20 獣人の食生活
あの夜以降、レナには野菜中心の食事が出されるようになった。
忙しいラフィールが知り合って間もないレナのために、わざわざ各所に話を通してくれたのだと思うと、それだけで心が温かい感情で満たされていく。もう腹の虫を鳴かさなくても済みそうだ。
そして変化したことがもう1つ。
互いに抱いていた猜疑心は、季節外れの淡雪の如く、いつの間にか消え失せていた。
怪しい薬を持っていたレナのことを、ラフィールは最早危険人物とは見なしていない。こんな世間知らずで可愛らしい悪党がいたら是非ともお目にかかりたいと思う程度に、彼女のことは信頼できるようになっていた。
そしてレナもまた、ラフィールのことをもう無闇に怖いとは思わなかった。むしろ今や、彼に対して好意的な感情を抱いているくらいだ。
レナとラフィールの双方に芽生えた、相手を想う淡い気持ち。
それは「もっと相手のことを知りたい」という、まだほんの微かな熱と甘い関心を含んでいて……。
そんな2人を包む雰囲気の変化を、敏感に察知した男がいた。
ラフィールと並走する馬上から、クラースが何気ない風を装って呟いてみせる。
抜かりなく弧を描く紫水晶の瞳。それは本心を隠すのにはうってつけの笑みだった。
「ラフィール隊長とレナは、この数日で随分と仲よくなりましたね」
「……はい」
レナは少し間を置いて返事をした。
領主の館に着く明日の昼には、もうラフィールと離れなければならない。騎士とメイドは職域が違う。彼女は未来から目をそらすように、長い睫毛をそっと伏せた。
「あ……」
そのとき一陣の風が吹き抜けて、レナがあえかな声をあげる。
クラースの長い銀髪が一陣の涼風にたなびいて、レナの前髪が額に貼り付き、ラフィールはわずかに目を細めた。
花と実りをもたらす太陽の季節が終われば、厳しい雪の静寂の季節がやってくる。2つの季節を運ぶのは、地の果てから吹く強い風。
森と湖の国フォレスターナにも、そう遠くないうちに寒い季節が訪れるだろう。
クラースは敢えてにっこりと笑った。
「昨日も今日も隊長に肉をあげたりして、見ていてほほえましかったです」
ほんのりと頬を染めるレナ。
「とてもお恥ずかしいことですが、私は好き嫌いが多いので、ラフィール隊長に甘えてしまいました。私の育った里では、お肉を食べる習慣がなくて」
彼女はラフィールから、肉も少しは食べるようにと注意されていた。でも食べ付けないのと食わず嫌いが長すぎて、皿を前に困っていると、いつも彼がかわりに食べてくれるのだ。
ちなみにアーダンは、レナの隣にラフィールがいると、まったく彼女の皿に手を出してこない。
ラフィールがいるだけでその場の空気が締まるのを、鈍いレナでも肌で感じていた。
「まぁ、食文化は種族による違いもありますけど、それより地域差が大きいって言いますしね。無理はしなくていいと思います。ただ領主の館でメイドとして働く以上は多少は食べられないと、今後は困ると思いますよ」
「はい。まったく同じ事を、ラフィール隊長にも言われました」
都市では種族間の差が、田舎よりも少なくなる傾向がある。多種多様な種族が混在する都市部では文化が均質化しがちで、それはまた食文化も同様だった。
実際に、獣人は獣と比べて消化器官が発達しているから、草食の獣人でも肉を食べることはできるし、肉食の獣人でも時と場合によっては植物ばかりを食べることも少なくない。
それは言語や2足歩行等と同様に、人化という進化の過程で取得した、とても便利な能力だった。
尤も生き物としての本質部分は変わらないため、例えばレストランでは、草食の料理人は野菜料理を、肉食の料理人は肉料理を担当する場合が多いという。
しかしだからと言って、草食の獣人が動物の毛を剥ぎ、血を抜いて、肉を切り分けるのを見たところで、いちいち倒れることもない。
要するにレナは、特別に鄙びた里から出てきたため、他文化に対する免疫が著しく低いだけだった。
「領主さまが狼だから、騎士たちは狼が中心だ。慣れなければお前が辛いだけだ」
騎士たちは肉食の獣人ばかりだと、ラフィールは念を押す。
「そう……ですよね……」
仕える主や騎士たちが館の中心になるのだから、メイドたちの賄いは自然と肉料理が多くなるという。
食文化も含めて暮らしてきた環境との違いについていけるか不安になるが、何とかやるしかなさそうだった。
(カタリナお姉さまを探すためには、どんなに大変でも頑張らなくちゃ)
レナが悲壮な決意を固めたそのとき。
再び頭上から声が降ってきた。
「困ったことがあれば、妙な行動を取る前に、まず俺に相談しろ」
思わず振り仰げば、ラフィールの端正な顔は優しい。レナもつられて花のような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
そんな2人にクラースは肩を竦める。
「本当に。隊長とレナは仲良くなっちゃって」
(ラフィール隊長に、こんなに早くもっていかれるとは予想外でしたね)
クラースが一種の尊敬の念をこめて、凄腕の捕食者を見つめると、ラフィールはこれ見よがしにレナを後ろから抱きしめた。
「ここは道が悪い。しっかりとつかまっていろ」
「はい」
言われるがままに、身体を預ける素直なレナ。
彼女は背中に伝わる体温を、とても頼もしく感じていた。