62 心の準備もできなくて
GWスペシャルで長くしてみました。
え?! 偶然とか言わないで(。-∀-)
「集合場所はいつもと同じじゃ。今日はワシが森に入るから、お主はレオニア湖周辺を見て回ってくれ。風に煽られて湖に落ちたりしないよう、くれぐれも気をつけるんじゃぞ」
「先生こそ、どうかご無理などなさらないでくださいね」
「うむ。お互いに気を付けなければなるまいて。人生は何が起こるかわからないものじゃからな。ふぉっふぉっふぉっ」
生来の明るさを復活させたゴードンは、レナの覚悟さえ決まれば、あとはラフィールが何とかしてくれると信じていた。
けれど心配性なレナは、そこまで楽観的になれずにいる。
未来へ漕ぎ出す舟の櫂は、今や彼女の手にしっかりと握られているはずなのに、陽気な笑い声がどこか遠くに感じられて……。
「じゃあ後ほどな」
「はい、またお会いしましょう」
再会を願う挨拶を守りたい。
強くなる風と雪に煙る背中を、レナは感慨深く見つめていた。揺らいだ傘が視界を塞ぎ、しばらく風圧に耐えてから傘を上げる。
そこには、もう誰もいない。
あるのは静寂に包まれた、冷たいウォルフの森ばかりだった……。
* * *
(これは止血の薬草。こっちは毒消し……。痛み止めに熱冷まし。吐き気止めに化膿止め……)
ゴードンと別れて早々に、手持ちサイズの小ぶりな籠は貴重な薬草でいっぱいになっていた。レナは中身が飛ばないように、零れ落ちそうな薬草に手を添える。
寒い季節に生える薬草は、良く効く稀少なものが多かった。その代わり見つけるのは困難で、一般的に採取には不適とされる時期である。
けれども迷いの森随一の知恵者から、豊富な知識を受け継いでいるレナにとっては、時期はまったく問題にならなかった。
採取を終了すると、約束した場所 ―― 寒さに負けず青々とした葉を繁らせて立つ大木の下へと足を向ける。
ウォルフの森が『文明の森』と呼ばれるのに対し、迷いの森は『未開の森』と侮られていた。そして未開だからこそ、未知の発見と可能性に満ちているとも。
しかし両方の森を訪れたレナは、それはあまりにも単純な評価だと感じていた。
たしかにウォルフの森は人の手が多分に入っているけれど、領主の私有地となるその奥地、野生の狼たちの縄張りの深遠には、きっと見たこともない神秘が隠されているに違いない。
では評価を分けるものは何か。
森と共に生きる迷いの森の住民たちにはあって、ウォルフの森から抜け出した街の人たちにないものは何か。
答えは ―― 培ってきた経験と知識。
だからこそ優れた研究者であるゴードンは、大切な助手兼お世話係のマチルダを、迷いの森近くの街に残るように指示したのだ。
そのマチルダも間もなく帰ってくるという。現地の稀少種族は外界との交流を断っているとは言え、彼女はきっと幾つかの有用な知識を持ち帰ることだろう。
(まだ先生は着いていないようね)
色々と思考で遊びながらレナが待ち合わせ場所に着いたときには、予想通りゴードンはまだ来てはいなかった。
大人が4人ほど腕を回したくらいの太さをもつ大木は、水を好み、根っこの一部が湖に浸かっている。
その根の下は生き物の棲み処となっていて、隆起した根はりと凹凸の激しい幹は、雨や風雪からいつも人間を守ってくれるありがたい存在だ。
傘を畳んで籐の籠を木の虚に置く。レナはここで相手を待つ時間を利用して、いつも薬草の下処理をしていた。
身を乗り出して湖に浮かぶ透明な氷の隙間に薬草を浸し、揺すって泥を落としていく。それからそれぞれに不必要な部分を取り除いた。
風はほとんど遮られてはいたけれど、ゴードンの注意を思い出して、落ちないように気をつけながら。
しかしすべてが終わっても、まだゴードンは現れなかった。レナの頭を不吉な考えが支配する。
(まさかどこかで倒れているなんてこと……)
老医師の体調を考えれば、あまりに遅いようだったら探しに行った方がいいだろう。しかしすれ違いになってもいけないので、レナはもうしばらく待つことにした。
