57 領主さまには内緒の話
やっと投稿できました。リアル多忙につき遅れてしまい、申し訳なかったです(>_<)
「私は餌をとってくる。お前はこの子と一緒に待っていてくれ」
領主は檻に戻すため、抱きしめていたうさぎを遠ざけた。不安定な状態に驚いたのか、焦げ茶色の4本脚が虚しく宙を蹴り上げる。
『檻の中はイヤ……!』
惚れた女と同じ耳と尻尾をもつ、言葉を失くした哀れな獣。
声ならぬ声がレナのもので再生されて、一旦は引き下がると決めたラフィールの心が揺れ動く。
悲痛な叫びを前にすると、レナを連れてくる時間さえも惜しくなった。
「くれぐれも勝手なことをするなよ。この子は私によく懐き、私もこの子を愛している。……わかるな?」
「はい」
領主は抜け目なくラフィールを牽制すると、素早く金の檻の扉を閉めた。
「すぐに戻る」
名残をちらつかせて領主が消えると、部屋に残されたのは1人と1羽。
カタリナらしきこのうさぎは、今もまだ領主が消えた扉の先を見つめている。
切なさと悲しみを宿す横顔がレナと重なったその瞬間、既に得ていた幾つもの相似を、感傷が完全に纏めあげた。ここに至りラフィールは、領主の大切なうさぎがレナの姉であると確信する。
「おい」
『!』
跳び上がった衝撃で、檻が俄に騒がしい音を立てた。
(気の強そうな女だな)
震えながら睨みつける意気や良し。そうラフィールは思いつつも、こみ上げる苦い笑いは到底こらえきれるものではない。
(未来の義弟にこの態度。まったく……。先が思いやられることだ)
カタリナはラフィールよりも年下の18歳だが、レナと結婚すれば彼女の方が「姉」になる。
しかし彼女は強い意思をもって震えを完全に抑え込んだらしい。誇りすら感じさせる動作で、狼のラフィールから最も遠い檻の角へと悠然と移動する。
ラフィールは感心した。
(このお嬢ちゃんはなかなかに豪胆だな。それにしても領主さまの胸に抱かれている最中でさえ、まったく発情香がしないとは……女とは思えない……)
獣人の女には排卵を伴う発情期があり、ほぼすべての種族は一定の周期に基づき発情する。但しうさぎの獣人だけはその例外。
発情期が多いとされる彼女たちに定まった時はなく、発情の撃鉄を起こすのは男の欲望で、最終的に引き金を引くのはあくまでも女の気持ち。
領主には愛する妻がおり、道ならぬ恋は誰かの幸せを奪うことを考えれば、彼女から発情香がしないことはむしろ大いに歓迎すべきことだった。
(わからない)
おっとりしているレナとは違い、カタリナは元気が良くてお転婆な印象だ。気位の高そうな彼女が恋愛感情ももたない相手に、大人しく飼われ続けていることに違和感を覚える。
(逃げ出さない理由は何だ?)
情が移ったとか、帰り道がわからないとか。その理由が簡単なものであるほど解決までの道筋はつけやすいだろう。
一度廊下に出て領主が戻ってこないことを確認すると、ラフィールは再度カタリナに話しかけた。
獣型でも特定の動作を指示することで、簡単な意思の疎通は可能だ。
「お前にも家族がいるんじゃないのか?」
長い耳がぴくりと動く。
「こんなところにいていいのか? 家族が ―― 妹が心配している」
慰撫するように優しく話しかけると、うさぎがストンと腰を下ろした。まるで話を聞いても良いと言わんばかりに。
「俺が領主さまを説得してやろうか。もといた森で幸せに暮らせばいい。こんな狭い檻の中でいつまでも暮らす必要はない」
円らな瞳は、ラフィールが信頼に足る男かどうか、よくよく値踏みしているようだった。
「俺の話がわかるか? お嬢ちゃん。わかるなら………… ――っ!」
そのとき。
「ラフィール」
地を這うような声がした。
「『!』」
カタリナが最大級に跳躍して、ラフィールは弾かれたように振り返る。
「領主さま……」
ラフィールは迂闊な自分に舌打ちした。
そこにいたのは袖を捲った無表情の領主。
大きな手にはしっかりと籐の籠が握られていた。
中には葉っぱのついたままの色鮮やかな人参と、瑞々しい青さを放つチモ草の束。
(まずい。話を聞かれてしまったか……くそっ!)
忠誠心を疑われるような行動をしてしまったことをラフィールは深く悔いた。無理やりカタリナを逃がす気はないが、結果としては同じこと。
「ラフィール」
感情の読めない低い声は掠れていた。そして腫れたように赤くなっている手で拳を握る。
(なるほど。餌を取りに行っただけにしては、妙に遅かったはずだ)
おそらく領主は道すがら、誰かを殴ってきたに違いない。
領主は基本的に温厚だが、肉食の獣人らしく血の気が多いところがあった。それに以前「男には拳と拳を交えることでしか、わからないときがある」とラフィールを慰めてきたことがある。
(あれはたしか5年前のお月見の宴の日。やはり警備を担当していた俺が、恒例の乱闘騒ぎの対応で疲れ切っていたときだ)
ちなみに嬉々として乱闘に加わっていた領主は反省し、翌年以降は乾杯の音頭だけを取って、部屋で家族とゆっくりと楽しむスタイルに変えたらしい。
「領主さま、今のは……」
領主の顔がじりじりと近づいてくる。ラフィールは敬愛する領主と戦いたくはなかった。
「「…………」」
大きく走った頬の傷、凍りついた色の冷たい眼差し。彼のすべてが威圧的で、ラフィールを恐ろしく脅かした。
ラフィールは覚悟を決める。カタリナが重たい沈黙を見守っていた。
「僭越ながら申し上げます。やはりこのうさぎは森に帰してやるべきでしょう。どれだけ領主さまが愛情をかけようとも、この子にはこの子の家族がいます」
レナの姉ならばラフィールにとっても大切な存在。領主に話を聞かれてしまった以上、ここで退くわけにはいかなかった。
ラフィールは守るべき存在の前で堂々と立つ。
自分の身を投げ出してでも愛する女の家族を救いたい。レナを変化の苦しみから解放してやりたい。
(さすがに命まで取られやしないだろう)
ラフィールの覚悟に心を打たれたのか、領主もまた覚悟を決めた。金の檻を背に庇う、若き騎士が眩しくて目を細める。
「……お前には本当のことを話さねばなるまい」
ラフィールが守ろうとしているもの。
それはこの国の未来。
そして領主の希望の光に違いなかった。
レナ「領主さま。ただ餌を取りに行ったにしては、随分と遅かったですよね。一体どちらに行かれていたのでしょう?」
長老「うむ、時間がかかって当然じゃ。畑から人参を抜いて、野生のチモ草を刈り取り、それからおいしい水で丁寧に洗ってきたんじゃからの」
レナ「えっ! 外は雪ですよ(´⊙ω⊙`)!? お水、冷たそう……」




