82 ずっと見守ってくれていた
マチルダは、レナを最初に保護した狼の女騎士。
ロディは、丸薬の効果を突き止めたロバの研究者。
2人は恋人同士ですが、その力関係に注目してお読みください<(_ _*)>
「なぜならレナさまは、領主さまの大切な――」
結局この言葉の先を、先輩メイドの口からは聞けなかった。
メアリ婆さんに呼ばれた老医師ゴードンが、話の途中で、部屋に雪崩れ込んできたからだ。
「ゴードン先生!」
「よくぞ帰ってきてくれた!」
ひとしきり抱擁を交わした後、ゴードンは「顔をよく見せてくれ」とレナにねだる。
ゴードンが初恋を拗らせているのは、領主館では有名な話。
「本当にそっくりじゃ。ワシの初恋のあの女に」
「尖塔にいたうさぎの女性のことですね。いつの間にかいなくなってしまったという」
「ああ、そうじゃ。後生だから、レナ」
「はい」
「これからワシのことは、『ゴードンくん』と呼ぶように」
「……もしかして、お姉さんにそう呼ばれたかったんですか?」
「うむ」
それにしてもレナがいなくなってから、およそ2ヶ月。
ゴードンは、一度研究に没頭すると寝食さえもなおざりになってしまうはずなのに、彼の纏う白衣に、皺も汚れも見当たらないことが、レナにはとても不思議だった。
しかし理由はすぐに判明する。
「レナちゃん!」
声の主は長身美貌の狼騎士、薬学と医学にも通じている才媛マチルダ。
薬草の研究のために、迷いの森近くの街に残ったマチルダと、レナが一緒に過ごすことができた期間は、わずか2日ととても短い。
けれど里を出たばかりの1番不安なときに助けてくれた女だから、レナにとっては忘れがたい存在となっていた。
「マチルダさま、お久しぶりです。お仕事、お疲れさまでした」
「ええ、お久しぶりね。おかげで一定の成果を得られたわ」
マチルダの笑みは、お手本のように麗しい。
「そんなことより―― レナちゃん。ラフィール隊長とお付き合いをしているんでしょう? おめでとう。とてもお似合いの2人だわ」
姉とも慕うマチルダに祝福されると、レナは嬉しくも面映ゆかった。
「ありがとうございます」
ラフィールの隣に相応しい女性だと、なんだかそう保証してくれたような気がして。
家族の祝福もほしいなんて、そんな贅沢は言わないから――。
診察の結果、レナの健康状態は良好だった。服を整え終わったところで、廊下から声を掛けられる。
「もう入っても良いかい?」
入り口から顔を出したのは、優しげな風貌のロバの男性。
うさぎよりは短い耳が、灰褐色の柔らかな髪の間でそわそわと揺れていた。
「いいわよね、レナちゃん? ――ロディ、入って」
「うん。じゃあ、失礼するよ」
彼 ――ロディはその才能が認められ、辺境から中央に引き抜かれた極めて優秀な研究者。
ゴードンの秘蔵っ子はマチルダの恋人であり、彼女とラフィールの同期であり、更にはその彼の親友でもある。
初対面だが、レナと無関係とは言い難い。
それから――。
「ロディはいつもは王都にいるんだけど、こうして休暇をもらえたら、領主館のあるウォルスタの街まで遊びに来ているのよ ――ね、ロディ?」
簡単な紹介を済ませたマチルダの目配せで、ロディはしずしずと一歩前へと進み出た。
「はじめまして。噂の君と会えてうれしいよ」
レナは差し出された薄い手を握り返した。「噂」の内容とやらが、少し気になりはしたけれど。
「例の丸薬の効果を、突き止めたのは僕なんだ。あれほどの苦しみに耐えてまで、犬の獣人に変化しなければならない理由は、今日こうして君に会えてわかったよ。うさぎの獣人だったんだね」
ロディは自身の身体で、丸薬の不味さと変化の不快感は確認済み。
だからある意味、戦友のような気持ちで、レナに真心をもって話し掛けた。
「え? どういうことですか?」
(その口ぶりだとまるで――)
不安を宿す榛色を前にして、ロディは小さく肩を竦めた。
「そうだよ。――あれ? まだラフィールから聞いていなかったの?
