仲良し姉妹。
けれど姉はいつでも頑張りすぎていたし。妹はいつでも甘えることが許されていた。
そして周りの大人たちもまた、無意識にその役割を投影することをやめなかった。
それはあの嵐の夜も同じこと。
姉妹の心の距離は、どこか近くて遠かった。
けれど今は――
「レナはすごく変わったわ、里にいた頃と全然違う。あの頃のあなたは、本当に子どもだった」
レナは悲しげに首をふる。
「いいえ、私はまだまだ子どもです。王妃としてのお覚悟を教えていただいた今だって、お姉さまの体調が気になって仕方がないのですから……」
「あらあら。昔のあなただったら、大人扱いをしてあげれば、すぐにご機嫌が良くなったというのに。
随分と扱いづらくなってしまったこと!」
軽い口調とは裏腹に、カタリナの瞳は真剣だった。
「そんなレナにお願い事があるの」
「?」
「どうにもならないくらい、辛くて悲しいことがあったとき ――私はあなたに、もしかしたら助けを求めるかもしれないわ」
「お姉さま……!」
「これからもよろしくね。レナ、頼りにしているわよ?」
遠くて近い存在になっていた――。
レナとカタリナは、ゴリラのおばさんが淹れてくれたお茶を味わいながら、尽きることのない話をした。
若き国王ファルークは、金食い虫の後宮の解散を決定したほか、この短期間に国民目線の改革を次々に打ち出すことで、民心の掌握と王家に対する信頼の回復に、ひとまずは成功したとされている。
それは常識的に考えれば恐るべき速さであったが、狼の領主を中心とした優秀な家臣たちが、新しい時代の幕開けに備えて準備に準備を重ねてきた、努力の賜物に過ぎなかった。
「そういえば、ファルークさまとラフィールさまは、少し雰囲気が似ていますよね。もちろん種族は違いますけど……」
「そうね。でもファルークさまたちはまだかしら? この後、皆で中庭を散策する予定だったのに……。もうこんな時間では、諦めるしかなさそうね」
姉妹はまったく同じタイミングで、掛け時計に視線を送る。
カタリナがレナとお茶をしたいと申し出たとき、ファルークもまた、ラフィールと親交を深めたいと言い出したらしい。
(私たちは義理とはいえ、畏れ多くもこれから家族になるのよね。尊い御身でありながら、本当にファルークさまは『家族』を大切になさるお方なんだわ)
レナはファルークの真心に感動した。
「ひょっとして男同士、お話が盛り上がっているんでしょうか?」
「さぁ。どうかしらね」
ゴリラのおばさんが様子を見に行って、赤ん坊が甘えた声で泣き出したとき。
ようやく、待ちわびた扉が開かれた――。
* * *
「わぁ、綺麗!」
「私的な中庭でも、噴水と四阿があるんだな」
サンルームから外に出て、レナとラフィールは中庭を散策した。膨らみ始めた大きな蕾と、季節を先取りした花々が美しい。
しかしまだ北風が吹けば肌寒く、レナは薄手のショールをしっかりと羽織っていた。
国王夫妻は公務に戻り、王太子殿下はゴリラのおばさんとお見送り。
そしてレナの体調を気遣って、過保護なラフィールは早々に四阿へと足を向ける。
「ファルークさまと、何をお話されていたの?」
横に並んで腰かけて、先に質問をしたのはレナの方。壁のない四阿からは、噴水を中心に庭園がよく見えた。
終わりのない水の流れ。
常にさざめき続ける水面と噴水の端に浮かぶ小さな泡、どこからか飛ばされてきた孤独な葉っぱ。
水は、ほんの時折強く吹く風に拐われて、灰白色の石に点々と染みを作る。
「俺が、今までどうやって生きてきたかを聞かれていた」
「ファルークさまに?」
ラフィールは首を傾げたレナを抱き寄せた。
「信じられないことだが、俺にもまだ血を分けた家族がいた ――ファルークさまが、俺の異父弟だったんだ」
後半部分の展開については「58話 領主の後悔」と繋がってきます。
次話いよいよ最終回。この後すぐ本日(10/31(土) 午前9時)に投稿するよ୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧




