36 逃がさない算段
置かれている状況を把握した途端に、レナは落ち着かない気分になった。もぞもぞと芋虫のように身じろぎする。
「あの……ラフィールさま……恥ずかしいです……。皆が見ていて……」
彼より速く歩ける自信はない。それなのについつい話しかけてしまうのは、無遠慮な視線が居心地を悪くさせるから。
「歩けないなら黙ってろ」
「でもお部屋まではかなり距離が……」
「小さいお前とは歩幅が違う」
真顔で一刀両断され、レナは口をつぐむしかなかった。
気持ちを切り替え、レナが辺りを見回すと、目に入るのは、うっとりとした眼差しを送る野次馬と灰のように真っ白になって立ち尽くす不良狼。
レナは小心ゆえに周りの反応をとかく気にしてしまいがちなのだが、一方でラフィールは人から見た自分というものにあまり価値を見出ださない種類の人間だった。
そんなラフィールが人混みの中を突っ切れば、彼の進むべき方向に道ができる。
自信家で人を黙らせるだけの実力を兼ね備えているラフィールと、人が望むままに沢山譲って、空っぽの宝石箱を抱きしめて生きてきたレナ。
「お前が誰の女か、見せつけておかないとな」
その笑みは爽やかなのに言い知れぬ迫力があって、レナは少しだけ怖かった……。
* * *
部屋に着くとすぐに、レナは老医師ゴードンによる診察を受けた。
診断は足首の軽い捻挫。そして幾つかの擦過傷。
無理をしなければ1週間も経たないうちに治るだろうと言われたが、それでも周りに迷惑をかけてしまうことは確定だ。
仕事に穴は空けたくないと、そんなことばかり考えていたら、ラフィールとゴードンの2人に「自分を大切にしろ」と叱られた。
ラフィールがどこからか温かいお湯とふわふわのバスタオルを持ってきてくれたので、レナは先に着替えを済ませることにする。
その間にゴードンは、治療に必要な薬と道具を診察室まで取りに行った。
女子の着替えは長いもの。
早く治療がしたくて全速力で戻ってきたゴードンは、腕組みをして扉脇の壁に凭れていたラフィールに話しかけた。
「レナはなぁ、めんこいだけじゃなくて働き者で勉強熱心な、稀に見る良い子なんじゃ。植物全般についてとても詳しくての。薬草の知識も豊富で新たな用法を提案してくれるんじゃわい。それになぁ。ワシが寝ぼけて抱きついても、笑って許してくれるんじゃよ。ふぉっふぉっふぉっ」
「抱きつくなよ」
「フフン。男のくせに焼きもちか、ラフィール。
ジジイの日常の楽しみを邪魔するでない。どうせお前がワシのレナを喰うんじゃろ。切ないのぅ、嫁に出す父親の気分じゃ」
「はいはい。それに親じゃなくて爺さんだろ」
「男のくせに細かいわ。それから、レナはなぁ……」
ゴードンのとりとめもない与太話は、ラフィールにとって意外な情報を含んでいた。
レナの働きぶりについては、メアリ婆さん経由で把握済み。
しかし薬学に造詣が深いことについては、まったくもってラフィールは知らなかった。
困ったところもあるゴードンは、薬草や医学の研究に関しては一流なのだ。
(このゴードンの爺さんが持っていないほどの知識を、レナが……)
そう言われてみれば、彼女が住んでいた迷いの森は貴重な植物の宝庫だし、森に生きる民ならば、それらに詳しくなるのは至極当然のことなのかもしれない。
ふとラフィールは嫌なことを思い出し、眉間に深い皺を寄せた。
「メアリ婆さんから聞いたんだが、レナは持病の薬が無くなる前に、家に帰るつもりなんだろう?」
「うむ。だからまた戻ってくるように、お主からも説得するんじゃ。レナは頑固なところもあるが、好きな男に引き止められたら弱いじゃろ」
「好きな男ね。どうだろうな……」
レナは素直すぎて、気持ちが態度に出やすいタイプだ。そんな彼女は、間違いなくラフィールを意識している。当事者である彼の中でも、今日でそれは確信に変わった。
けれどあの日いとも簡単に別れを告げられたことが、ラフィールの胸に凝りとなって残っている。
(いざとなれば、自分の気持ちを真っ先に殺すタイプだよな。あいつ……)
その「いざ」が何なのかはわからない。三角関係になったとか、親に反対されたとか、故郷が恋しくなったとか、ラフィールからしてみたら割とどうでも良いことで、彼女は自分の前から姿を消してしまうような気がしていた。
(薬の鑑定はもう済んだ頃だろうか?)
丸薬をここで調達できたなら、レナを迷いの森に帰らせる必要はなくなる。成分さえ分かれば、王都の研究施設にいる友人が何とかしてくれるはずだ。レナの姉の行方だって、一緒に探してやるつもりはある。
「入ってください」
ラフィールがこれからの算段をつけていたら、扉が開き、足を庇ったレナが顔を出した。
「少し痛いかもしれんが、我慢するんじゃぞ」
ゴードンは部屋に入ると、そう言って早速治療に取りかかる。
軟膏を塗ったガーゼを患部に当てて、器用な手付きでくるくると包帯を巻いていった。傷は消毒して絆創膏を貼る。
消毒が染みるのか、レナが小さく息を止めた。
その姿に、ラフィールは同情で顔をしかめる。頭の中で、あの3人の顔と名前、所属部隊を反芻しながら。
長老「ラフィールは自分が決めたことは突き進むタイプじゃが、レナは自己犠牲的で周りの人の意見に影響されやすいタイプじゃな」
レナ「はい。そうかも、しれません……」
長老「でも、その曖昧で中途半端な優しさが、人を傷つけることもあるんじゃぞ? それに己を貫けば、自然と道は拓けるものじゃ。今回ラフィールに見せてもらった景色を忘れるでないぞ」




