70 前途多難な帰り道
レナのパートなので、気楽な気分でどうぞ♡
すべての手続きと準備を終わらせて、レナは使用人たちが住まう、東棟の玄関扉の前にいた。
「元気でな」
「気をつけて帰るんだよ」
「またいつでも遊びにおいで」
共に働いてきた仲間たちの輪が縮まれば、いよいよ別れのときがやって来る。
胸に込み上げる万感の思い。
不自由になった言葉の代わりに、レナは深くゆっくりとお辞儀をした。頬を滑り落ちる涙も忘れるくらい、今できる最高の笑顔を、懸命に作ってみせる。
心配をかけたくない。
お世話になった皆にも。愛するラフィールにも。誰にも。
レナは彼の部屋に手紙を残したけれど、その内容はあまりにも簡単なものだった。
ペンが動かなかった。
勇気を出して部屋を訪ねた自分を、受け入れてくれなかったラフィールに、届く言葉なんてないような気がして。
任務を終えた彼に、きっと誰かが伝えてくれるはず。
――『レナは笑顔で旅立ったよ』と。
レナの荷物は、小型のトランク1つだけだった。
コツコツと貯めてきたメイドの給金は、贅沢をしなければ路銀には充分足りる。
トランクはメアリ婆さんのお下がりで、レナの細い首には、今朝作ったばかりの小さな巾着がしがみついていた。
巾着はラフィールと出会ったばかりの頃、身につけていた奇抜な柄のエプロンと、今は空っぽになった丸薬の小瓶から外した伸縮性のある紐をとりつけて作ったものだ。
中に入っているのは、ラフィールからもらった結婚指輪。
無事に帰れるかどうか、里に着いた後の自分の処遇がどうなるか。ラフィールへの想いを貫くことが許されるのか。
決意は固くても、不安はある。
レナは掌にすっぽり収まってしまうサイズの巾着を、きゅっと固く握りしめた。袋越しの指輪の感触に願いを掛ける。
――『どうか旅の終着点まで、無事に導いてください』と。
* * *
旅立ちの日は昼前から天気が荒れて、風と雪が街の賑わいを隠していた。
こんな悪天候にもかかわらず、如何にも旅慣れない様子のレナには、ひっきりなしに声が掛かる。特に下心のありそうな、男の人が多かった。
ラフィールと街歩きしたときは、こんなことはなかったのに……。
むしろ男女問わず、遠巻きにされていた。
声をかけてきたその中に、とてもしつこい狼の男がいて、レナがどんなに強く断っても、諦めてはくれなかった。
レナがラフィールと愛を交わしたのは一昨日のこと。
商売女や浮気性な女は別として、マーキング済みの女には、手を出さないのが常識だ。
もし手を出したら修羅場は確定。
特に肉食の男同士が争えば、間違いなく流血沙汰になってしまう。
それにしても、ここまでしつこく言い寄ってくるのは、普通ではありえない。このまま拒み続けて、強硬手段に出られるようなことがあれば……。
レナは一刻も早くその男から逃れたくて。
「おじさまっ。お願いがあります……!」
――ほんの僅かな隙をつき、たまたま通りかかった馬橇を運転している馬獣人のおじさんに、レナは追い縋って助けを求めた。
「もう大丈夫だよ。出ておいで」
匿ってくれたおじさんの声に、レナは馬橇の荷台からぴょこりと顔を覗かせる。
都会は人の往来が激しく、きちんと除雪もされているけれど、田舎へと向かう道は未整備のところも多いから、車輪よりも橇の方が楽だという。
「ちょっと田舎から街まで、商品を卸しに来たんだ」
そう話すおじさんは、仕事を終えた帰り道。
レナは無理を承知で、一緒に連れて行ってもらえないかとお願いした。
また街に戻れば、あの男に見つかってしまうかもしれない。
涎を垂らしているようなぎらついた欲望に、また曝されることを想像すると、怖くて怖くて堪らなくて……。
するとおじさんはくどいくらいに「本当に一緒に来るのか」と確認した後、そのまま荷台に乗せてくれた。
そして日が沈む頃に着いた場所は――。