だいぶ前から彼は、午前0時に解ける魔法のことを知っていたはずだよ。君の本当の種族まで把握していたかは、僕にはわからないことだけど」
「それなら……なぜラフィールさまは……私に……」
(何も、言わなかったの?)
「そりゃあ、君から話してくれるのを、ずっと待っていたんじゃないかな」
「そんな……」
突きつけられた事実は、あまりにも優しくて残酷なものだった。
(ラフィールさまは……今までどんな気持ちで……私に騙されて……)
レナは両手で顔を覆った。
――拙い嘘を責められたことは一度もない。
ラフィールは、幸せな眠りについたレナの、魔法を暴くこともしなかった。
目覚めれば、なぜかいつも恋人は隣にいなくて。
朝までいられては困るのに、夜明けを共に迎えられないことが堪らなく寂しかった。
獣型になってようやく、洞穴の中で2人寄り添って朝まで過ごせたけれど……。
たまには寝坊してくれても良かったのに。
――でも秘密も明かせない。
どうして彼は「朝まで一緒にいたい」と言わないの?
――でも言われたら困るけど。
肌に残る温もりと、刻み付けられた愛の証を慰めにしてみても、独りぼっちの寝台はあまりにも広くて、レナは目に見えるものだけに、つい気をとられてしまっていた。
ラフィールは見えない形で、途方もなく愛してくれていたのに……。
「しかしまぁ、この可憐さで、まさかあのゴツい領主さまの ――ゲフッ!」
ロディはたまに空気が読めない。
マチルダが肘鉄砲を食らわせて、彼を一瞬で黙らせた。
「ごめんなさいねー。ロディってば、お喋りで困っちゃうわ」
レナは本当は、もっとロディの話を聞きたかった。
「あの……私って領主さまの何なんですか?」
マチルダは首を振って拒否をした。
「それは私も聞いて驚いたんだけど、私から話すべきことではないと思うの。領主さまのところへ行ってきたら? あら、ちょうどメアリのお婆さんが、あなたをお迎えに来たみたい」
* * *
「ねぇ、ロディ。そういえば親戚には、もう会えたの? 定期的に会っているんでしょ?」
「ああ、行商人のおじさんのこと? もちろん会ったよ。面白そうな話があったら、教えてほしいって言われてるから。
閉鎖的なド田舎で客の心を掴むには、人を惹き付けるトークがないと商売が大変らしくてね。特に同族の噂話は食い付きが良いんだってさ」
口止めにしないと何でもかんでも喋ってしまう恋人を、マチルダは半眼になって見つめていた。
「ふーん。またペラペラと喋ったの? 大体あなたの話の情報源って、酔っぱらいのゴードン先生なんでしょう?」
「そうだよ。どうせ領主館に来ると、絶対にゴードン先生のお酒に長時間付き合わされるんだから、その機会に情報収集しとかないと時間が勿体ないだろ?」
そこでロディは眉を下げた。
「尤も話の半分は、相変わらず初恋のお姉さんのことだけどね」
「でしょうね。先生は人生をかけて、初恋を拗らせてるから」
「うん。ついに幻まで見るようになったときには、さすがに僕もヤバイと思ったよ。領主館でうさぎのお姉さんを見たとか何とか……。
まぁ本人も朝起きたら、そのことは忘れていたみたいだけど」
ゴードンの秘蔵っ子はマチルダの恋人であり、彼女とラフィールの同期であり、更にはその彼の親友でもある。
それから――。
口の固いロバの行商人のおじさんの、口の軽い甥っ子だった。
レナ「領主館でお姉さまを見たという、噂話の謎が解けましたね」
長老「ゴードンが見たのは、たしかにカタリナじゃよ。森の奥の元修道院に移動する前に、一時館に匿われていたんじゃ。厳重に厳重にな。知ってるのは領主と奥さまと、1番隊の隊長のガイゼルと、ゴリラのおばさんだけじゃ」
レナ「なるほど。でもいつもゴードンくんは、酔っ払うと初恋の話ばかりするから、誰も相手にしてくれなかったんですね。本人も結局、朝には忘れてしまって」
長老「うむ。というか、ゴードンくん呼びを採用したんじゃな……」




