22 メイドのボスが現れた!
領主の館はレナの拙い想像を、遥かに凌ぐものだった。
見上げるほど高く長い、堅牢な石造りの塀。内と外とを繋げる門扉は鈍い光を放つ黒鉄で、その脇では門番役の狼の騎士たちが、油断なく辺りに目を光らせていた。
彼らは衣擦れの音も鋭く敬礼し、それからラフィールが連れているレナへと視線を移す。
「ラフィール隊長。そちらの女性は?」
偽りの姿をしている罪悪感に、弱気な鼓動が駆け上がった。
(ここまで来て、もし中に入れなかったら……)
しかしその心配は、幸いにも杞憂に終わる。
ラフィールから事情を説明された騎士は、同情や安堵といった複雑な感情を、好意のオブラートに包みこんで頷いた。
「なるほど、この子はメイド希望なんですね。でも新しい子が来てくれて本当に良かったです。
メイドをしている僕の恋人も『また辞める子がいる』って、昨夜も一晩中嘆いていましたから。ここのところ毎日明け方まで、彼女の愚痴に付き合わされていますよ」
苦笑まじりの騎士の言葉に、ラフィールが眉をひそめた。
「また辞めるのか?」
「はい。もともと紹介制だから人も集まりにくいうえ、仕事はキツいし、メイド頭のメアリ婆さんも厳しすぎるようで……」
門で交わされる不穏な会話に、レナの犬耳がどうしようもなく反応する。彼女は努めて心を空っぽにし、右から左へ聞き流そうと試みた。
これからのことを考えれば、事前に情報を把握しておくべきなのかもしれない。しかしそれと同じくらい、知るべきではないとも思っていた。
ラフィールがいてくれたから、ここにいられる。その幸運は大切にしなければならなかった。
怖じ気づいたら、そこで終わり。大好きな姉に会えないまま引き返すなんて、そんな馬鹿げたことはしたくない。
(大丈夫……大丈夫……大丈夫……きっと上手くやっていけるわ……)
念仏のように唱えながら、レナは願いを込めて、自分の不安に蓋をした。
* * *
森に囲まれた広大な敷地に、煉瓦づくりの4階建ての建物が両翼を広げて建っていた。
領主が執務をこなす中央棟。その上層階は領主及びその家族が住む私的な空間となっている。
向かって右の東棟には使用人たちの部屋があり、火を扱う厨房や埃っぽい物置等なども、すべてこの棟に収められている。そして中央棟を挟んで左に見えるのが西棟。ここは騎士たちのための空間となっており、彼らの部屋や武器庫、訓練場等が入っていた。
ラフィールはすぐにメイド頭に会えるように、事前に手配をしておいてくれたらしい。
領主に帰還の挨拶をするためにラフィールが中央棟に向かうと、そこには既に噂のメイド頭が立っていた。
ふわふわモコモコのパンチパーマは真っ白で、そこから覗く2本の角は鬼のよう。
メイドたちに恐れられる、背の低い初老にさしかかった羊の獣人。
彼女こそ「メアリ婆さん」その人だ。
そんなメアリ婆さんを前にして、館の前までメイド頭自らが出迎えてくれたという事実に、ぬるま湯育ちのレナは「歓迎されている」と安易に結論を出してしまう。
たしかにメアリ婆さんは、ラフィールが連れてきてくれるというメイド候補を、とても歓迎していた。
但し「レナ本人を見るまでは」という条件付きで。
「紹介してくれるっていうのは、まさかその子かい?」
棘を含ませた声はしなる鞭のように攻撃的で、レナを忽ち困惑させた。
第5隊の隊長であるラフィールは、領主の信頼も厚い騎士団のエースだ。5つある部隊の中でも、彼が率いる第5隊は危険な任務を任されることも多い。
その勇敢な若き狼が、メイドにふさわしい娘を紹介してくれるというので、メアリ婆さんは首を長くして待っていたのだ。
「随分細っこくて、弱そうなワンちゃんを連れてきたね」
硬派なラフィールなら、例えばゴリラのように頼もしい、筋骨隆々とした女傑を紹介してくれるものだと信じていた。
山のような洗濯物を片手で運び、文句の多い騎士やメイドを拳で黙らせ、床や壁、食器のどんなしつこい汚れでも力ずくで落とせるような、そんな娘を期待していたのに。
ところが現実はどうだ。
自分の目の前にいる少女は、どう見てもゴリラじゃない。一部の隙もなく可憐で、むしろ神が愛でるために造った役に立たない生き物にしか見えなかった。
「こんな子がアタシの下で、バリバリ働けると思うのかい? またすぐに辞めちまいそうだよ! こっちは人手不足で毎日毎日大変だっていうのに!」
「婆さん。いい加減に……」
レナに対する暴言に耐えかねたラフィールが、思わず静止の声をあげる。
しかし彼の声が続くことはなかった。
その代わり、鈴の音色にも似た澄んだ声が、強い意思をもって辺りに響く。
「私、精一杯働きます。どんな仕事でもします。期間限定でも構いません。どうか、どうか……ここで私を働かせてください……!」
レナは深く深く腰を折って、いきり立つパンチパーマにお願いした。
長老「門番の騎士はメイドさんと恋仲のようじゃな。それにしても『昨夜も一晩中』嘆いていたとか、『毎日明け方まで』愚痴に付き合わされるって、どういうことかの!」
レナ「お優しい方ですよね。一晩中、恋人の話を聞いてあげるなんて」
長老「騎士もメイドもそれぞれ与えられた部屋で寝泊まりしているんじゃぞ? 一晩中ってことは、どちらかの部屋に恋人を連れ込んだってことじゃろう!」
レナ「でももしかしたら、たまたま休暇で外の宿を取ったのかもしれませんよ。連れ込むなんてそんなこと……」
長老「毎日休暇だと思うか?」
レナ「…………あ(゜ロ゜)」