81 レナも知らない自分の秘密
領主館に帰ってきました<(_ _*)>
レナは天蓋つきの、豪華な寝台の上で目を覚ました。
(ここは、どこ……?)
繊細なヴェール。綿菓子よりもフカフカの枕。おまけにその横には、大きなうさぎのぬいぐるみ。
寝台の中央には、メイド服ではない畳まれた服と、女の子の夢でも仕舞えそうな宝石箱が、開かれた状態で置かれていた。
宝石箱の中に見えるのは、獣化時に抜けてしまったレナの大切な結婚指輪。
(私のために、用意してくれたのよね?)
ドロン!
レナは早速、人化した。
まずは薬指に愛の証をはめてから、ピンクベージュの清楚なワンピースに袖を通す。
緩やかな天蓋のヴェールを抜けて窓辺に立てば、広大な森に構える煉瓦造りの領主館の両翼 ――使用人たちのための東棟と、騎士たちのための西棟が目に入った。
つまりここは領主が執務をこなす中央棟。
しかも4階ときたものだから、レナの頭に疑問が浮かばぬ訳がない。
(中央棟の上層階は、領主さまと奥さまの居室があるプライベートなエリアのはず。なぜ他人の私が、こんなところに寝かされているの?)
快適さよりも居心地の悪さが勝ってしまい、レナは朝陽が射し込む室内を、落ち着かない気持ちで見回していた。
うさぎの小物があちこちに置かれている、やけに少女めいた不思議な部屋。
(領主さまに御子はいらっしゃらない。なのに、どうしてこんなお部屋が……?)
妻をこよなく愛し、妻以外に身内がいない領主が、若い女性向けの部屋をわざわざ用意している意味とは――。
しかしどれだけ考えても、答えが見つかるとは思えなかった。早々に考えるのを諦めて、レナは指輪を、右手の人差し指の腹でそっと撫でる。
レナはフラれてなんかいなかった。
種族を偽っていたことも、ラフィールはきっと許してくれたのだろう。
(だってあんなにも……私を求めてくれたんだもの……)
あの夜の熱さを思い出すだけで、レナの身体はどこまでも甘く疼き出す――。
それからレナは、話ができる誰かを探すため、部屋を出ようと思い立った。
コンコンコン
ちょうどノックの音がして、扉を開ければそこには、懐かしいメアリ婆さんと黒猫の先輩メイドの姿が――。
「レナ! 目を覚ましたのかい!」
招き入れるよりも早く、メアリ婆さんに勢いよく抱きつかれ、レナは少しよろけてしまう。
その後ろから、恐れを知らぬ先輩メイドが、両手を腰に当ててメアリ婆さんを窘めた。
「メアリさん。レナさまはもうメイドではありません。気安く呼ぶのは厳禁ですよ」
感動の再会に水をさす、先輩メイドをパンチパーマと2本の角が威嚇する。
「ったく、うるさいね。そんなことよりレナ、また会えてうれしいよ……!」
メアリ婆さんは、敢えて無視して話を続けた。
「行方不明になっていたラフィールが、獣型で帰ってきたのにも驚いたけど、緑色のみょうちきりんな布に入っていたうさぎが、まさかアンタだったなんてねぇ……!」
それを聞いたレナの目から、大粒の涙が零れ落ちた。
「メアリお婆さま、先輩……。ずっとうさぎであることを隠していて、ごめんなさい……」
レナはすべてを正直に告白した。メアリ婆さんと先輩メイドは、黙って話を聞いてくれた。
所詮レナの罪は、彼女が思うほど重くない。
その証拠に、手巾を差し出したメアリ婆さんの顔は、むしろいつもより明るかった。
「じゃあアタシは領主さまとゴードンの爺さんに、レナが目覚めたことを伝えてくるよ。
念のため、先に診察を受けて、それから領主さまにお会いする方が良いだろうね」
「はい」
「領主さまもゴードンの爺さんも、きっと飛び上がって喜ぶはずさ!」
「はい!」
退職した一介のメイドに、領主自ら会う意味はわからない。
