24 ラフィールとの別れ
ちょっと長めです。
成り行きを見つめていたラフィールが、メアリ婆さんに念を押した。
「レナをあんまり苛めてくれるなよ」
その言葉に、メアリ婆さんはつんと顎を上げて胸を反らす。
「それはこの子次第だよ! それにしてもアンタ、随分とこのワンちゃんのことを気にかけているじゃないか。ここまで連れてきた責任感かい? それとも……」
メアリ婆さんはメイドから怖れられる存在であると同時に、家族と離れて暮らす騎士たちにとっては母親的な役割を果たしていた。
口うるさいし、厳しいから少し煙たい。でもそれ以上に騎士たちからは慕われる。それがメアリ婆さんだ。
そしてズカズカと相手の心に入り込むそのデリカシーのなさが、今時の女の子たちに嫌われる1つの要因にもなっていた。
「さあな」
レナに対する想いについて、ラフィールは明言を避けた。
その態度にメアリ婆さんは悪戯っぽくニヤリと笑う。彼女はただそれだけで、ラフィールの気持ちがわかったような気がしたから。
「……面食いだねぇ。まぁ、新しい子を連れてきてくれたことにはとりあえず感謝してやるよ。さ、もう行くよ、レナ。アタシについてきな」
メアリ婆さんは声をかけると、スタスタとレナを待たずに東棟の方向へと歩き出した。
「! は、はい!」
ラフィールと最後に話をしたかったレナ。
出遅れてしまい追いかけようとしたが、すぐに足が止まった。彼に心を残したままで、どこかへ行くことなんてできなかった。
(ラフィール隊長とも、ここでお別れ……)
マチルダがいなくなってからは、ラフィールとずっと一緒にいた。
背中ごしの温もり。頭を撫でてくれる大きな手。意地悪だけど優しい言葉。
そのどれもこれもが、ひとりぼっちのレナを安心させてくれるもので、気がつけば彼にすっかり心を預けてしまっていた。
レナは小さく息を吸う。
「ラフィール隊長……ここまでありがとうございました……」
既に涙色に染まった震える声では、お礼を言うのがやっとだった。でもその後は、もう言葉が続かない。
(何だ、この可愛いらしい生き物は……?)
ラフィールはクラリとした。
シュンとするレナの姿は、捨てられそうになってすがり付いてくる仔犬にしか見えない。
全身でしょぼくれて、全身で寂しさに耐えている。
危ういバランスで抑えている感情は、涙という形でいつ溢れ出てしまってもおかしくないように思われた。
(俺に隊舎以外に帰れる家があったなら、絶対に連れて帰るだろうな)
そんなことを考えて、すぐにラフィールは自嘲する。孤児院育ちの彼には、帰る家はここしかない。
つついて泣かせてやろうかと思ったが、泣かれると長そうなので止めておいた。門と中央棟前での長話で、時間を使ってしまったため、ラフィールは口答え無用の命令を手短かに済ませる。
「仕事、頑張れよ」
「はい」
最初に返事をしたときには、レナは俯いてしまっていた。
「肉も食べろよ」
「はい……」
「早目に医者に持病について相談しろよ」
「はい…………」
レナはそこでようやく顔をあげた。
「ラフィール隊長……」
決意を秘めた大きな瞳。浮かぶ涙はまだ流れない。
「なんだ」
応えるラフィール。
「今までありがとうございました! このご恩は一生忘れませんっ!」
明るく別れを告げるレナ。
ぎこちない笑顔は努力の賜物だった。
そしてレナはメアリ婆さんのところまで一目散に走り去った。彼女の走りゆく軌跡に、キラキラと涙が舞っているように見えて……。
「は? ……って、おい!」
ラフィールが事態を飲み込めずにいるうちに、レナはもう1度だけ振り返り大袈裟に手をふった。
「レナ!」
「さよ……ならっ!」
こういうシーンを、ラフィールは見たことがある。そうだ、昔無理やり王都で観させられた舞台だ。
死地に赴く男がいて、その別れの場面だったはず。永遠の別れに笑顔の記憶を残したいと、涙をこらえていた美しい恋人役の娘。
ラフィールは呆然としていた。
「あいつ……。俺に一生会わないつもりか?」
職域が違っても所詮は同じ館。会う機会は作ろうと思えば幾らでも作れる。
騎士とメイドの職場恋愛は禁止されていない。門のところにいた騎士もメイドと付き合っているらしいが、お互いの居室に入り浸っていることは容易に想像できた。
それに、お互いの仕事を邪魔しない程度なら、メアリ婆さんとて文句は言わないはずだ。あの会話で彼女はラフィールの大体の気持ちを理解した。あの悪戯坊主のような笑顔が何よりの証拠だ。
「なんか、無性に腹が立つな……」
レナの後ろ姿は小さく消えて、ラフィールの声が一段と低くなる。
ラフィールの剣呑な様子を、クラースが腹黒さを微塵も感じさせない爽やかさで軽く笑った。
「ふふふ、レナに一方的に別れを告げられちゃいましたね。きっとラフィール隊長も、レナの思い出の1ページに記憶されましたよ」
「…………」
「『親切な隊長さんに送ってもらいました。新しい土地でも頑張ります!』ってところでしょうか?
ああいう素直な子は、人の好意を限りなく与えられて生きていますからね。彼女の周りには優しい人物が多そうですし」
「……クラース」
「はい?」
「言いたいことは、それだけか?」
クラースは美麗な笑みを口元に刻む。
「ええ、それだけです。ラフィール隊長でも落とせない女の子がいるんだなって、楽しませていただきました」
「レナに手を出すなよ。お前みたいな色欲魔神に口説かれたら、あの子は対応できない」
「……ああいうタイプには、僕だって色々と自重しますよ。むしろ隊長の方が、随分と抜け駆けしてたくせに……」
クラースが肩を竦めて会話は終る。
ラフィールはまったくもって面白くなかったが、クラースの予言はよく当たるのだから無下にはできない。彼は未来を経験から解析する力に優れている。
ラフィールはとても後悔していた。
(しまったな……。発情香が漏れていると、レナにははっきりと伝えてやった方が良かったかもしれない。その方が医者に相談しやすいだろうし……)
発情香は男にしかわからない。だから大勢の女の子たちを束ねるメアリ婆さんでも、レナが孕んでいる爆弾に、気がついてやれない可能性も高かった。
(俺以外の男に近づくな)
それは1番大切な命令なのに、失念した自分が憎い。
そしてラフィールはレナから取り上げた丸薬を、その日のうちに王都へと鑑定に出した。
もはや彼女が持っていたその丸薬を、危険薬物だとは思っていない。ただ彼女を蝕む病気について、詳しく知る必要があると考えていた。
長老「あんな盛大な涙のお別れをして、次ラフィールに会ったとき、レナは気まずくならないんかの? わりとすぐに会えると思うんじゃが」
レナ「(ピクッ) え? ラフィール隊長とまたお会いできるんですか? (フリフリ)」
長老「おーぅ。お前さんはそういう細かいことを気にするより、とりあえず会えたことを喜んじゃうタイプじゃの。しかし喜びすぎじゃっ! 尻尾が千切れるぞっ!」