レナは籠を置いたすぐ隣、太い根っこが盛り上がっているところに足を投げ出すようにして腰掛けた。
ただ待つのも落ち着かない。
レナはついに、変化の丸薬の残りを数えることを決意する。
胸元から紐で吊り下げた小瓶を引っ張り出し、中身をすべてあけてみた。
掌で作ったお皿に転がる、小さな小さな丸薬たち。
(2、4、6、8、10……。あと10個……)
レナはぎゅっと手を握った。
(変化できるのは残り10日。でも帰りの道中も変化しなければいけないから……)
レナがラフィールの馬に相乗りして、領主館まで来たときには、たしか1週間弱かかったはず。
つまり単純計算で、館にいられるのは残り3、4日というところだろう。
姉も見つからないまま帰っては、レナは恋をするために狼領主の館に来たようなものだ。
でも今はその運命の慈悲に感謝するべきなのかもしれない。
一生ものの恋に廻り合い、女として愛される喜びを教えてもらったのだから。
(数日のうちに、ラフィールさまにすべてをお話しないといけないのね……)
そう頭ではわかっていても、やはりラフィールに相談するのは怖かった。
恋の花を咲かせるには、信頼関係の土壌が欠かせない。
のっぴきならない事情があったにせよ、レナがラフィールを欺いてきたことは紛れもない事実で……。
恋人を信頼していなかったから打ち明けなかったと、そう捉えられてしまえば、彼もまたレナに不信感を抱くかもしれない。
信頼を失った恋の花は、もう咲けない。
大好きな相手だから不安になる。
嫌われる可能性がほんの少しでもある限り、臆病の虫はレナの恋心に巣くったまま。
(ラフィールさまに話すの……やっぱり怖い……。でも話さないと、このまま離れ離れに……)
だから儚い希望にすがってしまった。
(別れたくない……! あの人とずっと一緒にいたい……!)
数え直せば猶予が与えられるかもしれないなんて、そんな馬鹿なことを考えて。
1粒1粒小瓶に戻すついでに、もう一度数えてみることにした。左手に小瓶をもち、右手で作った皿から丸薬を落としていく。
「い……ち……。あら……?」
緊張で掌に汗をかいて、湿った皿から丸薬が動かなかった。
予想外の事態に慌て、レナは右手を大きく反らし、落ちやすいようにして仕切り直す。
「いち。に……」
レナは気が付かなかった。
「に……」
落ちない丸薬に苦戦して、進まない数を繰り返していたから。
「に……」
寒さに震え、風邪をひいているゴードンが背後に忍び寄っていることにも。
レナは掌を傾けた。
危うい均衡で踏み止まっていた丸薬のうちのその1粒を、空いている左手の小指でギリギリのところまで誘導し……。
「ぶぇーくしょんっっっ!」
「!」
レナの肩が大きく揺れた。
そこにいたのは上機嫌のゴードン。
「寒い寒い。レナは相変わらず早いのぅ。でもワシも今回は負けておらんぞ。かなり採取できたんじゃ! ちょっと欲張りすぎて遅くなってしまったが……。
うぅ、へっくしょい。それにしても寒いわい。帰って暖炉に当たるぞい。おっ、レナはもう水洗いまで済ませたのか? さすがにワシのレナは偉いのぅ……ん? どうした?」
「く、薬が……」
振り返ったレナは可哀想なくらい血の気が引いていた。ただでさえ白い顔は真っ青になっている。ゴードンも異変を察知した。
「薬?」
ゴードンは華奢な掌を後ろから覗きこむ。それからいぶかしげに問いかけた。
「何も乗っていないぞ」
気まぐれな運命は、時として残酷だ。
レナがラフィールの傍にいられるのは、あと何日?
答えは ―― 残り0日。
長老「丸薬はとても小さいから、小瓶の中で転がると数がわかりにくいんじゃ。でも大体の残数は、何となくの雰囲気でわかってしまうがな」
レナ「遠い国のミン◯ィアとかフリ◯クよりも小さいですよね」
長老「そうじゃな。仁丹くらいの大きさじゃ」
レナ「あの……仁丹って何ですか?」
長老「く、若者めっ……」
☆ 1粒だけ残っていますが、帰り道は1週間弱かかるので残り0日です。




