75 目覚めたらご馳走が
ラフィールが目を覚まします。レナは辛い経験をして、また少し大人になったみたいです。
ポヤンとしているのは、変わりませんが……(-_-;)
殺風景な河原に佇むラフィールは、川の流れを見つめていた。
どこからか聴こえてくる物悲しい旋律が、彼の背中を、押し出そうとするのを感じながら。
ここは何やら陰気くさい。
――音や気配はするのに誰もおらず、石で作られた不格好な塔があるだけの、不気味な場所。
ラフィールは灰色の世界から、早く華やいだ対岸に、渡ってしまおうと考えていた。
橋は遠い。近くに舟はあっても、櫂がない。
それでもここに長居をするよりは、と。ラフィールは濁った水を蹴り上げて、浅瀬を選んで大胆に進んで行く。
肌を刺す冷たさに、彼はようやく靴も何を履いていないことに気が付いた。
『そういえば、俺は獣型で戦っていたんだ』
大切な人たちの幸せを守るために、最後まで全力で戦った。
けれど1番守りたかったのは、レナの笑顔。
――川を渡った先に、彼女はいるのだろうか。
『いや、いない』
彼女は領主館で待っていてくれるはず。
『早く、帰らなければ……』
大切なことを思い出し、ラフィールは引き返すことを決意した。
けれど淀んだ歌が彼の背中を押し続け、膝を囲む水の流れは逃すまいと渦を巻く。
足掻く度に上がる飛沫は、次々と泥のような手に化けて、ラフィールを深い川底へと誘おうとしていた。
『くそっ! 戻れない……!』
そのときだった。
パシャパシャと浅瀬を鳥が渡るよりも、軽やかな音がして――
『ラフィールさま!』
トンっと軽い衝撃の後に、柔らかな感触がラフィールの背中に飛び込んできた。
途端に重く暗い空気が浄化され、渦も手も、跡形もなく消えていく。
その奇跡をラフィールは、茫然自失の体で眺めていた。
『レナ……』
『私だけを愛してください! 浮気なんてしないで、いつまでも私だけを!』
彼を見上げる眼差しは、真剣そのもの。
『突然現れて、何を言うかと思えば……』
意味がわからない。
おまけに、状況にもそぐわない。
ラフィールはもう新しい恋を探すつもりはなかったし、結婚指輪だって渡してある。
『俺が愛しているのは、お前だけだ』
けれど言葉をほしがるのは女の性。
うさぎの耳に愛の言葉を注ぎ込むと、ラフィールの肩に背伸びをした手が乗せられた。
それは屈んでほしいときの甘い合図。
『それなら今すぐ、私を愛してください』
いつの間にか、彼女はすべてを脱ぎ捨てていた。
『こんなところで……』
目眩を覚えたラフィールに、レナは美しい笑みを浮かべてみせる。
『ラフィールさまだって、私と同じ気持ちでしょ?』
長い耳とまぁるい尻尾には魔力がある。
(こんな表情をする女だったか……?)
身体は子どもを卒業しても、まだまだ大人になりきれていないと思っていた。
(ほんの数日会わないうちに、レナは……)
そこで狼の理性は、完全にはち切れた。
こんなご馳走は ――他では絶対に食べられない。
* * *
黒き狼が琥珀色の瞳を開くと、ぼんやりとした世界が広がっていた。
長い夢を見ていた気がする。
ラフィールは、無明の闇に引きずられる瀬戸際で、恋人に助けられたことを知っていた。
尤も、夢に艶かしさが交ざったのは ――彼は認めたくはないものの―― おそらく別れた夜の後悔のせいだろう。
紗がかかっていた視界が、徐々に鮮明になっていく。
(ここは、どこだ……?)
見えるのは土の壁と、所々に飛び出た根っこ。
白々とした弱い光が、入り口から射し込んでいた。
大方崖にでもできた洞穴に違いないが、本能のまま歩いてきて、ここまで辿り着けたのなら上出来だ。
少し離れた地面には、地図と植物、見たこともない柄の布が、綺麗に並べて置かれていた。
そして生と死のあわいで、痛みと熱に苦しめられた記憶とは裏腹に、身体がとても楽だった。
(あれは薬草……? つまり俺はここにいた誰かに、治療をしてもらったということか……?)
