26 未来のない恋はしたくない
領主の館で働く年若い女たちにとって、中央棟及び西棟は出会いのチャンスに溢れている。挨拶から始まる恋もあるし、食堂で給仕をすれば自然と親しくなることもあるだろう。
けれどレナはそんなことにうつつ抜かしている場合ではないと、責任感に顔をキリリと引き締めた。
「いえ、私は仕事に集中いたします。ラフィール隊長にお会いしたい気持ちはありますが、それよりも今は少しでも早く、一人前のメイドになりたいんです」
これにはメアリ婆さんもぐっときた。興奮ぎみにレナの華奢な肩を掴んで揺らす。
「アンタ、若いのになかなか見所があるよ! いや、さすが堅物のラフィールが連れてきた子だね。うんうん、アタシだって人様の幸せを邪魔したい訳じゃないさ。アンタたちの恋もちゃんと応援するからね!」
「アンタたちの恋? 私と……誰のですか?」
「またまたっ。とぼけるんじゃないよ! 結構良い雰囲気だったじゃないか。ラフィールのこと、まんざらでもないんだろ?」
レナはキョトンとしている。その様子を見たメアリ婆さんは、認識の差に気がついた。
「……つかぬことを聞くけどね。レナはラフィールとどうこうなりたいとかいう希望はないのかい?」
「えっと……?」
メアリ婆さんはもどかしくて仕方ない。お節介の本領が爆発する。
「恋人になりたいとか、そういう気持ちがあるのか聞いてるんだよ!」
明け透けに言われ、レナの顔が一気に紅潮した。
「そ、そんな、まさか、とんでもないですっ」
そうして一気に我に返る。
うさぎのレナと狼のラフィール。
越えられない種族の壁に、偽りの姿をとっていることへの罪悪感。
ラフィールと自分が恋仲になるなんて、想像さえもできなかった。
彼のことは信頼できると思っている。けれども里全体の問題に関わるため、うさぎの獣人であることは明かせない。
母親の悲劇は彼女の心にトラウマを残していたし、徹底的に教え込まれ、長年にわたり醸成されてきた肉食の獣人に対する恐怖心は、一朝一夕で消えるものではない。
(もしラフィール隊長のことを、本気で好きになってしまったら……)
未来のない恋はしたくない。
レナは首を緩く振った。今ならまだ諦められる。
メアリ婆さんのお節介は、動き出していたレナの恋心を急速に停止させた。花を咲かせるときを待っていた淡い気持ちは、育てられることなく日陰にポツリと移された。
「私がラフィール隊長と、そういう仲になることはないと思います。絶対に……絶対に……ありえません……」
自らに言い聞かせたレナは、未来から目をそらすようにそっと顔を伏せた。メアリ婆さんはやれやれとでも言いたげに、大きく溜め息をついた。
「何やら事情がありそうだね。まぁ、アンタたちはまだ若いんだから、焦ることなんてないさ」
「はい」
それからレナは姉カタリナのことについて相談した。当然のように、うさぎの獣人であることは伝えない。
「カタリナって名前のアンタに似た子? うーん……見たこともないし、聞いたこともないね。いたら目立つと思うんだけど。
どちらにせよ、私もラフィールが知らないってことは、この館の使用人ではなさそうだね。出入りしている業者か客人か。ここには大勢の方がみえるから、さすがに全員は私も把握していないし」
「そう、ですか……」
しょんぼりとしたレナを見て、メアリ婆さんは努めて明るい声を出した。
「これからは私も、アンタのお姉さんのことは気にかけておいてやるから、そんなに落ち込むんじゃないよ。さ、診察を受けておいで。後で制服と一緒に医務室に迎えに行ってやるから」
「はい、わかりました」
ほとんどない荷物を置いて、レナは診察を受けるため、1階にある医務室に向かった。
* * *
医務室は東棟の中でも日当たりの悪い場所にあった。病は気からというが、こんな暗い雰囲気だと治るものも治らないんじゃないかと、レナは思いながら歩を進める。
倉庫になっている部屋の前を通りすぎ、医務室と掲げられた札を確認すると、レナは右手を胸の位置まで持ち上げた。
コンコンコン
「こんにちはー」
しばらく待ってみたが、何の応答もない。
コンコンコン
「入ってもよろしいでしょうかー?」
耳をすませても扉に耳をくっつけても、何も聞こえてこなかった。
ノックと声かけを繰り返し、さすがにおかしいと思ったレナは扉のノブに手をかける。
(鍵はかかっていないみたい)
簡単に回りそうな気配に、レナは改めて息を吸った。少し大きな声を出す。
「あの……レナと申します。メイド頭のメアリ様に言われ、こちらで働かせていただく前に診察を受けることになりました。入ってもよろしいですか?」
ガチャリ
「失礼します……」
(すごく、散らかっているわ……)
部屋は薬草と消毒の匂いで満ちていた。散乱した書類と机から離れた場所に残された椅子。
余程慌てていたのか、何か緊急事態が発生したのか。或いはその両方か。
「先生はいらっしゃいませんか……?」
静まり返った診察室はひどく不気味だった。人の気配がまるでしない。
(あら? また扉が……)
意味深に開いている扉は、レナを静かに呼んでいた。
「……先生?」
おずおずと室内を覗き込む。どうやらこの部屋は調剤室のようだ。
「!」
やがて目に入った光景に、レナは言葉を失った。
床に溜まった真っ赤な液体。
散らばった硝子の破片と、そこに横たわる痩せぎすの老人。
この館唯一の医師の無残な姿に、レナは慌てて駆け寄った。
長老「レナはラフィールへの想いに蓋をしてしまったようじゃ。しかし恋は障害があればこそ燃え上がるというぞ! ラフィール様、そうでございましょう?」
ラフィ「ああ、俺は諦めない」
長老「ラフィール様、貴方こそ真の男です! レナをどうぞ嫁にもらってやってください(土下座)」
レナ「長老……なんか……いつもと違いますけど……?」
長老「ワシは狼が怖いんじゃ!」




