32 満月への反応
レナだけではなく、メアリ婆さんもラフィールを待っていた。
彼が来れば、きっとレナは笑うから。
それはただのお節介だと、誰に言われても構わなかった。
そんな思いを口には出さず、メアリ婆さんはレナの隣に立ち上がる。
「おや、ラフィール。ようやく来たね。警備の仕事は終わったのかい?」
ラフィールは首をふった。
「いや、ただの休憩だ。少しだけ時間をもらった」
秘めた恋ゆえレナはラフィールの所在さえ聞けなかったが、メアリ婆さんは彼が今宵警備を任されていることを知っていた。
「相変わらず真面目だね。部下に押し付けないところがアンタらしいよ」
苦笑を溢すメアリ婆さんに、ラフィールは「当たり前だろ」と呆れたように息を吐く。
こんな特別な夜に警備を任せられること。それは即ち騎士の誉れ。領主からの信頼の証に他ならないのに、部下任せなんて有り得ない。
あの一時の別れの日。レナは勝手にラフィールとの未来を諦めた。
しかしラフィールの狼としての本能が、そんなことは許さない。逃げるならば、とことん追いかけてやれば良い。
それからラフィールはレナをゆっくりと観察した。
度の入っていない瓶底のような分厚い眼鏡。きつく縛ったお下げ髪。エプロンをとった濃紺のメイド服は暗闇に溶け込んでしまうな目立たない色で、白い顔と眼鏡だけが月明かりに浮かんでいた。
シルバー席に溶け込める地味な装いに、ラフィールは満足そうに頷いた。
「良い出来だ」
「だろう? アンタが来るまで、男たちを追い払うのも大変だからね」
思惑の一致に、メアリ婆さんもニヤリと笑う。
本当のレナを知らない人なら、今日の彼女に敢えて声をかける者はいないはずだ。
ほかの女たちはとびきりのお洒落をしていて、肌も多めに露出している。健全な男であればそちらに目が行くに違いない。楽しい夜を過ごすには、軽い女ほど都合が良いに決まっている。
メアリ婆さんが自分より少しだけ背の高いレナを見ると、目尻にたっぷりの皺をためた。
「それにしてもレナは本当にうれしそうだね。よっぽどラフィールに会いたかったんだね」
「そんなに会えたことを喜んでもらえるとは……光栄だな」
レナは戸惑いを隠せない。
「たしかに……お会いできたのはうれしいです……。でもあの……お2人とも……どうしてわかるんですか……?」
感情が表に出やすい自覚はあるが、確信めいた2人の態度に疑問をもった。
「あらまぁ、無意識みたいだね! こんなにわかりやすい子はいないよ。ねぇ、ラフィール?」
「ああ、わかりやすい」
メアリ婆さんとラフィールは笑いを堪えきれない様子で、レナの身体のある部分を指さした。
「レナ、尻尾だよ」
「千切れそうだぞ?」
「え!」
レナが慌てて振り返れば、短めの尻尾がフリフリと揺れている。
「きゃあ! ラ、ラフィール隊長……! あ、あんまり見ないでくださいっ……!」
そして咄嗟にレナは周囲を見渡した。
シルバー席の面々の温か過ぎる眼差しが辛い。「若いっていいのぅ」「青春だねぇ」と聞こえてくるのも居たたまれない。
(は、恥ずかしい……)
羞恥に頬を染めるレナには申し訳ないが、その素直な反応にラフィールの心は和んでいた。つい声が甘くなる。
「レナ、顔を上げろ。……見なかったことにしておいてやるから。ところでそれは何だ?」
すぐ傍にある皿にラフィールは視線を移し、純粋な好奇心からレナに尋ねた。
肉食を好む狼には馴染みのないものだから、彼がわからなくても不思議ではない。
「? これはお月見お団子ですけど……」
「これが……お月見団子……」
レナは里で過ごしたお月見を思い出し、わがままを言って、今日は皆と一緒に餅をつかせてもらったのだ。
ほとんど餅を返す役割だったが、少しだけつかせてもらって満足した昼下がり。団子に対する熱意が認められ、味付けは一任された。
そしてメアリ婆さんは声をあげて思い出し笑いをする。
「そうそう、ラフィール! お月見にはお団子だって言い出してね。突然餅からつきだしたんだよ、この子。細い身体のくせに、妙に腰が入ってて上手いし、いつもはおっとりしているわりに、やけに熱く餅の返し方とか力説しちゃって! ははは、団子作りはすごく盛り上がったねぇ。
それにこんなシンプルな食べ方、アタシは知らなかったけど、レナの里ではこうして食べているらしいよ」
満月に対する反応は種族ごとに異なる。狼は踊って歌い、酒を飲む。
(月、団子……。昔、どこかで……)
そのときラフィールは孤児院で読んでもらった、遠い国の絵本を思い出した。
「ラフィール隊長? ……どうかしましたか?」
「いや、何でもない。馬鹿なことを考えただけだ」
おかしなことを考えてしまった自分にハッとして、ラフィールはそこで思考を放棄する。
「おい、婆さん。しばらくレナを借りる。ほら、行くぞ!」
「え、え? どこに?」
「せっかくだからお前と踊る」
混乱するレナに、メアリ婆さんが耳打ちした。
「団子と一緒だよ。のんびりし過ぎると大切なものはすぐに、他の女に取られちまうんだ」
そのとき焦れたラフィールがレナの腕を引っ張って、自分の方に引き寄せた。
「内緒話はもういいだろ。休憩時間は限られてるんだ」
(もうどこにも行かせない)
そう思った一度目の夜。
多少強引にしても嫌われない、相当な自信が彼にはあった。
レナ「一度目の夜?」
長老「何回かあるんじゃ。ラフィールの狼スイッチが入る瞬間がな(ニヤリ)」
☆ ラフィールはもうすぐ気がつくかもしれませんね(;・ω・)