しかし会いたいと思ってくれる人が、領主館にこうして何人も存在していることが、レナは単純にうれしかった――。
メアリ婆さんが軽やかな足取りで退室すると、先輩メイドが徐に口を開いた。
「領主さまったら、お2人が帰ってきたとき。うれしさのあまり、男泣きに泣いちゃったんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。全然泣き止まなくて……。収拾がつかなくなって、最終的には奥さまが領主さまを連行なさいました」
「そ、そうなんですね」
レナは強面の領主の泣き顔を、上手く想像することができなかった。話を途切れさせる代わりに「ラフィールさまはどちらに?」と尋ねてみる。
「隊長ですか? 彼ならもう帰ってきたその日から、周りが止めるのも聞かず、普通に仕事に復帰されました。ものすごくお元気そうでしたから、ご心配なさらなくても大丈夫。
レナさまは、今は何も考えず、ゆっくりとお過ごしくださいますように」
先輩が木漏れ日にも似た、あまりにも柔らかな微笑みを浮かべて言うものだから、レナはつい失礼にも「らしくない」と思ってしまった。
――レナの知る彼女は、もっと皮肉な笑い方をする女だったはず。
「なんだか少し、先輩の雰囲気が変わったような気がします」
先輩メイドははにかんだ。「私事で恐縮ですが」と前置きする。
「レナさまがラフィール隊長とお帰りになられた日、曖昧な関係だった好きな男に、改めて交際を申し込んだのです。
そうしたら彼は、こんな私のことを受け入れてくれて、おまけにその場でプロポーズを……」
レナは思わず歓声をあげていた。
「わぁ! おめでとうございます!」
「ありがとうございます。ふふふ。でも、ラフィール隊長とレナさまを差し置いて、先に結婚したりはしませんよ?」
「あ、でも……。私たちは、いつになるか……」
プロポーズの返事をラフィールに伝えるのは、まだこれから。
もちろんできることなら、今すぐにでも伝えたいところだけど――。
そんなレナの様子に、先輩メイドはわざとらしく呆れてみせた。
「何ですか、今さら? 帰ってきたレナさまには、ラフィール隊長のマーキングがしっかりしてあったって、ゴードン先生が嫉妬していましたよ。
それにレナさまは眠っていてご存知ないでしょうけど、隊長は毎晩この部屋まで、あなたに会いに来ていますし……」
レナは小さく首を傾げる。
「毎晩? 私、そんなに寝ていました?」
「はい。ここにいらしてから3日間、ずっと眠っていらっしゃいました」
更に先輩メイドは、レナが領主館を出てから既に2ヶ月弱経っていることも教えてくれた。
「そんなに経っていたんですね……。あの……ところで……お願いがあるんですが……」
「何でしょう?」
「『レナさま』と呼ぶのはやめてもらえませんか? 今まで通り、どうか『レナ』と……」
しかしその提案は、即座に却下された。
「呼び捨てなんてとんでもない!」
「どうしてですか? 私はまたここで働きたいと思っています。お客さん扱いは寂しいです」
「それは――」
レナは知らない。
先輩メイドの過ちも。
彼女が領主の前で、すべての行いを懺悔していたことも。
――そして狼の領主とうさぎの自分との間に、悲しき恋が残した深い縁があることも。
領主は寛恕の心でもって、先輩メイドをレナの世話係に命じていた。
しかも領主は、悪事のきっかけとなった病気の弟の治療についても、融通をきかせてくれるという。
「こればかりは譲れません」
先輩メイドにとって、領主の意思は神の意思にも等しいもの。
かつての後輩の頼みでも、絶対に譲ってはいけないことがある。
「なぜならレナさまは、領主さまの大切な――」




