10 隊長は手強かった
ラフィールに対するレナの感情は、彼女の乏しい人生経験において、未だ味わったことのない種類のものだった。
彼を前にすると、「恐怖」の筆が華奢な背中を撫で上げて、身体の奥がぞくりとするのだ。
そんな狼から薬を取り返すこのミッションは、少なくとも猫の首に鈴をつけるよりも難しい。レナは覚悟を決めてラフィールに詰め寄った。
但し、ひどく弱気な態度で。
「ラフィール隊長……あ、あのお薬を……返していただきたくて……」
「それはできない」
レナの決死の覚悟も虚しく、返ってきたのは零下の声音。
「今日、お前が休んでいる間、この街の薬師に薬の成分について調べさせた。しかしどうやら未知の成分が多量に入っているとのことで、薬能についてはまったく確認できていない。よって王都の専門機関において、さらに詳しく調査させてもらうつもりだ」
マチルダが予想した通りの答えが返ってきて、レナは焦燥を募らせる。
「諦めるんだな。犬のお嬢ちゃん」
ラフィールは冷淡に、憐れな娘を見下ろした。
「返して下さいっ! 一生のお願いですからっ!」
「一生のお願いって……子どもか?」
フッと小馬鹿にしたように鼻で笑われ、レナはショックのあまり儚げによろめいた。それを咄嗟にマチルダが支える。
ラフィールは嘆息した。
そもそも目の前にいる「レナ」と名乗る犬の獣人の少女は、あまりにも可愛らしい。
茶色の髪に榛色の瞳をもつ容姿端麗な少女。
マチルダから事前に人型のレナの容姿については聞かされていたから、彼女のイメージは朧気にはできていた。
それにラフィールは、マチルダも含め、日頃から綺麗な女は見慣れている。人の口にのぼるくらいの美少女が現れたとしても、驚かない自信があった。
それなのに。
そんな自信や想像は、意味をなさずに霧散した。
隊の規律を守る立場としては、突然現れた少女に見惚れてはいけないし、動揺してはいけないと考えていた。
だから敢えて冷淡に接したのに、萎れる姿ですらも可憐なのだから仕方がない。「美しすぎる花は質が悪い」とラフィールは内心で毒づいた。
(それにしても……。とって喰いやしないのに、この怯えようは何だ?)
こうして話していると、彼女は見かけ以上に幼い印象を受ける。幼いというよりかは世間知らずというべきか。
どちらにせよ感情的な女の相手は面倒だ。
「そもそも飲まないとどうなるんだ。返してほしいのなら、きちんと事情を説明をするべきじゃないのか?」
ラフィールの言葉は至極当然で、レナはぐうの音も出なかった。
「……はい。わかりました。お話すれば……返してくださるんですよね……?」
「そうだな。場合によっては、特別に計らってやらないこともない」
レナは俯いて逡巡する。ラフィールの様子をこっそり窺ってみれば、鋭く光る琥珀色の瞳とぶつかった。
彼はきっと、簡単な嘘など容易に見抜いてしまうだろう。
「これを飲まないと、死んでしまうかもしれないんです……」
死因を曖昧にしたままで、どこまでラフィールが納得してくれるはわかない。自信の無さに比例して、レナの声は尻すぼみに消えていく。
ラフィールはそんなレナをじっと見て、それから彼の執務室兼居室への扉を開けた。そしてレナと付き添いのマチルダに向かって言う。
「詳しく話を聞こう。部屋に入れ」
「はいっ! ありがとうございます、ラフィール隊長!」
開いた扉を支えているラフィールの腕の下を、艶のある茶髪から覗くご機嫌な犬耳が通り過ぎた。
ラフィールはまた嘆息する。
(まだ返すとは言っていないのに、単純なものだな……)
ソファに座らされたレナがあまりにもニコニコとしていたので、ラフィールはすっかり毒気を抜かれた気分になった。
長老「ラフィールがこちらの想像以上にドSな俺様だったのじゃ。急いでタグに付け加えたから、よろしく頼むぞ!」
レナ「たしかに。今のところ、私はラフィール隊長を怖がってばかりですよね……。『ぞくり』とするほどの恐怖って…」
長老「『ぞくり♡』かもしれんじゃろう」
レナ「…………」