けれど恩人の姿を見つけられないうちに、ラフィールは耐え難い空腹に襲われる。
カタリナのところでスープとパンを食べて以降、まともな食事を取っていないのだから仕方がない。
携行食は栄養価重視なので、ボリュームには総じて欠ける。
それはレナがこっそりとラフィールにあげていた、赤い果実も同様だった。
(肉……。無性に肉が食いたい……)
獣型になると、本能に抗う力が弱くなる。血を流し過ぎたせいか、身体が肉を欲していた。
ラフィールが腹拵えするために立ち上がると――
コロリン
すやすやと眠る小型のうさぎが、彼の横に落ちてきた。
その毛並みは艶やかな淡い茶色。
――淡い茶色は、ラフィールが大好きになった色の1つ。
(まさか、俺の背中で寝ていたのか?)
危機感皆無で寝息を立て続けるその姿は、ラフィールの狼としての矜持を著しく傷つけた。
しかも寝ぼけうさぎは、再びラフィールの背中に登るつもりなのか、彼の前脚付近でもぞもぞと動いている。
(…………)
不覚にも、めちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。
だがしかし、狼の背中を借りて眠るうさぎなんて、今まで聞いたことも見たこともない。
真性の獣ではないから、野うさぎごときに背中で爆睡されてしまうのか。偉大なる領主に仕える狼の騎士が、真性の狼に劣るとでも言うのか。
(舐めた真似をするのにも程がある)
ラフィールが前脚を振ると、うさぎはちょうど食べやすい位置まで転がってきた。
彼も人型ならば、こんがりと丸焼きにして、塩をかけて食べたいところではあるが……。
(獣型の今なら、生のままでも充分だ)
レナと付き合ってからも変わらずに、ラフィールの大好物はうさぎ肉。
体力の回復に必要なこと ――それはよく眠り、そしてよく食べること。
鼻先でつつくと、うさぎは眠い目を擦りながら、やけに人間染みた動作で起き上がった。
榛色の円らな瞳が、恐怖で大きく見開かれる。
プルプルプルプル……
うさぎは奇妙な柄の巾着を、固く握りしめて震えている。
――ちなみに榛色は、ラフィールが大好きになった色の、もう1つ。
(まさか……このうさぎ……)
最高に可愛くて哀れな獲物からは、夢にまで見た恋人の香りがした。
(レナ……! どうしてお前がここにいるんだ?!)
ここはあの世とこの世を隔てる川。
無数の手に絡み付かれ、ラフィール現在大ピンチ。
レナ「ラフィールさま。今、お助けに参ります!」
ラフィ「お前は岸に戻れ! 引きずり込まれるぞ!」
レナ「大丈夫です! では……ラフィールさまは、そっちの手を引っ張ってくださいね。私はこっちの人を助けますから」
ラフィ「おい。俺を助けにきたんじゃないのか? いや、そもそもこの手を引っ張って、気持ち悪い感じの本体が付いてきたらどうするんだ?! 待て、レナ! 俺の話を聞け!」
ザッパーン★
レナ「わぁ、大漁でしたね。男女あわせて20人はいます」
ラフィ「大漁って……。それに俺の足元にこんなにいたなんて、人口密度おかしいだろ……」
手代表「ありがとうありがとう。あなたたちのおかげで、手だけ日焼けし続ける苦行から、今ようやく解放されました」
ラフィ「どんな苦行だ……」
手一同「「「このご恩は一生忘れません!」」」
手一同平伏す( ノ;_ _)ノ ははー。
レナ「(あたふた) そ、そんな! みなさん、お顔をあげてください! ね、ラフィールさまっ?」
ラフィ「俺はそんなことより、彼らの『一生』が、既に終わっているかどうかが気になっている……」




