56 うさぎと狼
知らないうちに檻から出していたうさぎを抱いて、領主は強い決意とともに口を開いた。
同類のラフィールをじっと見る。
「この子はウォルフの森の奥深くの地で倒れていた。毛皮は血にまみれ、身体には鋭い牙の痕があった。おそらくは狼の仕業だろう。
自然に帰せば、今度こそ、狼の餌食となってしまう可能性が高い。……いや、人に愛された記憶が仇となり、人の手によって殺されてしまうかもしれないな」
「だから手放すことはできない」と、領主は尤もらしく並べてみせた。
なるほど、たしかに領主の言うことにも一理ある。ラフィールとて、レナがウォルフの森に1人で入りたいと言えば、全力をもって止めるだろう。
人里に近い森は弓矢に狙われ、卑怯な罠にかかる虞がある。人里から離れれば、飢えた狼たちが待っている。
ウォルフの森は野生の狼の縄張りだ。
レナの故郷の迷いの森とは違い、それなりに人の手も入っているが、充分に慣れた人間でなければ命さえも脅かされる危険な場所。
もちろんそんな厳しい森にだって、野うさぎのような捕食される側の生き物たちも棲んでいる。そうでなければ捕食者たちは生きられない。
「怪我をしていたところを保護したのは、領主さまなのですか?」
ラフィールは領主の言葉に、針の先ほどの引っ掛かりを覚えて問い返した。領主はウォルフの森の奥地に、一体何の用事があったのだろうか。
すると領主は虚をつかれたように、少し慌てた素振りを見せた。
「いや……保護したのは知り合いだ。最初は頼まれて世話をしていたんだが、懐いてきたからそのまま貰い受けることにした」
ラフィールはその知り合いについて、嫌みでも何でもない率直な感想を口にする。
「狼の獣人にうさぎを預けるなんて、その人は勇気がありますね」
領主は眦を上げてラフィールを睨み付けた。
「聞き捨てならんな、ラフィール。お前は、私が知り合いに頼まれた生き物を喰らうような男に見えるのか?」
「…………」
「おい、なぜ黙る? お前でも我慢するだろう?」
「…………。はい、努力はすると思います」
曖昧な返答をしたラフィールは、実はレナと付き合ってからも普通にうさぎ肉を食べていた。
そもそもほとんどすべての哺乳類に獣人がいるのだから、恋人や友人の種族を気にしていたら菜食主義者になるしかない。そしてラフィールはそんな食生活を送る気はさらさらなかった。
肉食の本能を抑えれば草食化してしまう。狩猟本能や闘争心を失った騎士は弱い。
(領主さまが肉として喰わなくて良かった)
食欲を我慢した領主の人情深さと男気に、ラフィールは改めて感謝した。
ラフィールは両親を知らない。彼の幼い記憶は、教会が運営している孤児院から始まっている。
孤児院もそんなに悪くはなかったが、領主のもとで働く今の方が恵まれていると、ラフィールは心の底から思っていた。
父親のような領主。世話焼きで優しい姉のような領主の妻。
口うるさいメアリ婆さんは母親のようだったし、物知りでわがままなゴードンを見る度に、祖父がいたらこんな風なのだろうかと夢想した。
自分の家族をもつことができたなら、それはどれほど幸せなことなのか。
ラフィールは長年の理想を、愛するレナと形作ることを夢見ていた。
そのためには ―― 。
(このうさぎがレナのお姉さんであることを伝えれば、領主さまは間違いなく、すぐに彼女を解放してくださるだろう)
「うさぎ」だと思っているからこそ、領主はこうして飼っていられるものの、「うさぎの獣人」で使用人の身内であるとわかれば話は別。
狼は独占欲と縄張り意識が非常に強い。
しかし領主の場合、独占欲は責任感に凌駕されることもわかっている。
館で働く使用人や彼に仕える騎士の幸せを、誰よりも願ってくれる ―― それが領主という人だ。
(あんなに可愛がっているのにな)
ラフィールがその真実を告げるとき、領主はかけがえのない家族を失うだろう。
赤ん坊でも撫でるような優しい手つきと穏やかな眼差し。そのすべてがラフィールの胸に突き刺さった。
(領主さまには申し訳ないことになってしまう。だが……)
レナのためにもカタリナのためにも、領主には涙を飲んでもらう他、道はない。
それにしても、領主の胸に抱かれているうさぎがカタリナだという確証がない現状でどうしたものか。
この国におけるうさぎの獣人の立場は複雑だ。
獣型では会話すらできないが、人型に戻れば性的に搾取される可能性がある以上、獣型で安全が確保されているのに、わざわざ人型に戻る愚は犯さないだろう。
だとすれば取るべき手段はただ1つ。
すべてを領主に話すこと。それしかない。
ラフィールは順序を丁寧に確認した。
(まずはレナに、俺があいつの正体を知っていること、領主さまのもとにお姉さんらしきうさぎがいることを説明する。それから再度レナと共に領主さまを訪問し、レナとうさぎを対面させる。
もしあのうさぎがお姉さんなら、妹に会えば、人型に戻る気になるはずだ)
今日は一旦引き下がろうと、ラフィールは結論付けた。
レナの姉探しが終わりに近づいたことは、ラフィールにとっても喜ばしい。
プロポーズの返事を待たされている状態が続いているが、お姉さん探しが解決したら、答えを一気に強奪するつもりでいた。
(俺もうさぎを飼いたいと言ったら、領主さまはこれくらいの大きな檻をくれそうだよな)
激しい情交にレナが疲れて眠った後、ラフィールは暇つぶしに丸薬の残りを数えていた。現実を直視できないレナよりも、ラフィールの方が残りの日数を把握している。
(タイムリミットまで残り2週間)
あまりに煮え切らないようだと、最終手段に頼らざるをえない。
(本当は使いたくないけどな)
金の檻から出されても大人しく抱かれているうさぎを見て、ラフィールはそんな危険なことを考えていた。
ラフィ「読者さまからお手紙(感想)が来ております」
領主「何だ? (背中に何かを隠しながら)」
ラフィ「クッキー作りのほか、うさぎが好きなことから、領主さまに乙女疑惑が浮上しています。……ところで今、お背中に何を隠したのですか?」
領主「く、見るな! あっち行け!」
ラフィ「毛糸と編棒? まさか……編み物……?」
☆ 領主は編み物もお好きなようですね(;・ω・)




