S.7「Start③」
「こんな他人放っといて、私と◯◯◯しない?」
・・・は?
「田鴨? こんなときに何を言っている?」
信じられないという表情を彼女に向ければ、トロンとしているが、どこか必死な口調で、懇願のような反応が返ってくる。
「ねえ、私とカズ、これからずっと一緒にいようよ、ちっちゃい時みたいにさ。それでね、私、証が欲しいの。あなたとともに、永遠に歩む証が」
言って、俺の体にしなだれかかり、下半身に左手を伸ばしてきた。
その手首を握り、田鴨の動きを強く制す。
「ぁん♪」と一言嬌声を漏らすが、自分が拒絶されたと知るや、呆然とした目で、俺を見つめてくる。
その間、右手を離したせいでバランスを崩し、背負う少女を落としそうになるのを、何とか堪えていた。
「おい、背負ってる子が落ち・・・」
「なんで! なんで手ぇ出してくれないの? 私ってそんなに魅力ない!?」
注意を遮って、ヒステリックに喚き立てながら、強引に体をくっ付けてきた。
現実の女に対しては久しく忘れていた感覚が、ゆったりと、その鎌首をもたげ上げるのを認識する。
首を振りながら、ポケットの中の「シオンたん」ストラップに意識を向けて、生理反応を落ち着かせた。
Be calm.
Be calm, myself.
ふと周りを見てみれば、俺と田鴨は、白百合・其連・韓に囲まれていた。
「イヨちゃんだけズルいアル」
「私も岡吉くんと、ずっと一緒にいた〜い」
「抜け駆けは、なしやで」
彼女らの発する声に、友人としての田鴨に向けられたものは、なかった。
明確に、田鴨を、・・・いや自分の他の三人を、敵視していた。
ギョロリと白百合たちを見回すと、田鴨は俺から体を離し、腕を組んで直立したあと、「悪い?」と三人を挑発した。
空気が冷え込む。
今にも、取っ組み合いが始まりそうだ。
・・・気づくべきだった。
こいつらも、茜さんたちと同じく、すでに混乱状態にあったのだ、と。
目が覚めたのは、全く見覚えのない、未知の場所。
黒い巨体に追いかけられる、という経験こそしていないとはいえ、その存在を人伝に聞かされ、しかも突然、訳も分からず人が死んだ。
正気であれというのは、一介の高校生にはかなり難しい要求である。
そして、心の平静を保とうとする意識が、何故か俺への依存に傾いてしまったのだろう。
気づける材料はあったのだ。
俺は背中に、ぐったりした少女を抱えている。
真っ先にこの子のことを尋ね、心配するのが、人間として普通の反応のはずである。
しかし、誰もこの気絶した少女のことに触れてこない。
覚っている素振りすら見せない。
多分、自分の心の均衡を何とか崩さないので皆、精一杯だったのだろう。
田鴨たちは、互いに牽制しながら、徐々に距離を詰めていた。
一人一人が本気で、他の三人に殺意を飛ばしている。
流し目で確認する茜さんたちの様子も、先ほどから改善したということはない。
・・・ああ、彼女たちの、そして茜さんたちを元気付けられる人間なんて、俺くらいしかいないじゃないか。
視線で俺に助けを請うている山西くんは、それが分かっていたのかもしれない。
ポケットの中の「シオンたん」ストラップを、ぎゅっと握った。
さあコミュ障、覚悟を決めろ。
目の前に、両の手を構え。
田鴨がやってたように、注目を集めるべく、パンパンと手拍子を鳴らした。
音は、田鴨の手拍子よりも、高く、大きく、澄んでいる。
“A Trip with Idol”のイベント参加を通じて、自然に洗練されたものが、ここで生きた。
「なあ、みんな」
普段よりも太い声を意識して、呼びかけた。
すぐには、注意は集まらなかった。
仕方ない。
彼らは、自らを苛む恐怖と絶望から、逃げて、逃げて、逃げまくるので必死なのだ。
それでも、全員の顔が、徐々にこちらに向いてくる。
逃亡先を、探す目で。
・・・今は、それでいい。
逃亡先に、なってやれ。
「俺たちは、まだ、自己紹介をやってなかったな?」
ああ、緊張する。
皆は、キョトンとした、「何言ってるんだ、こいつ?」という表情をしている。
よし、一瞬でも、直面している悪い感情から抜け出させることが出来た。
ここから、巷に今日も溢れかえるようなありふれた会話をさせて、ささくれ立った心を幾分か宥めさせたあと。
俺の経歴を話してやれば、・・・現状への対処が当面可能であることを証明してやれば、絶望のどん底くらいからなら救い出させてやれる。
・・・大丈夫だ。
自分を、親の愛情を、信じろ。
「さて、これからはアイスブレイキングの時間だ」
「私の名前は、志崎杏奈。父が日本人、母はイギリス人ですわ。得意な教科は世界史。部活はやってませんでしたが、スポーツはパデルが好きです」
「・・・パデルってなんや?」
「パデルは、周りをガラスと金網に囲まれたコートで行う競技で、簡単に言えば壁利用が可能になったテニスですわ。でも、テニスにはない三次元性が非常に面白いですわよ」
「ガラスと金網で囲まれた・・・。良いわね」
田鴨、加えて白百合が、じゅるりとヨダレを垂らした。
うーん、魅力は囲まれていること、それ自体ではないだろ?
