64 危険な任務
長いです……。
愛し合う2人の想いがすれ違う、少し前。
仕事を終えたばかりのラフィールに、領主は早くも新たな任務を与えていた。
「たった今、知人から悪い知らせが届いた。カタリナの身に危険が迫っている。至急、彼女の護衛に向かってほしい」
領主とて、ラフィールにかなり無理を強いている自覚はあるが、この任務の難易度を考えれば、命令を下せる相手は限られていた。
「御意。然らば彼女は今どこに?」
「ウォルフの森の奥の奥、我が私有地にて、大切に保護している。彼女の体調に問題がなければ、すぐにでもこの館まで連れ戻してくれ。道はガイゼルが知っている」
ガイゼルとは第1隊の隊長で、領主が最も重用している騎士であった。そんな男と若きエースのラフィールが、共に任務につくことはほとんどない。事態がいかに切迫しているかが、それだけでもわかるというもの。
それから領主は今になってようやく、カタリナと知人の関係も含めて、簡単な経緯の説明を始めた。
カタリナとその知人は、迷いの森で出会ったという。
彼らは視線を交わした瞬間に恋に堕ち、触れあったらもう最後、離れることができなくなった。
まもなく2人は、二世を契る。
しかし神の軛に繋がれていた知人は、カタリナを深く愛するがゆえに、妻の存在を世間の目から隠そうとした。
そしてすべてを捨てて恋を貫いた彼女もまた、夫の事情を迷うことなく受け入れた。
けれど愛は如何に尊かろうと、形がない。
互いの愛だけを縁に暮らす毎日に、危機は突然訪れた。
稀有な美貌をもつうさぎのカタリナに、第1第2両王子が欲望の触手を伸ばしたのだ。
領主の義侠心にすがって、知人はカタリナを守ってきたのだが……。
それも所詮束の間のこと。今般ついに彼女の居場所が、王子たちの知るところとなったらしい。
これには宿命から逃げ続けていた知人も、さすがに覚悟を決めたようだ。
彼は領主宛ての手紙を家来に託すと、何年かぶりに因縁の王都へと旅立っていった。
手紙を領主に届けた家来たちには、そのまま妻の護衛につくように命じて。
* * *
夜と雪の静寂に包まれたウォルフの森に、9人の男たちの姿があった。
うち6人はラフィールと同じ栄光の青を纏う狼の騎士。残りの3人はこの館では見慣れない虎の武人たち。
「ガイゼル殿、道案内を頼みます」
虎の武人のうちの1人 ―― 態度からして彼らの纏め役であろう男が、外套を羽織った壮年の騎士に声をかけた。肩には輝く1つ星。
彼こそが、領主の長年の友にして、館の騎士たちの剣の師匠でもある騎士ガイゼル。
特殊任務を得意とする第5隊とは異なり、ガイゼルが率いる第1隊は王宮で言う、いわゆる近衛騎士にあたる存在であり、通常は領主のいる場所から離れずに、主の「盾」としての役割を果たしていた。
ガイゼルは強い。
純粋な攻撃力に関しては若いラフィールには劣るものの、ともかく隙のない戦いをする男だ。
夜に相応しい音量で任務開始が告げられると、場の空気が引き締まる。
「ラフィール、殿は頼んだぞ」
「了解」
指名されたラフィールは、気合いを込めて力強く頷いた。
―― 絶対に失敗は許されない。
道なき道の先陣を、ガイゼルが白い闇を切り裂いて進んでいく。
狼や虎の獣人は夜目が利くため、月のない夜でも道の悪さ以外は気にならなかった。
ペースを掴んで少し余裕ができてきた頃、クラースが斜め前方に位置を変え、隊列の最後尾を行くラフィールに話しかけた。
足音と息づかいだけが響く夜の森。
「レナとは存分に別れを惜しみましたか?」
「近づいてきたと思えば、そんなくだらない話か」
「たまたま警備していた騎士から聞いたんですよ。レナが夜遅く西棟に来たって」
恋人のしどけない姿が思い出され、ラフィールは一瞬だけ立ち止まった。それからまたすぐに歩き出す。
「お前には関係のないことだ」
