29 初恋の面影を宿す少女
次話でお姉さん捜索が進展します。今回は今回で必要な話なので、まどろっこしいですが読んでいただければうれしいです(= =)
ゴードンは俯くレナの顔を覗きこんだ。
「やけに深刻な顔をしているのぅ。
女性としての生理現象である以上、うまく付き合っていくしかないんじゃぞ? 薬への耐性ができるよりも、お主なら恋人ができる方が先じゃろうて。
それにお主は犬の獣人だから、特別に発情期が多い訳じゃないしの。何とかなるわい、大丈夫大丈夫。ふぉふぉふぉ」
「ゴードン先生……」
レナは発情に関する知識不足を、今さらながらに自覚した。
レナに母親はいない。
肝心の父親も、実の孫のように可愛がってくれた長老夫妻も、彼女をいつまでも子ども扱いして、そういったことは何も教えてくれなかった。
だからせいぜい知っているのは、姉カタリナとベッドの上で語り合った大人のアレコレ。
本やら近所のお姉さんからこっそりと仕入れてきた話を、姉は赤面しながらレナに教えてくれたのだ。
――2歳年上の姉もまた、1年前の段階ではまだ発情期を迎えておらず、内緒の話は知識としては中途半端。
尤も「もうすぐ来るかもしれない」と、姉は興奮気味に口にしてはいたけれど……。
知識不足は不安のもと。椅子のせいではなくぐらついた心が、レナを大いに焦らせた。
「発情期が多い種族もいるんですか……?」
ゴードンは悠長にアゴヒゲを擦って沈黙した。どうやらそれは物を考えるときの彼の癖らしい。
「そうじゃなぁ。聞くところによると、うさぎの獣人は発情期が頻繁に訪れることで有名だったらしい」
「そんな……うさぎの獣人が……」
「うむ。お主はうさぎの獣人なんて見たことも会ったこともないじゃろう?
昔はいたんじゃ。この国で非人道的な政策がとられる以前にはな。もう彼らはこの国を捨てて、姿を消してしまった。ワシも幼いときに見たきりじゃ」
するとゴードンは目を渺めてレナを見た。
「? なんですか?」
レナが小首を傾げると、ゴードンは今や遥か遠くなってしまった思い出の底を浚う。
「いや、ワシが昔見たうさぎのお姉さんは、貴族に囲われていてな。夜になると尖塔の窓辺に姿を現すんじゃ。
月明かりに照らされた彼女はとても美しくて、この世のものとは思えんかった。その立ち姿を見たくて、少年だったワシはせっせとお城に通ったもんじゃ ――話しかけることもできないのにな」
そしてゴードンは優しく目を細める。
古いお城は塀が壊れていて、ゴードン少年は容易に忍び込むことが可能だった。
悪い狼が住む朽ちた城。
綺麗なお姫さまをどこからか拐ってきて、尖塔に閉じ込めているに違いない。
姫を助け出すのは自分だと、語られることのない英雄譚を作り上げた幼い日。
「そのお姉さんとレナが、なんだか雰囲気が似ているなと思ってな」
突然の言葉にレナの鼓動がぴょこんと跳ねる。
「うさぎのお姉さんと、私が……?」
「うむ、よく似ている……。優しくて儚げな風情も、その美しい容姿も。いつの間にかお姉さんはいなくなってしまったが、今思えば、あれがワシの初恋だったかもしれん」
ゴードンはただ思い出を語っているだけだったが、レナの方は首が絞められたように苦しくなった。
レナは瓶に入った丸薬を手に取った。中身はまだ沢山ある。
でも里に帰らないと補充はできない。
そもそも尻尾と耳を変えられたところで体質は変わらないから、他の種族よりも発情期が多いという爆弾を抱え、見せかけの姿のまま、いつまでも誤魔化していけるとは思えなかった。
それに里に帰れば、もう働きに出ることは不可能だ。もう長老も薬はくれないだろうし、里に出ること自体を皆から全力で止められることはわかりきっている。
コンコンコン
そのとき。診察室の扉がノックされて、返事を待たずに扉が開いた。
そこにいたのはさっきより小さいサイズのメイド服をもったメアリ婆さん。
「迎えに来たよ。診察は終わったかい?」
「おお、婆さんか。レナは持病やらいくつか心配はあるが、薬さえ飲めば働くのには何の問題もないぞ」
「でもメアリお婆さま、実は……」
持病の薬をここでは調達できないため、薬がもつまでの間だけ働くことをメアリ婆さんに申し出た。
帰りの路銀はきっとメイドの給金で賄えるはずだ。
「……そうかい、それは仕方ないね」
メアリ婆さんは頷きつつも、とても残念そうな顔をした。
レナのことは、偏屈な彼女には珍しく既にかなり気に入っていたから。
(このお薬が無くなる前に、お姉さまを見つけないと……)
レナは決意を新たに眠りについた。
明日からのメイドとして働く日々に備えるために。
レナ「うさぎのお姉さんはその後どうなったのでしょうか?」
長老「尖塔から出ることになった後は『ラビアーノ』に身を寄せて、愛する男との間に授かった赤ちゃんを産んだそうじゃ」
レナ「愛する男? まさか古城の主ですか?」
長老「彼らは愛し合っていたんじゃよ。お姉さんは男の訪れを待って、毎夜月を見ていたんじゃ」