監禁願望でもあるのだろうか。
ハーフで金髪の少女、志崎さんが言った通り、独特の立体感が魅力のスポーツなはずだが。
やったことないから分からんけど。
とにかくこれで、茜さんグループの自己紹介が終わった。
自分のことを話すことで、彼らにも多少の落ち着きが戻ってきたようだ。
顔を見れば一目瞭然で、攣りかけていた頬の筋肉の険が取れており、雰囲気も大分和らいでいた。
良かった。
コミュ障じゃない人にとっては、会話が最もよく効く精神療法、なのかもしれない。
相手の情報を聞き出すのが目的の自己紹介ではなかったが、一応茜さんグループのことを頭の中で纏めておく。
最初に、松岡大樹くん。
得意教科は国語で、サッカー部に所属しているらしい。
ただ、本当は野球が好きで、彼らの高校に野球部がなかったため、次善としてサッカー部に入ったのだと。
だから野球部的な坊主頭なのか、とバイアスのかかった感想を抱く。
次に、寺田弘くん。
得意教科はなく、勉強全般が苦手なようだ。
ジ◯ンプのとある青春バレーボール漫画に魅せられ、バレーボール部に入ったらしい。しかし、期待していたアツい展開は全くなく、非常に寂しいと愚痴を零していた。
起きた瞬間に異世界だ、と騒いだらしい山西翔太くんは、強いて挙げるなら数学が得意。
アニメ・ゲーム同好会という、何なら俺も所属したいところの部長をやっているようだ。俺の高校にも「アニ研」と呼ばれている魔窟があったのだが、入部しようとした時途中までは友好な感じだったのに、俺の素顔が見られた瞬間、部室から叩き出された。
死ねぇ、死ねぇ! と、俺を追放する部長の剣幕が半端じゃなかった。
悲しかった。
という俺の身の上話をしてやったら、松岡・寺田両名から憎悪に満ちた視線を浴びせかけられ。
山西くんは、「同情するよ。その部長に」と、俺に対するフォローは皆無。
「きっと俺も、君に対してはそっちのアニ研部長と全く同じ態度を取っただろう」
・・・解せぬ。
そして、神照茜さん。
得意教科は英語、と言った途端に、勉強は全体的に好成績を収めていると志崎さんからタレコミがあった。
「でもこの子、運動はからっきしなのですわ」
「む、むー!」
頬を膨らませて抗議する本人は、運動は得意ではなくても、運動音痴ではないと思っているようだ。
うむ、真実は?
歩き方からその人の運動能力がほぼ分かってしまう俺のアイセンサーによると、彼女の判定はE。
最低ランクである。
思い込みとは怖いものだ。
一仕切り抗議した後、「ええっと、岡吉くん、だっけ? には言ったけど、私、温度変化に敏感だよ・・・」と自信なさげに付け加えた。
もう名前を覚えられてる。
ありがたいことだ。
四バカ全員に、「蛇か」と突っ込まれる。
「へ、蛇違うもん!」
そんな茜さんが所属している団体は、英会話クラブ。
割と似合ってるなあというのが俺と四バカの素朴な思いだったが、ESSに入っていることと、神照という仰々しい苗字なのが合わさって、”Shining Divine”というアダ名が付けられていたと、志崎さんから再びのタレコミ。
「・・・ウチらもそう呼んだ方がええかな?」
「や、やめてよ! 絶対やめてよ!?」
「それはフリアルか? ”Shining Divine”さん?」
「いやああああああああ!?」
崩れ落ちる茜さんを慰めてから、最後に志崎さんが自己紹介。
意図的か、と思うぐらいに茜さんのお姉さんの話が出なかった。
・・・まあ、仕方がないだろう。
さて、ここからは俺たちのグループの自己紹介だ。
実は俺、こういうの初めて。
やばい、めっちゃ緊張してきた。
※岡吉「自己紹介の間は、助けたあと気絶させた少女は近くの地面に寝そべりさせている」
Serious様はご一服。
全力疾走なされたのちお疲れになってしまわれたようだ。
典型的な運動不足である。