ウォルフの森をくりぬいてできた、小さな小さな集落。
小さな小さな、とっても小さな……。
「「…………」」
荷台から降りたレナは立ち尽くす。
見渡す限りの雪と森と、いくら目を凝らしても10軒にも満たない民家。
おじさんが、申し訳さなそうに呟いた。
「だから何度も確認したじゃないか」
「え! いえ……大丈夫です……。むしろ故郷に似ていて……懐かしい感じがします……。うん、大丈夫、大丈夫です、たぶん……」
純朴なおじさんは、レナの下手な嘘にもあっさりと騙されてくれた。
「おや、そうかい。なら良かったよ」
「あの……お聞きしても良いですか……?」
「どうぞ」
「宿は、ありますか……?」
「あるように見えるかい?」
「「…………」」
「見えません……。それに宿なんて都会的なもの、私の里にも……ありませんでした……」
「宿は客が来る場所で開くものさ。ははは、お前さんは面白いね」
「ふふふ。本当に、おじさまの仰る通りだと思います」
「納得してもらえてうれしいよ」
「「…………」」
沈黙する2人に、しんしんと雪が降り積もる。
退屈な静寂に飽きた馬たちが、交互にブルルンと鼻を鳴らした。
もう日が暮れてしまったから、今さら他の街まで宿を探しに行くのは現実的ではないだろう。
宿はない。そしてこの集落に、知り合いはいない。
――たった1人、今日知り合ったばかりの馬のおじさんを除けば。
おじさんも心なしかそわそわしている。
レナは心の中で腕捲りして、勇気と共に切り出した。
「おじさまっ。お願いがありま」
「ごめんなさい」
丁寧な瞬殺。
――意外にもおじさんは容赦なかった。
「ううっ……もう少し悩んでくださっても……」
フラれてしまったレナは、とても情けない声を出した。おじさんは律儀に下げていた頭をまた上げた。
「本当にごめんな。ワシの家には年頃の息子たちがいるから、お前さんみたいなマーキング済みの娘っこは泊められないよ」
「馬小屋でも良いですから……どうか……」
「うーん。 念のため確認するが、お前さんの恋人は何の種族だい?」
「狼ですけど……」
「じゃあなおさらダメだ。うちは亡くなったカミさんが狼でね。3人の息子たちは全員狼の獣人なんだ。兄弟喧嘩でも大変なのに、万が一何か間違いが起こって、お前さんの恋人まで加わったら、さすがに死人が出る気がする」
レナはラフィール以外の肉食獣人の男性は苦手だった。それに狼と聞くだけで、日中の恐怖が甦る。
おじさんははっきりとは言わなかったが、息子たちは、女性に対してもかなり積極的なのだろう。少なくとも兄弟で、1人の女を争う程度には。
「「…………」」
絶望がのしかかるレナの肩に、おじさんが優しく手を置いた。
「修道院があるから、そこに泊まれるはずだ。次にワシが街を出るのは2週間は先だから、その間は、修道院で世話になると良い」
「こんな小さな集落に、修道院があるんですか?」
同じくらい田舎でも、レナの里には教会だけ。
ついうっかり漏らしてしまった失礼な本音を、おじさんは聞き咎めやしなかった。
「一応、あるよ。もう皆いなくなってしまって、今は院長のおばあちゃんが、たった1人で維持しているんだけどね。優しいお方だから、お前さんのこともきっと歓迎してくれるはずさ」
おじさんは雪で煙る、集落の中で一番高い建物を指差した。
「ほら、お嬢ちゃん。付いてきな。ワシも院長に用があるんだ」
長老「お主は相手が草食の獣人ってだけで、安心しておると、いつか危ない目に遭うぞ」
レナ「でも馬のおじさまは、良い人でしたよ」
★ 個人差はありますが、草食の獣人は温厚な性格の人が多いです。でもその分、リーダーシップや積極性には欠けています。
次話でまた一気に話が動きます。
あと何話で終わるかな。どうも字数と話数の目算が苦手で(꒪꒳꒪;) あ、頭悪いって言わないで(号泣)




