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魔力が切れる瞬間のあだ花「すてきなバレリ」

「デイドリーム」という、そう、あのセブンイレブンで買い物をする度にのべつまくなし流れている忌野清志郎の元歌を唄ったグループとしてモンキーズは日本人にもよく知られたグループです。

 モンキーズというグループは当時から人為的に作られたバンドとして、そのあり方について絶大な人気の陰で賛否両論を巻き起こしていました。しかしポピュラーの世界というのは、彼らの人気が瞬間最大風速的なモノであったとしても売れた以上はまずエラい。そして、その楽曲が50年経っても口ずさまれているときたら尚更エラい。事実、彼らの全盛期のヒット曲はため息が出るほどに完璧なのです。


 1966年秋の「恋の終列車」(全米1位)に始まり、「アイム・ア・ビリーヴァー」(同7週連続1位)、「恋はちょっぴり」(同2位)、「プリーザント・ヴァリー・サンデー」(同3位)、「デイドリーム」(同4週連続1位)と続く一連の大ヒット曲の華やかさには今なお、目まいがするものです。ボイス&ハートやキャロル・キング、ニール・ダイアモンドといった一流のソングライターのペンによる楽曲を、ハル・ブレインやグレン・キャンベルといったこれまた一流のスタジオミュージシャンが演奏する。そしてモンキーズのメンバーはボーカル・トラックのみの参加。メンバーの不本意さという犠牲を代償に、こうして、明朗かつ健康な極上のポップスが次々と世界中を席巻します。

 当時の彼らの勢いは、それまで全米のローティーンをとりこにしていたイギリスのハーマンズ・ハーミッツ(1965年から67年に10曲の全米トップ10ヒットを放っている)を過去のグループとし、あのビートルズの人気すら凌ぐものでした。ツアーを辞めたばかりのビートルズの皮肉屋ジョン・レノンはモンキーズの人気を目の当たりにして「これでマッシュルームカットをしなくてもすむ」と言い残し、実際に髪を切って戦争映画に出る始末。そう考えるとある意味、ビートルズが1967年からスタジオに専念し、ライブをやらなくなってもいい状況になったのは、自身の代わりの巨大なアイドルグループの出現の後押しもあったのかもしれません。


 モンキーズは巨大なメディア戦略によるプロジェクトでした(※1)。まず、NBCが放送する「ザ・モンキーズ・ショー」というシチュエーション・コメディの番組を先行放送する。番組の中ではオーディションで選ばれた長髪の四人組がかつてのマルクス兄弟を思わせる爆笑をさらい、そして唄う。そこで唄われる一流のポップスを次々とシングルカットしていく。この方法はあたりました、2曲目のシングル「アイム・ア・ビリーヴァー」に至ってはアメリカだけで500万枚という驚異的なセールスを叩きだします。

 日本でも1967年の秋から始まったテレビ放送で人気が爆発、一躍来日が待たれるグループと化します。例えば当時の代表的な洋楽雑誌「ミュージック・ライフ」では「B4」「M4」という単語が頻出します。これはビートルズとモンキーズのこと。それぞれメンバーが4名であったことからですが、このような符牒のような略称を作られてまで熱心に特集されたグループは、この2組だけなのです。オリコンでも68年の初頭から春にかけて「モンキーズのテーマ」「デイドリーム」そして「すてきなバレリ」の3曲が4位まで上昇しています。オリコン4位まで上がった曲はビートルズですら一曲もないのに、複数曲を送り込んだ彼らの人気がしのばれます。(※2)


 1968年の初頭にヒットした「すてきなバレリ」(全米3位)は、そんなモンキーズの「黄金期」最後の輝きでした。


「作られたアイドル」であることに苛立ちと疲れを隠せなくなったモンキーズは、NBCの冠番組がエミー賞を受賞したにもかかわらず、67年の暮れ、2シーズン続いた番組の契約更新を拒否します。テレビという巨大なメディアとのタイアップによって凄まじい人気を得た彼らは、自らの意志でスターの座から降りることを決心したのです。

 それでもテレビの力は偉大でした。「デイドリーム」の後を受けた「すてきなバレリ」は、既に67年1月のテレビ放送で劇中曲として披露されていたにもかかわらず、それまでと同じようにチャートを駆け上り、結局3位まで上昇するヒットとなります。1年の空白があったにもかかわらず、です。テレビ放送終了後の余韻が残っていたということなのでしょう。


 ぶ厚いブラスセクションにこれまたぶ厚いファズ・ギター、そして印象的なスパニッシュ・ギター(グレン・キャンベルか、ジェリー・マギーの演奏と言われています)で構成された「すてきなバレリ」は、それまでのモンキーズのポップスと決定的に違っていました。明るさがないのです。重厚な演奏にのせて歌われるデイヴィー・ジョーンズの声は、無邪気さとの決別を唄っているといってもいい程に切ないものを感じさせます。歌詞は単純で、ひたすら恋焦がれている一人の女の子の名前を繰り返し、空恐ろしい程に想いを絶叫するだけなのですが、その絶叫はなんだったのか。個人的には、想いが募れば募るほどに、憧れが遠ざかっていく絶望を歌っているようにしか聞こえないのです。それはまるで、魔法が切れた瞬間のようなものともいえます。無邪気な季節が過ぎていく最後の瞬間にそれに気づいてしまった悲痛さ、そんな趣きすら匂わせるのです。


「すてきなバレリ」は結果としてモンキーズ最後の大ヒット曲となりました。彼らは徐々に人気を失い(望んだことであったのかもしれませんが)、メンバーが一人抜け二人抜け、1970年に解散します。最後の方は、シングルリリースをしてもチャート100位に入るのがやっとといった状態にまでなっていました。


 モンキーズは消え去りました。メンバーたちもそれぞれのソロ活動に勤しむものの、かつての規模での成功を掴みはしませんでした。それでも、かつての人気と、楽曲の秀逸さからリバイバル・ブームだけは定期的に巻き起こるグループとなりました。作られた人気との葛藤に苦しんでから長い時間が経ったメンバー(デイヴィー・ジョーンズは2012年に亡くなりましたが)は、今、にこやかにかつてのヒット曲を唄っていますし、2014年にはアルバムもリリースしてチャート上位にランクさせました。ようやくにあの時の女の子が振り向いてくれたのかもしれません。


※1

 テレビ局とレコード会社はモンキーズの記録的な成功によって、人工的にメガヒットを作成する手段を覚えました。モンキーズの音楽ディレクターだったドン・カーシュナーは1969年に「ジ・アーチーズ」をプロデュースし、「シュガー・シュガー」というやはり明朗な曲を全米1位に送り込んでいます。アーチーズは人気アニメの主人公達が結成したという設定の架空のバンド(もちろん歌唱と演奏はスタジオ・ミュージシャン)で、70年代初頭にかけて数曲のヒットを放ちます。アニメのキャラクターには、「作られた」葛藤などないですからね。


※2

 1968年春の日本のバンドは、こぞって「すてきなバレリ」をカバーしています。特に有名なのがワイルド・ワンズとテンプターズによるもので、これらは録音として残っています。また、匿名性の高いイージーリスニングのグループ「ゴールデン・ポッパーズ」も録音していますが、こちらはジャズ・ギターの好演がキラリと光る名カバーです。探すのには苦労しましたが、機会があれば聞いて頂きたいバージョンですね。

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