58 うさぎの正体
領主の赤い手はしもやけでした(*´∀`)
今回は長くなってしまいました。
「まずははっきりとさせておこう」
領主は籐の籠を机上に置くと、再び慣れた手つきでカタリナを外に出した。
顔と前脚の下に手を通せば、身体がだらりと伸びて、惜しみなく腹部を晒す格好となる。
それに慌てたのはラフィールだ。
ギリギリのタイミングで目をそらし、レナに責められるべき事態を避けた。
けれど領主はラフィールの努力を無駄にして、鼻の先が触れそうなほどの距離にカタリナを近づけてくる。
「この子は雄だ」
「は?」
「信じられないなら、自分の目で一度確かめてみると良いだろう」
ラフィールは半信半疑でモフモフの毛をかき分けた。
「く。これは……!」
雄だった。
狼との違いはあれど、間違いなく雄だった。
「納得したか? 誤解があったようだが、この子は正真正銘お前と同じ年くらいの雄うさぎだ。もちろん特殊な能力がある訳でもない」
(俺はただのうさぎ ―― しかも野郎に向かって、あんな気を遣って話しかけていたのか? 何てことだ……)
真実を知ってしまうと、羞恥や落胆、困惑といった雑多な感情に襲われた。奥歯を噛みしめて感情の波濤に耐えるラフィールに、領主は率直に詫びをする。
「すまなかった。この色彩のうさぎにはとても親近感があってな。ラフィール、お前も同じであろう?」
領主はラフィールを、うさぎ愛で繋がった同好の士と見なしていた。その上で今回ばかりは、わざわざ「この色彩のうさぎ」と限定した意図を読み解く必要があるだろう。
おそらく答えは1つしかない。
領主はカタリナではなかったうさぎを、丸めるようにしてしっかりと抱え直した。
その後もまた縷々面々と、記憶にも残らないような話が続く。
途中、ラフィールは廊下へと繋がる扉に足音も立てずに近づいた。彼は領主の話を遮らず、そして領主もまた若き騎士に話かけることをやめなかった。
バンッ!
爆ぜたような勢いで、重たい扉が開かれる。
(もういない……)
左右に伸びる廊下は無人。
ラフィールは再び領主のもとへと戻っていった。
「間者は逃げたようだな」
「お気づきだったんですね」
「いや、偶然だ。いつも気を張っている訳ではない」
領主は長く息を吐いた。
「また戻ってくるかもしれぬな。私がお前を重用していることは、この館における周知の事実。ほかにも私の周りの少数の人間から、不穏な気配を感じるとの報告を受けている」
すなわち探られているのは、領主と有事の際に密命を受けるであろうごくわずかな家臣たち。
そして領主は一介のメイドに過ぎないレナについても、ラフィールの恋人である以上は無関係ではいられないと言及した。
例えば命懸けの任務の場合、多くの騎士たちは恋人との別れを惜しむ。領主はラフィールに、レナに向ける感情や態度にも厳に気を配るべきだと警告した。
領主は雄うさぎを机に下ろす。うさぎは前脚を籠に引っかけると、ひくひくと鼻を動かして匂いを嗅ぐような仕草を見せた。
「さぁ、この話はおしまいだ。気分転換にお前も餌をやってみるといい。一生懸命食べる姿は可愛くて癒されるぞ」
領主は籠から人参を手に取るや、軽々と真っ二つに折ってしまった。そしてその片方をラフィールの手に握らせる。
「この人参をやればいいんですね? わかりました……。わかりましたから、もう少し離れてもらっていいですか?」
「なぜだ?」
「近過ぎます。そんなに心配なさらなくても、餌くらい上手くやってみせますよ」
吐息がかかるほどの距離は、あたかも愛を語らう恋人同士。ラフィールがある種の危機を感じて遠ざかると、また距離を詰められるの繰り返し。極度の緊張を強いられて、癒しからはほど遠い苦行に、彼は時が流れるのをじっと待った。
そのとき。
『カタリナは私が安全な場所で保護している』
突然耳に流し込まれた、あまりにも衝撃的な領主の告白。
ラフィールが思わず横を向くと、唇さえも触れそうな近さに後悔した。次に叱責が飛んでくる。
「よそ見をするな! 餌やりはこの子の体調管理も兼ねた重要な任務であると心得よ」
「はっ。承知いたしました」
大柄な男2人が真面目な顔で、うさぎを挟んで肩を寄せ合うこの光景。
