3 野盗の襲撃
説得に失敗したロバのおじさんが、がっくりと肩を落として退室した。その後もずっと、レナとレオナールの平行線の議論は続く。
しばらくして、たまたま家の外で里の長老を見つけたロバのおじさんが、レナの家に長老を同伴して戻ってきた。
真っ白なあごひげを生やした長老が、威厳をもってドンと立つ。
「レナよ、話はわかった! じゃが、レオナールを困らせてはならん。たしかに若い娘にとって、この里は退屈であろう。それはわかる。外の世界に出たいと夢に見るかもしれん」
「長老! それでは……!」
期待のあまり、レナの両耳がピョコンと立った。
「カタリナは少々お転婆が過ぎたのじゃ。その結果……どうやら悪い男に連れ去られた可能性が高い……。もうカタリナは……きっと戻っては来ないじゃろう……」
そんな言葉は聞きたくなかった。耳をぺったりと頭につけて、悲しい予想を追い払う。
しかし里中の尊敬を集める長老には、さすがのレナも言い返せなかった。
長老はレナよりもずっと長生きで、顔の皺の分だけ物知りで、そして誰よりも懐が広い立派な人だ。
「それでも探しに行きたいんです。それに……お父さまたちは里の外に出掛けていますよね?」
「うむ。だがそれは薬を飲んで、犬の獣人に変化しているからできることじゃぞ?」
基本的に里の生活は自給自足。
自分たちで賄えない日用品だけ、口の固いロバのおじさんのような行商人から定期的に買っている。
またそれ以外には、里の男たち数人で、特別な買い出しや情報収集のために街に出ることもあった。
そのときに使用するのが、里秘伝の丸薬だ。
フォレスターナで最も多数派を占める犬の獣人へと、制限時間つきで変化できる。
「私もその薬がほしいです」
「ダメじゃダメじゃ。あれには強い副作用がある。女子どもに簡単に勧められるような代物ではないのじゃ!」
薬は長老が厳重に管理しているから、長老が許可をしてくれなければどうしようもなかった。
(お姉さまに、ただ会いたいだけなのに……)
そういえばと、大人たちが話題を変える。きっとレナの我が儘に付き合うのもいい加減に飽きたのだろう。
それは近くの村が野盗に襲われたという話だった。
レナは煮え切らない思いを抱えながら、長老と父親、ロバのおじさんの話を遠い世界のことのように聞いていた。
レナにとって、ここラビアーノは緑の監獄。堅牢な不可視の檻は、彼女を決して逃さない。
でもレナは忘れていた。
姉カタリナが突然目の前から消えたように、この世はあまりにも、無情で移ろいやすいということを……。
* * *
激しい怒号。放たれた火に逃げ惑う人々。
野盗がラビアーノを襲撃したのは、それから数日後の夜更けのこと。
凶悪な面構えの狼や犬、虎の獣人たちが、暴虐非道の限りを尽くす。
その混乱の最中、長老とその妻が、集められるだけの女子どもと年寄りを、里の外れにある粗末な小屋に集めていた。
「みんな、よぉーく聞け! これは犬の獣人に変化できる、とぉーいとぉーい国の幻術師がつくった魔法の薬じゃ」
長老の妻が黒くて小さな丸薬がぎっしりと詰まった瓶を渡して回る。瓶には伸びる紐がくくりつけられていた。
「効き目はとぉーい国の『しんでれら』の魔法と同じ、日付が変わる頃までじゃ。そしてそこから数時間空けて、朝日が昇る頃にまた飲めば、再び変化することができるぞい。あと大事なことだが、副作用があってな……」
レナたちは簡単に用法と注意事項の説明を受けた。他の獣人への変化には痛みと熱を伴うらしく、それぞれの安全を確保してから、夜明けを待って丸薬を飲むように指示される。
長老は涙目であごひげをしごいていた。普段からうるうるしている赤い目が、今夜はもっと赤くて、頬に伝う涙は滝のようだった。
「う……ううっ……ぐすん……。ほとぼりがさめたら、またここに集まるんじゃぞ……? 我らはさみしがり屋じゃ……1人では生きられないっ……! 非常時だからやむを得ず薬を配ったが、副作用もある。なるべく早く帰ってきて、再びありのままの姿で暮らそう……!」
ドロン!
長老は白い長毛のややくたびれたうさぎへと姿を変えた。
「うぅ、ううぉうーうー!(さぁ、獣型をとるのじゃ! 非常口から逃げるぞ!) 」
獣の姿では、まったくもって何を言っているのかわからない。「言葉」は人間の器用な舌の動きがあって初めて出せる音だ。
それでも何となく雰囲気で察知した皆が、次々と獣型に変化する。同じ種族でもそれぞれに個性があって、レナは茶色の毛並みに榛色の瞳をしたうさぎへと変化した。
村に残って野盗を引き付けている父親たちに心を残しながら、レナたちは迷いの森につながる細い穴に小さな体を滑らせる。
野盗は体が大きい肉食の獣人ばかりだったから、この逃げ道が見つかったところでそう簡単には追いかけられないはずだ。
首から丸薬をぶら下げて、レナは迷いの森へと溶けこんだ……。