74 私の素敵な狼さん
付き合っていた頃のレナとラフィールのモフり合いは、人型でしていました(*>∀<*)
(治療をする前に、まずは傷を清めないと……)
狼の下敷きにされていない方の風呂敷を、レナは口に咥えて外に出た。
いつの間にか吹雪は止み、空には丸い月が浮かんでいる。
一対の足跡だけが残る雪はとても綺麗で、風呂敷を濡らして戻ったレナは、愛する黒を汚す血糊を、優しく慎重に落としていった。
風呂敷を絞って畳んで、狼の身体を清拭する。それだけのことが、獣型の今は難しい。
一通り清め終わると、既に血が止まっているところには化膿止めの薬草を、まだ血が出ているところには血止めの薬草をよくほぐして、その滲み出た汁ごと傷に貼り付けた。
薬効が高いものばかりだから、かなり染みる治療のはず。けれど弱りきった狼に、特別抵抗する様子は見られなかった。
(狼さん……死なないで……!)
荒い息と呻き声を、敏感な長い耳が拾うから、レナの心が先に悲鳴を上げてしまう。
目が覚めたら、食べられてしまうのはうさぎの自分。でもレナは消えゆく命を見捨てることができなかった。
――そんな温い考えでは、弱肉強食の自然界で生き抜くことは難しいと、わかっているのに。
(お腹の傷が深いわ)
レナは止血の薬草をまたほぐし、患部に貼ろうとして手を止める。
どうしても身体の下になる部分は剥がれやすい。できれば包帯か何かで固定した上で、しっかりと圧迫した方が良いだろう。
レナは2本の前脚をじっと見つめる。
(包帯は風呂敷で代用するとしても、このままの姿で巻けるのかしら……?)
何回か試してみたが、やはり自分よりも遥かに大きい狼の身体に、強くぴったりと包帯を巻きつけることは難しかった。そもそも獣型は、細かい作業には向いていない。
(人型になったら寒いけれど……でも……)
ドロン!
やがて覚悟を決めたレナは、美しい裸身を晒して人化した。
狼が雄であることは、清拭の際にわかっている。
そしてレナは、この目の前に横たわる立派な雄の狼を、獣にしかなり得ない真性の獣だと、頭から信じて疑わなかった。
つまり、人化を躊躇う理由はない ――少なくとも、この寒さ以外には。
一糸纏わぬ姿のレナは、狼の下から上掛け代わりにしていた風呂敷を引き抜いて、薬草を貼り付けて固く縛る。
布越しに傷をしっかりと押えると、手が痺れた頃に血が止まった。
それから皮膚の再生を促す薬草に貼りかえて、最後に熱冷ましの薬草を、赤い果実数個と一緒に狼の口に含ませた。
――癖のない薬草だから、肉風味の果実と共に食べてくれることを期待して。
果たして狼は本能の領域で、レナの望み通りにしてくれた。
「あなたはとても偉い子ね。ちゃんとお薬を飲んでくれてうれしいわ」
レナは狼の全身を、回復の祈りを込めて愛撫した。少し固い毛の感触が、恋人の髪に似ていて懐かしい。
(あとはこの狼さんの生命力次第だわ。私にできることは全てやったはず)
ドロン!
人間のレナは、再び野うさぎのレナに戻る。
(うぅ……寒い……)
でもうさぎの毛皮をもってしても、一度芯まで冷えた身体は、なかなか温まりはしなかった。
こんなとき、暖炉の前で毛布にくるまることができたなら、どれほど幸せなことだろう。
残念ながら洞内には、赤々と燃える暖炉も、ふわふわの毛布も何1つとしてないけれど。
毛布も何1つ――。
本当に?
(すごく、あったかそう……)
レナの視線は、目の前のモフモフに、凄まじい引力でもって吸い込まれた。
――彼の身体で温めてほしい。
(狼さんも、きっと高い熱で寒気がするはずよ。うん、これは支え合いの精神なの。決して怪我で苦しんでいる狼さんを、毛布代わりにするんじゃないわ)
レナはおそるおそる狼にお辞儀をした。咎める者はいなくても。
(失礼します……)
狼の背中によじ登ったレナは、目を閉じて陶然とする。
(あったかい……)
本当は腹の下に入りたかったけれど、何かの拍子に踏み潰されるのが怖かったし、相手は雄の狼だから、レナも獣型の今は自粛した。
(おやすみなさい。今夜は良い夢を見られますように……)
* * *
献身的な看病を続けて早3日。
「熱も下がって、傷もかなり塞がったわ。もう大丈夫。狼さん、本当によく頑張ったわね」
今日分の治療を終えたレナは、狼の頭を撫でると、穏やかに上下する大きな背中にしがみついた。
「うふふ、あったかーい」
人型のレナは愛玩動物を可愛がっている感覚で、つい狼と過剰なスキンシップをはかってしまう。
尤も、狼の目は固く閉じられたままだったが……。
血の匂いが薄れた今、なぜか狼からは大好きな匂いがして、耳や尻尾の特徴までも、恋人と似ていることに気が付いてからは、その傾向は加速する一方だった。
そして悪夢に憑りつかれた3日前が嘘のように、レナは幸せな夢ばかりを見るようになっていた。
朝には消える泡沫の夢が、切なくないと言えば、それこそが嘘なのだけど……。
実際のところ、交際期間中もレナは、恋人の獣型を見たことがない。
でも想像の材料は揃っていた。
きっと彼の狼姿は逞しくて凛々しくて、そして風格があるのだろう ――レナに今も温もりを与えてくれている、この漆黒の狼のように。
彼が目を覚ます日は近い。
けれどその瞳に、レナの姿が映ることはない。
心の隙間を埋めてくれた狼に、すっかり情が移っていたレナは、別れが寂しくて仕方がなかった。
「明日、あなたとお別れするわ」
ラフィールとの別れより、辛い別れはもうないはず。そう考えて、レナはサヨナラ続きの自分を努めて励まそうとした。
「あなたは私がいたことなんて、知らないまま生きていくのね」
この狼の瞳の色が知りたかった。
そんなささやかな願いさえも叶わないのは、自然界における、狼とうさぎの関係が「喰うものと喰われるもの」だから。
それは揺るぎないことのように思われて。
ドロン!
(だからせめて今日だけは、あなたの背中で幸せな夢を見させてください)
レナはまたお辞儀をして、狼の背中に寄り添った。
ラフィ「人型のときは、服を着てほしい」
レナ「旅の途中で人化することはないと思っていたから、お洋服もすべて修道院に寄付してしまったんです」
ラフィ「それに狼が俺だって気が付かないまま、迂闊に裸で抱きつくなんて……浮気ってことでいいんだな?」
レナ「ち、違います! 愛玩動物のようなつもりで!」
ラフィ「へぇ? 俺がお前の、愛玩動物ねぇ? 面白いことを言うじゃないか?」
レナ「あわわ……ラフィールさまを愛玩動物扱いした訳では……! (ど、どうしよう。喋れば喋るほど追いつめられていく予感がするわ……)」




