59 先輩メイドの悪だくみ
表紙をいただきました(〃ω〃)
1話目のラストに掲載しています♡
領主館のあるウォルスタの街は、森と湖がもたらす豊かな恵みによって栄えてきた。
ウォルフの森で空を抱く、深淵なる「巨人の鏡」レオニア湖。
そしてここは湖畔に建つ領主館の厨房の片隅。
ザァー……
カチャリカチャリ
レナは食器についた泡を丁寧に洗い流すと、水切り籠に立てて並べていった。それを半年ほど先輩にあたる猫のメイドが流れ作業で拭いていく。
洗い場から窓の外を眺めれば、この季節にはありふれた灰色の空と舞い落ちる雪……。
既に薄氷が張っている湖から引かれている水は、指先が千切れてしまいそうなほどに冷たかった。
「ラフィール隊長とは順調なの?」
綺麗になった皿を重ねながら、先輩メイドは隣にいるレナに声をかける。人手が足りないので2人きり。2人以外、誰も会話を聞く者はいなかった。
「はい」
レナは小さく頷いて、次の皿を手に取った。
先輩メイドは魅力的な黒猫の獣人。けれど他人の恋愛事情に、やたらと首を突っ込みたがるのがたまに傷。
そんな先輩メイドは、しばしばレナとラフィールの恋の話も聞きたがった。
「順調だと、思います」
「『思います』ねぇ。昨日も会ったの?」
「えっと……」
レナは昨夜の熱を思い出して口ごもる。
「隠すことないじゃない? 隠すからイヤらしいのよ」
「あの……はい……お会いしました……」
ちなみにラフィールは、この黒猫メイドのことを蛇蝎の如く嫌っていた。
恋人を大切にするラフィールは女にも貞淑さを求める傾向にあり、常に複数の雄の匂いを漂わせるお盛んな彼女とは、根本的にそりが合わなかったのだろう。
「お熱くて結構なことね。あんまり見せつけると、彼に相手にされなかった女の子たちから恨まれちゃうわよ」
先輩メイドがわざとらしくため息をついたので、レナは少し居たたまれなかった。
今夜もまた会う約束をしているなんて、とてもじゃないが言えそうになくて。
「そうですね……、気を付けます」
「何よ、そのいかにも適当な返事。彼を狙っていた女の子たちに興味はないの?」
レナは濯ぎ終わった皿を立て掛けると、少し悲しそうな顔で呟いた。
「興味がないというか……。他の女の人とどうだったかなんて、そんな話は聞きたくありません……」
レナは愚かな臆病者。
聞いてみれば大したことのない話かもしれないのに、先回りして不安になり、本当に傷つく前にさっさと逃げ出してしまうのだ。
「あなたっていつも自信が無さそうね。ラフィール隊長が可哀想。どうして『順調です』って言い切れないの?
それにもうすぐあなたの契約が切れるって、メアリ婆さんが嘆いていたわ。どうなの? ここを出てもラフィール隊長との関係は続けるつもり?」
矢継ぎ早の質問はレナを容赦なく追い詰めた。
「それは……」
気がつけば、あれだけ見ないふりをしてきた未来が、レナの後ろで息を殺して立っている。
水はいつでも滑らかに落ちていくのに、レナの口からは言葉がつかえて出てこなかった。
「遠距離恋愛は辛いわよ。発情期の女が側にいれば、男なんて皆そっちに行っちゃうんだから。泣くのはきっとあなただわ」
発破をかけられ、レナは唇を引き結んだ。
「ラフィールさまはそんな男じゃありません」
先輩メイドはにっこりとうれしそうに笑う。
「あら、やっと言い返すのね。珍しいわ」
嫌な仕事を押し付けて、その手柄だけを奪っても、不満1つ言わないレナ。
水仕事で赤くなっている指先が痛々しくて、先輩メイドは目をそらした。
レナを都合良く利用してきた立場でも、ここまで人が良いと、要らぬ罪悪感を抱いてしまう。
感情の揺れが先輩メイドを饒舌にさせた。
「まぁ私としては、ラフィール隊長とは別れてもらって、これを機会にもっと上の男を狙ってもらいたいんだけどね」
「え……?」
何やら風向きが変わってきたのを感じ、レナは泡だらけのグラスに伸ばした手を止めた。
「あなたなら後宮入りも可能だと思うの。真剣に考えてみたらどうかしら?」
「後宮って……。国王様のための、あの後宮ですか?」
「そうよ。でも国王陛下だけではなくて、王子殿下のための場所でもあるのよ。
獅子の男児を先にもうけた王子が立太子されることが決まっているから、既に第1王子と第2王子のために、沢山の女性が集められているわ」
レナはありったけの想像力をかき集めて、きらびやかな宮殿と着飾った女性たちの姿を脳内で描いてみた。
―― 心が、まったく動かなかった。
「たった一夜の情けでも、運良く獅子の男児を授からば、未来の国母になれるのよ。そうなれば贅沢は思いのまま。かしづく女官たちを顎で使って、自分の意に沿わない者たちは打擲したって、誰もあなたを止められないの」
あまりにも突飛な話に落ち着かなくなったレナは、途中で先輩メイドの話を遮った。
「あの……私は大丈夫です。ラフィールさましか考えられないので……」
レナは金銭的な豊かさには興味がない。
好きな人と家庭を持ち、小さな幸せを重ねる毎日こそが、最も尊いと思っている。
それに突然後宮はどうかと言われても、田舎者のレナには全然ピンとこなかった。
「相変わらず欲がなくてつまらない子ね」
「すみません」
「いいわ。ラフィール隊長の目が黒いうちは、あなたの後宮入りなんて無理なのはわかっているから。
―― ところで契約はいつまでなの?」
「あと1ヶ月あるかどうか……」
本当は、とうの昔に1ヶ月は切っていた。
未だにレナは薬の残数を把握していなかったけれど、一粒一粒消えていく小瓶を眺めれば、嫌でもわかってしまうことがあった。
懸命に掬い上げた幸せが、指の隙間から零れ落ちていく夢を見る。
この薬がなくなる頃には、覚悟が決まっていると思いたいけれど……。
変化の丸薬が無くなったときが、初恋にサヨナラを告げるとき。
万が一今日突然別れることになったとしたら、愛し愛されたレナの心は、硝子よりも粉々に砕け散ってしまうだろう。
いっそのこと、ラフィールから手酷くフラれてしまえば、覚悟が決まるのかもしれなかった。
今回出てきた黒猫の先輩メイドは、23話でメアリ婆さんが言っていた「いや、しばらく新しいにゃんこは見たくないね。今いるにゃんこも、やる気がないんだかあるんだか」と同一人物。
意外と重要なにゃんこちゃんです(ФωФ)
ラフィールは館にいられる夜は、さみしがりやのレナのため、なるべく一緒に過ごすようにしています。2人はお互いを思いやり、とても仲良くしているんですが……。