むさくるしくも微笑ましい餌やりの場面に見えなくもないし、それにこの至近距離ならば、もし仮にねずみが戻ってきたとしても、話を盗まれる心配もないだろう。
雄うさぎは人参を前脚で器用に持って、しゃくしゃくと一定のリズムを刻んで食べていた。
『なぜ彼女を保護しているのですか?』
雄うさぎの胃に収まっていく人参を見送りながら、ラフィールは率直な疑問を口にする。いつまでも手元で保護するよりも、信頼できる騎士に命じて彼女を家に送り届ければ済む話のはず。
『彼女は王家の後継争いに巻き込まれた。居場所を知られればどうなるかわからない。良くて後宮入り、悪くて命を奪われてしまうだろう』
『まさかレナのお姉さんが、そんな大変なことに巻き込まれていたとは……』
ラフィールは驚きを隠せなかった。
雄うさぎにもう半分の人参を差し出すと、それも瞬く間に消えていく。次にチモ草を渡された。
『レナの正体もご存知だったのですか?』
『うさぎの獣人であることか? それは勿論知っていた。カタリナが以前、里秘伝の丸薬の存在や家族の話をしてくれたことがあってな。レナを見てすぐにわかった』
チモ草も次から次へと催促される。ラフィールは休む間もなく餌をやり続けなければならなかった。
「よく食いますね」
「繁殖に備えているんだろう。うさぎは精力旺盛だ。庭で放し飼いにすると、どこかで雌うさぎをひっかけてくる。相当なプレイボーイらしい」
「…………」
「おい。嫌そうな顔をするな」
領主が彼女を保護することになった経緯も気にかかるが、それにしても困ったことになった。
カタリナが王族に目をつけられたとなれば、表に出てくることは難しいだろう。
早くレナを安心させてやりたいのに……。
『わずかな時間でも姉妹を再会させることは可能ですか?』
『残念ながら今はまだできない』
『…………。そもそも領主さまとレナのお姉さんは、どういった経緯でお知り合いに?』
『知人から彼女の世話を頼まれた。それに私もカタリナを守ってやりたかった。迷いの森も我が領地。そこに住んでいた彼女もまた、私が守るべき対象であろう』
領主には苦い過去がある。
昔この辺境の地で見初められ、無理やり後宮に召し上げられた娘がいた。
国王は辺境の地の慰めとして、その娘を準備するように先代の領主 ―― つまりは今の領主の父親に命じた。父親は泣いて嫌がる娘を苦悩の末に国王へ差し出したという。国王はいたくその娘を気に入り、王都へと連れて帰った。
そしてまだ若く未熟だった領主は、王に屈した父親の行いに何一つ物申すことができなかった。
夫と産まれたばかりの赤子がいる娘を手込めにするなど、道義的に決して許されることではなかったのに……。
娘の悲痛な叫びが今もなお、耳にこびりついて離れない。妻を得て改めて思い知る、愛する者を失うことの絶望。
後々となって領主が風の噂で聞いたのは、残された夫と赤子、召し上げられた娘、それぞれが皆不幸になったこと。
どのような事情があるにせよ、幸せだった家庭を自分の父親が壊してしまった罪は重い。
『ラフィール、しばらく待て。レナにはまだ何も言うな。いいか、これは命令だ。
レナがカタリナの妹であることを、おそらくまだねずみは知らない。種族を変える薬なんて常識ではあり得ないからな。だからこそ下手なことを話してレナまで巻き込むな。彼女は秘密の共有には向いていない』
『…………御意』
ラフィールは反論できなかった。
いつの間にやら空っぽになった籐の籠。その横で転がっているぽってりとした腹の茶色のうさぎ。
(レナの丸薬が尽きる前に、彼女に真実を教えてやれるといいが……)
レナにはもう時間がない。そのことを知っているラフィールは歯がゆい気持ちをぐっと堪えた。
ラフィ「まさか雄だったとはな。それにしても俺は、領主さまのあのうさぎをあまり好きになれそうもない」
長老「嫉妬ですかな? ラフィールさま」
ラフィ「何をバカなことを。相手は獣人ではなく、ただのうさぎだぞ」
長老「ならばこの雄うさぎと一緒に、獣型のレナを金の檻に入れてみますか?」
ラフィ「……絶対にやめてくれ(怒り)」
☆ 次はやっとレナのターンです。話の全容が見えてきましたね。




