83 血の繋がり
ここは領主夫妻の私的なリビングルーム。
館の中でも一際陽当たりも眺めも良いこの部屋で、家族よろしく、レナは領主夫妻と向かい合って座っていた。
選ばれた人間しか、立ち入ることの許されない奥まった場所。もちろん新人メイドだったレナが、足を踏み入れたことは1度もない。
すぐ側にある備え付けのキッチンで、メアリ婆さんはコマネズミのように忙しなく働いていた。
やがて運ばれてきたのは、耐熱硝子のティーポットと3つの陶器のティーカップ。
優しい風合いのオーク材のテーブルで、可愛らしいハーブの花が硝子越しに咲いた頃。
視線の置き所もないレナは、メアリ婆さんが淹れてくれた薬草茶を、ただひたすらに見つめていた。
「レナ」
「ひゃいっ!」
地鳴りよりも低い声に、華奢な肩がぴょこりと跳ねる。
「な、何でしょうか……?」
「ラフィールの命を救い、そして2人で無事に帰ってきてくれたこと。衷心より感謝している」
「もったいないお言葉……ありがとうございます……」
「「…………」」
結局それ以上は会話が続かず、若干気まずい雰囲気になったところで、夫と同じく狼獣人である領主の妻が「冷めないうちにどうぞ」と、レナに薬草茶を勧めてくれた。
1口飲めば広がる、心と身体をほぐす、爽やかな酸味とほのかな甘味。
喉を通る熱は、カチコチに固まったレナの心を、じんわりと優しく融かしてくれた。
(この味……)
色合いは少し違うが、よく似ている。
亡き母が残したレシピを頼りに、姉がよく淹れてくれた大好きなお茶に。
尤もレナは、飲む専門だったけれど――。
「おいしい……」
不意に呟かれた本心は、領主夫妻とメアリ婆さんを喜ばせた。
「そうか、そんなに旨かったか。しかしそれも当然であろう。カタリナが愛飲していた調合を、妻とメアリが日夜努力して再現したものだからな」
「え?」
レナはようやく得た手がかりに、逸る気持ちを抑えることができなくなった。
「そのカタリナという女は、もしかすると私がずっと探していた――」
「知っている」
領主は間髪入れずに、そう答えた。
「それでは……姉は……どこに……?」
「カタリナは、ここではない安全な場所にいる。近いうちに、そなたと会う機会もあるだろう」
「良かった……!」
レナは歓喜に打ち震え、手で顔を覆い隠した。
会いたい気持ちよりも先に、姉の無事がわかった喜びと安堵で、どうしようもなく泣いてしまいそうだったから。
「そしてカタリナの話以外にも、私たちとレナに関するとても大切な話がある。
――長くなる。茶でも飲みながら、ゆっくりと未来について語り合おうじゃないか」
* * *
領主の話は俄に信じがたいものであった。
あの夜の嵐が、レナとカタリナの運命だけではなく、国の行く末をも巻き込んで、激しく吹き荒んでいたなんて。
「姉のお相手は、ファルークさまと仰るこの国の王子さまなのですね。そして既に、獅子の男児まで授かっていると――」
カタリナが出奔した理由は、予想していた通りだったが、その相手がまさか王族で、既に出産まで済ませているとは思わなかった。
(でもお姉さまには、相応しいお相手だわ)
惜しむらくは、姉の結婚と甥っ子の誕生を、レナがすぐに祝ってあげられなかったことくらい――。
領主はと言うと、レナが事実をすんなりと消化したことに、正直なところ驚いていた。2つ目の話 ――すなわち本題もまた、特に抵抗なく受け入れてもらえるのではないかと、期待値が勝手に上がっていく。
「ファルークさまの戴冠式と、そなたの甥の王太子宣下の儀が、近々王宮で執り行われることになっている。続く宴の席で、カタリナが新王妃としてお披露目される予定だそうだ」
現在の国王は一刻も早く隠居したがっており、兄に当たる第1第2の両王子は事実上失脚した。
国が混乱する前に、次々代までの道筋をつけようと、今まで息を潜めてきた心ある貴族たちも、一致団結して新しい国づくりへと乗り出している。
――もちろんその旗振り役となっているのは、第3王子を庇護してきた狼の領主であるのだが。
「うさぎ獣人の姉が、王妃そして国の母に……」
日陰に身を置いてきた立場としては、非常に感慨深いものがあった。
「ああ。この国は生まれ変わる。若き王ファルークさまのもとでな」
敬愛すべきレナの姉は、やはり並みの女ではなかったのだ。
「そこでだ、レナ。2つ目の話がある」
「はい」
領主の顔がいつもにも増して険しくなった。
「単刀直入に言おう。レナ、私たちの娘にならないか?」
「えっと……意味がよくわからないのですが……」
この国は血縁を何よりも重視する。血の繋がらないレナを、領主夫妻の正式な養女として迎えることはできないはずだ。
「あなた。順に説明してさしあげないと。レナさんが混乱しています」
妻は話のバトンを、口下手な領主から強奪した。
「私たちには跡継ぎがいません。夫が亡くなれば、領地は国に接収されることになるでしょう」
「それは……あの……わかります……」
他人の家庭の事情に、コメントをするのは難しい。
しかしレナを養女に迎えたところで、男尊女卑を血で塗り固めたこの国では、女が跡を継ぐこともできないはずだ。
(私を養女にするメリットがあるとすれば、ラフィールさまを婿に取りやすいことくらい……?
たしかに、命懸けで新王妃と次期王太子殿下を守り抜いたラフィールさまを、領主さまの後継に据えるのが、対外的な面でも領内の安定のためにも、最良なのかもしれないけれど……。
でも他人の私と養子縁組できる方法があるのなら、同じく他人のラフィールさまと、直接縁を結んだ方が良いような……?)
そもそも、立ちはだかる血の壁は厚い。
そんな戸惑うばかりのレナに、領主の妻が穏やかに微笑みかける。
「レナさん。聞いてください。あなたには夫と同じ血が流れています。現にカタリナさん ――いえ、カタリナさまもまた、私たちの養女として、王宮に送り出したのですから」
領主さまはお年頃のレナと話すのがちょっと苦手。つい顔が怖くなっちゃうのも、ただ緊張しているからです。
そしてここまでの展開だと、ラフィールを釣るためにレナと養子縁組みを申し出たり、外戚として権勢をふるうためにカタリナを自分の娘として嫁に出したように見えるかもしれませんが、領主夫妻は私利私欲のために行動する人たちではありません。
2人の父レオナールへのフォローもちゃんとします。
細かいことはまた次のお話で( ゜∀゜)ノシ