「でも不思議ですよね。いつものレナなら、プライベートで男所帯の西棟には来ないのに」
「……俺の話を聞けよ」
「レナをあんな大胆な行動に走らせる、何かがあったんでしょうか?」
クラースはそこでわざとらしく間を置いた。
「たとえば虫の知らせを感じた、とか」
ラフィールは嘆息する。
「お前は相変わらず性格が悪いな。まるで俺の身に不幸が起こるみたいに……」
「お褒めに与り光栄です」
殊勝な顔で肩を竦めるクラースを、ラフィールは眼光鋭く睨み付けた。性悪な部下はそんな視線をものともしない。
「でも今回の任務は王家の後継絡みですから、間違いなく今までで1番危険ですよね」
「まぁ、そうだな。それは否定できない」
「断れば良かったんですよ。私だって女の子と過ごす予定があったんですから」
「俺だってレナと会う約束をしていた。アイツが俺の部屋に来たのは、約束したのに行けなかったから、心配しただけだろう」
「女の子に恥をかかせるくらいなら、なおさら断っていただかないと……」
ラフィールにとって仕事は聖域。拒否することは許されない。
それに、カタリナに万が一のことがあればレナが悲しむ。王子たちの横暴も放ってはおけなかった。
「俺も領主さまも、クラースとアーダンのことは頼りにしている。これが終わったら、少し休暇をもらえるように頼んでみるつもりだ」
「期待しないで待っています」
そんな何気ない会話をしながら、ラフィールはレナを部屋に招き入れたときのことを思い出していた。
ラフィールへの「大好き」が溢れた笑顔。「急な任務が入った」と言えば、その言葉だけで忽ち瞳を潤ませて……。
(ああ、そう言えばアイツ。何かを言いかけていたな)
扉を開けたとき、華奢な肩を揺らしていた。
乱れた呼吸が教えてくれたのは、自分のもとまで懸命に駆けてきてくれたこと。
虫の知らせかどうかは知らないが、大体はクラースの言う通りだった。
肉食の男が苦手なレナ。
西棟はそんな男たちの領域なのに、彼女はなぜ、あんな薄着であんな夜中に、ラフィールの部屋を訪ねたのか。
(ただ俺に会いたかったから……? それとも、何か話をするために来た……? だとしたら、どんな話が……)
今さら問いかけてみても、答えてくれる恋人はここにはいない。
ラフィールは正体不明の焦燥に襲われた。
レナを置いて出てきてしまったことを、今になってひどく後悔する。
軽く触れただけの唇の瑞々しさ。柔らかな頬の感触はどんな風だったか。
愛しい恋人の姿が記憶の中で遠ざかり、寒いのにじんわりと汗をかく。
(落ち着け……。タイムリミットまで、残り10日はあるはずだ)
ラフィールは昨夜数えたばかりの丸薬の数を安心材料に利用した。
―― レナが丸薬を落とすなんて、予想もしていなかったから。
(レナの話は任務が終わってから、ゆっくりと聞いてやれば良い)
ラフィールは気持ちを鎮めるために、木々の隙間から月のない空を見た。しんしんと降る雪が儚くも美しい。梢や硬い針の葉に、地面に、雪の上に雪が、音もなく重なっていく。
自分はレナに愛されてきた。
ひたむきな愛情を捧げられてきた。
騎士としての仕事を理解し尊重してくれる恋人ならば、一晩の逢瀬を犠牲にしても、きっとわかってくれるはず。
慣れた優しさに甘えてしまったから、レナの話を聞かなかった。
(しまったな……。こんなに気になるなら、最後まで話を聞いてやれば良かった)
見捨てられた榛色が甦る。
(レナは今、泣いているのだろうか……)
胸が痛い。
張り裂けそうなほど、胸が痛い。
(この任務は、絶対に失敗は許されない)
ラフィールができる贖罪。
そんなものがあるとすれば、それはカタリナとレナを無事に再会させることなのかもしれなかった。
定期的に見直して改稿しておりますが、物語の内容に変更はありません。




