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一話

 『季節は移り変わる。春が来たら夏、夏が来たら秋、秋が来たら冬になりまたそのサイクルを繰り返す。

 その中でもたった一つだけ変わらない季節がある。終わらない季節がある』


 『――僕達の青い春は、まだ始まったばかりだ』


 


 パタンっと人気の無い図書室で本を閉じる音が響く。その後に聞こえる音は、俺の心の中で駆け巡った感動が満ち潮のようにジーンと広がってくる音だ。


 緻密に、繊細に仕立て上げられたストーリー、世界一美しい言語、日本語で描かれている風景に心理描写、普通に生きていれば一生出会うことの出来ないであろう個性豊かな登場人物達、どれか一つの要素だけでも心を動かされるというのに、それら全てが組み合わさり作品になっているのが小説なのだ。

 

 読み終わった後の心地良い余韻は、酒、煙草、セックス等この世の俗物的快楽とは比べ物にならず、最早神格化された至福のひと時と言えよう。


 もう少しその余韻に浸りたいから、深く感じていたいから、俺は顔を上げてゆっくり、ゆっくりと目を閉じた。活字から鮮明にイメージ化された物語のクライマックスシーンを瞼のスクリーンに浮かべながらそして――。


 

 「――先ぱーい、そんな顔上げたら見えちゃいますよ、鼻毛」


 


 心地の良い余韻を台無しにする気の抜けた声。ムッとしながら睨み付けてやると図書室のカウンターでうつ伏せになっている成宮 栞(なるみや しおり)がニヘラっとあどけなく、嘲笑的な笑みを此方に浮かべていた。



 「邪魔をするな成宮、俺は今忙しいんだ。お前の相手をしている暇は無い」


 「忙しいって年中誰も来ない図書室で本読んでるだけじゃないですかー? それの何処が忙しいっていうんですかぁ?」


 俺はやる気の無い成宮の声に嫌気が差してきて目頭を摘み、ため息を吐いた。


 俺、小野 秋人は読書家という趣味もあり図書委員を務めて二年目になる。


 若者の読書離れの影響により、図書室に通いつめる生徒の数はほぼ皆無、そしてやる気のある図書委員もまたいない。


 一年のときの先輩は一度も顔を出さず、いつもここは俺だけが一人活字に溺れることが出来る居場所(ユートピア)になっていた……こいつ、成宮 栞が現れるまでは。


 「先輩っていっつも本ばかり読んでますよね。飽きないんですか?」


 尚もだらしがなくカウンターに伏している成宮が片手でスマホ、もう片方でアシメントリーに伸ばされた前髪を弄りながら聞いてくる。


 「ああ、飽きない。小説はいつも俺に鮮明な感動と刺激を与えてくれる。少なくとも毎日だらしも無く携帯を弄っているお前よりは有意義な時間を過ごしているな」


 「そーですか…………どーでもいいですけど先輩の口調ってキモいですよね。なんか現代文の教科書に載ってそうな、なんでしたっけ? ババアの服盗んだニキビの人」


 「誰が下人だ。羅生門くらいちゃんと覚えとけよ……」


 俺のナイスなツッコミにも碌に関心を示さない成宮は、二年の後期に突如として姿を現した。


 前期の後輩といえば三つ編みお下げのザ・昭和女の子だった筈がいつの間にか今時女子にすり替わり、彼女にとっては時間を潰す相手。俺にとっては読書の邪魔をする存在という構図に成り立っている。

 

 この構図だけにフォーカスを当ててみればなんだか学園青春ラブコメ系のライトノベルっぽい、と思う方が多いだろう。


 しかし残念なことにそんな美味しい展開などなく、フラグはおろか、読み返さなければ分からないような伏線すらない。


 膨らんだ妄想の中でなら楽しむことが出来るシチュエーションでも現実で実際に起きてしまえばこうもつまらないものなのだろうか。この皮肉にもならないジレンマが重石となって、羽ばたける筈の空を眺めることしか出来ないような、不甲斐無さにも似た気持ちが段々と……。


 「えい、隙あり~」


 「あっ! ちょっ! 急に何をするっ!?」


 少しだけセンチメンタルで感傷的な気持ちが芽生えようとしたとき、学校指定のセーターの裾から少しだけ見え隠れしている華奢な指が俺の本を掠め取った。


 「先輩が遊んでくれないから没収でーす…………さぁて、いっつもアホな顔して読んでるのは何ページかなぁ?」


 「止めろ! 止めなさい! お前みたいな学の浅い人間が読めば活字の情報量に脳みそが圧迫死するぞ!?」


 「うわぁ……先輩必死すぎ、でも益々気になっちゃいますね。それだけ人を虜に出来る新鮮な感動とシ・ゲ・キ」


 「うわあああ! 止めろっ! その手を離すんだ! 成宮ァっ!」


 ペラリ。


 俺の悲痛な叫びも虚しく、いつも聴き慣れたページを捲る音が俺を絶望の渦中へと誘い、渦の中心部である『終わり』へと吸い込んでいくような感覚に陥る。


 そして。


 「…………『キャー! いきなりお風呂を覗くなんて最っ低! 加地君のエッチ!』」


 「……ぁ」


 「…………『だ、大丈夫だよ! 見てない! 木原さんの胸の上に黒子(ほくろ)があるだなんて僕はこれっぽっちも見てないから!』」


 「……ぁあ」


 「…………『ああもうっ全部見ちゃってるじゃない!……でも、私は加地君の嫁候補だし、今回だけ特別に許してあげる。だから他の子に浮気しちゃ駄目なんだからね』」


 「あ、ああ……っ」


 パタンっと人気の無い図書室で本を閉じる音が響く。その後に聞こえてくる音はただ耳が痛くなるほどの静寂のみだ。


「先輩――」


 成宮がカウンターに置かれた本を伏せ目がちで見ながらポツリと呟く。その小さな声音で、最早風前の灯となった俺の面子、キャラ、そしてアイデンティティが大きく揺れ動いた。


 そんな俺に出来ることと言えば叫びたがっている心を寸んでの所で食い止めるのと、どうか何事も無くこの場が過ぎ去りますようにと神様に祈りを捧げることだ。


 しかし、幾ら賽銭に銭を入れようが十字を切ろうが無意味である。この世界が現実(リアル)だから、ではなく手のつけようがない小悪魔なのだから。


 

 「――私の隣でこんなの読んでたんですね。変態っ」


 

 「うわあああああああああっ!!!!!!」


 薄紅色の唇にそっと手を当てて呟かれた言葉。全てを見通した上で再び浮かべたあざとく、嘲笑的な笑みに灯は掻き消され、俺の中で全てが崩れ落ちた。残っているのはガラクタ同然の残骸で、どうしようもない本性だけだ。


 大切な本を鞄にしまい忘れ、図書室から逃走する俺、小野 秋人は読書家気取りで少々感性を拗らせた、ただのライトノベルオタクだった。

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