63 すれ違い
数話だけ激動の展開ですが、そのあとはモフモフフィーバータイムがやって来ます。ここをどうか耐えてください<(_ _*)>
レナは丸薬の消えた先 ―― 薄氷のレオニア湖を瞬きもせず見つめていた。
「薬が……大切な薬が……」
「もしかしなくても……ワシのせいかの……?」
失くしたのはラフィールと過ごすはずだった幸せな日々。
そんな大切なものを一時の不注意で失ったレナはすっかり放心状態になっていた。途切れ途切れに紡ぎ出した言葉は、ゴードンの慟哭に飲み込まれる。
「どうすればいいんじゃー?!」
慌てふためいた老医師に至近距離で叫ばれて、レナはハッと我にかえった。
「先生のせいではありません! それに大丈夫です……。大丈夫だと思います。だから先生……泣かないで……ね? 大丈夫ですから……」
レナの根拠のない「大丈夫」では、いくら繰り返したところで大した効果はないらしい。
相変わらずゴードンは、両頬に手を当てて「ワシのせいじゃ、ワシのせいじゃ」と絶え間なく叫んでいた。
「先生っ。今夜、ラフィールさまに相談してみます……だから大丈……」
ところがかの男の名前を出すだけで、ゴードンの絶叫が嘘のようにピタリと止んだ。
「お、ぉぉ! そうじゃ。アイツなら何とかしてくれるかもしれん!」
幸いなことにレナとラフィールは、今夜も会う約束をしている。
レナはゴードンの変わり様に、若干複雑な感情を抱きつつ、ひとまずは落ち着いてくれたことに安堵した。
けれども心の準備は十分とは言えないまま。
崖っぷちに絶たされたレナは、最愛の恋人にすべてを告白することができるのだろうか……。
* * *
レナは自室でラフィールを待っていた。
時刻は夜の11時。
(ラフィールさま……まだいらっしゃらない……)
残り1粒しか入っていない硝子の小瓶を、レナは目の高さまで持ち上げた。手持ち無沙汰を有り余らせて、小瓶を軽く揺すってみる。
ひとりぼっちの丸薬はすぐに透明な壁にぶつかって、行ったり来たりを繰り返すだけ。
ゴードンと別れた後、レナはこっそり待ち合わせの大木まで戻ったが、結局丸薬を見つけることはできなかった。
今夜ラフィールと相談した結果次第では、明日の朝早くには領主館を立たなければならないだろう。旅立ちの翌日から、変化できなくなることが不安だけれど……。
そうこうしているうちにも、時計の針は進んでいく。
逢瀬の夜はいつも、ラフィールがレナの部屋まで来てくれた。そして朝になる前には、甘い気怠さを残して去っていくのが常だった。
午前0時までの秘密が既に暴かれていること。
うさぎのレナも存分に愛でられていること。
引き出しの奥にしまいこんだ非常食が、すごく不味そうだと思われていること。
そんなこと、レナは何一つ知らなかった。
だから寝台でブランケットを握りしめて、真実を話すために時計とにらめっこを続けていた。音を立てて追いかけてくる、無情な秒針に怯えながら。
(ラフィールさまに何かあったのかしら? 例えば、まだお仕事とか……)
ラフィールは常に任務に忙殺されている。
仕事が終わる時間は日によってまちまちだが、それにしては遅すぎる。2人が愛し合えるのは魔法がかかっている間だけ。少なくともレナはそう思っていた。
居ても立ってもいられなくなり、彼女はついに立ち上がる。
貧相なガウンを手早く羽織り、薄暗い東棟の廊下を抜け階段を駆け降りる。赤い絨毯に足音を吸い込ませ、雪降る中庭を突っ切った。近道をして西棟のラフィールの部屋へと向かう。
就寝時間は過ぎているのだから、人気はなく、夜の静寂が辺りを白く包んでいた。雪が浮かぶばかりの闇を駆け抜ければ、弾む息とは裏腹に足もとが冷えていく。
非常口を見張っていた顔見知りの騎士が、驚いた様子でレナをこっそりと西棟の中に入れてくれた。
運良く棟内では誰にも会わなかった。ラフィールの部屋は知っていたが、夜中に来るのは初めてだ。
この期に及び、夜這いをかけるような真似をして恥ずかしいだなんて、そんな暢気な羞じらいを捨てきれなかったレナは、間違いなく必要な危機感が欠如していた。
コンコン……
控えめに鳴らしたノックに扉が開く。
「レナ! こんなところまで……!」
夜着に薄っぺらなガウンを羽織っただけのレナを見て、ラフィールはまず先に眉をしかめた。腕を引き、無防備過ぎる恋人を部屋の中に匿って。
ラフィールはまだ青い騎士服を着ていたから、今の今まで仕事だったのだと、彼女はそのように理解した。
会えた喜びにレナの表情がつい緩む。けれどラフィールは厳しかった。
「夜中にそんな格好でうろつくものじゃない」
「でもお会いしたくて……」
2人は扉付近で立ち話。
いつもならラフィールはレナを寝台まで運んでくれるのに、今夜は何かが違っている。
嫌な予感に胸がざわめき、レナは揺れる瞳でラフィールを見上げていた。
「悪いな。急な任務が入った」
「え……今から……?」
ラフィールは絡まりそうになる視線を強引に外し、視界を覆うようにして前髪をかきあげた。
「もう行かなければならない。お前はこのまま俺のベッドで寝ろ。明るくなるまで出歩くな」
「は……い……」
せっかく会いに来たのに、思いがけず強い言葉で注意され、レナはショックを受けていた。相談すべき重要な事項が心の底に沈んでいく。悲しみが幾重にも降り積もった。
けれど武骨な指が柔らかな頬をゆっくりと伝って顎まで落ちると、そのまま優しく掬い上げられる。
与えられたのは、触れるだけの少し物足りない口づけ。
「良い子にしてろよ。しばらくは留守にする」
そうして彼はレナの横を通り抜けた。
「あ……待って……。お話が……!」
よほど急いでいるのか答えてもくれなくて、隊長の証である外套を手に取って出ていってしまう。
バタン……
無情な音を立てて、扉が閉まった。
丸薬をレオニア湖に落としたことも。
今まで嘘をついていたことも。
明日、館を去らなければならないことも。
それから、別れの言葉さえも。
何もかも、レナはラフィールに伝えることができなかった。
愛する人の寝台で、涙が枯れるまで泣き続けた。
やがて夜が明けたとき、彼女は恋の形代とともに旅立つことを決意する。
(ラフィールさま、愛しています……これからもずっと……ずっと……あなただけを……)
たとえ行き場をなくしたところで、身を焦がすほどの恋心が消せるはずもなくて。
レナはどんなときでも、どこにいても、一生ラフィールだけを愛し続けると心に決めた。
長老「遠い国のアニメでは、正義の味方が変身するシーンで、なぜか敵がお茶をすすってるんじゃ。
キャラによっては丸腰どころかスッポンポンなのに攻撃しないとは……。まったく、時間を無駄にしておるわい」
レナ「お茶は飲んでいないと思いますけど……」
長老「(聞いていない長老) だからレナも『……』とか接吻の前後とかに、50倍速できちんとラフィールに相談すれば良かったんじゃ」
レナ「え……無理です……Σ( ̄□ ̄;)」




