S.13「Solution①」
[The Viewpoint of 神照茜]
急に見知らぬところにやってきて、私の心は不安で押しつぶされそうになっていた。
テストを受けなくてすむ、と喜ぶ杏奈さんも、異世界だ! と歓喜する山西君も、すごく羨ましい。
松岡君も寺田君も、言葉には出していないけど、自らの身に降りかかってきたこの非日常に興奮しているのか、口元を少し歪ませていた。
空に浮かぶ黒い大穴が、目に入る。
何なのかな、あれ?
一体全体、どんな世界なの、ここは・・・?
闇がどんどん広がって、私の身も心も飲み込んでしまう錯覚に一瞬陥り、体がガクブルと震えた。
「茜、大丈夫?」
声を掛けてくれるお姉ちゃんに、ひしと抱きつく。
「っ・・・。もう、茜ったら」
抱きしめ返してくれるお姉ちゃんの背中から、僅かな振動が伝わってきた。
一緒にいる時間ももう長い私は、それで察する。
一見落ち着いているように見えるお姉ちゃんも、実は私以上に怖がってる、と。
それでも、恐怖に震える妹を前に、自分が怖がるわけには行かないと、必死に無理をしているのだ。
怖がっているのは私だけではない。
そのことに少し安堵するとともに、無理しないで、とお姉ちゃんに声をかけようとした、その時に。
あの黒い化け物が、やってきた。
私たちは逃げた。
特に私は、死に物狂いで、駆けた。
とにかく、何か考えるだけでも体力を使いそうだから、極力何も考えないで、走る。
体温を見るに、私と違って体力に余裕がありそうな他のみんなに、ちょっとだけ嫉妬した。
いざとなったら、置いて行かれるかも。
どうしても無に出来ない頭で生じたその考えに、涙が出てきた。
でも、仕方ないかもしれない。
どう考えたって、今の私って足手まといだし。
「大丈夫、茜は守るから。お姉ちゃんが必ず守るから」
前を走る優しいお姉ちゃんの言葉に、ちょっと元気が出た。
ありがとう。
昔から、何もかも敵わないな。
弱い私は、お姉ちゃんに守られてばかりだ。
「! おい、あれっ! 人だ! 人がいる! あいつに、この化け物を、押し付けよう」
しばらく走っていると、寺田君が人としてどうかと思う提案をしてくる。
ウチのお父さんはいつも、「自分の迷惑を他人に押し付けちゃいけないよ」と、口すっぱく言っていた。
だから、咄嗟に反対の意見を述べようとしたが、蓄積した疲労で声が出ない。
ダメだよ。
絶対、そんなのダメ。
言いたいのに、口が開かない。
「! ダメです! 何を考えているの!?」
もどかしく思っていると、お姉ちゃんが反対してくれた。
そう、その通りだ。
「うるせえ! 自分の命の方が大事だろ!?」
「うっ・・・」
しかし寺田君は大声で怒鳴り返してきて。
いつもはお姉ちゃんに対して敬語なのに。
寺田君と松岡君の方向転換に、杏奈さん、山西君。
そしてお姉ちゃんも、納得いかない顔をしながら、付いていく。
・・・仕方ない!
命が、かかってるんだから!
私も心に無理矢理な言い訳をして、彼らに付いて行った。
ちょっと進路を変えるだけでも、疲労した足には来る。
ごめんなさい、ごめんなさい!
泣きながら、遠くに見える男の人に、祈るように心の中で謝ると。
轟音とともに立ち姿が掻き消え、横から突風が吹いた。
と同時に、周囲より明らかに温度の高いものが、風に紛れて通り過ぎるのを感じる。
「えっ・・・?」
あれは、明らかに人の体温。
驚愕に立ち止まれば、走る勢いを踏ん張りきれずに転倒する。
「あいたっ!?」
特に強打した膝小僧が、ジンジンと痛んだ。
しかし、長距離を走ってきたことによる倦怠感で、体が動かず、痛む箇所を押さえる気力すら湧かない。
汗が全身からダラダラ垂れるが、気にならない。
スカートが捲り上がってパンツ丸見えになってると思うが、隠すために動く体力が、残っていない。
「はあ、はあ・・・、はあ・・・」
短いスパンで呼吸をすればしんどくなると本で読んだことがある気がするので、逸る息を抑え、深く息を吸い込もうと努力した。
後ろから、バキバキと音が聞こえる。
けど、不思議と恐怖はなく、体力回復に集中出来た。
・・・そろそろ立ち上がれるかな?
ぐいっと体を持ち上げ、前を見る。
粉々に破壊された、黒い色の怪物の手前。
「また、つまらぬものを斬ってしまった」
と、斬ってないのに五◯門みたいなことを言う長身な男の人は、テレビでしか見たことのないほど、かっこいい顔をしていた。
が。
この人が、私たちを救ってくれたの?
溢れ出る心地よい安心感に、未だドキドキする心臓。
状況が状況だ。
きっと、この人がどんな顔をしていても、私は思ったに違いない。
救世主様、と。
側にいれば、今いる見知らぬ世界でも、希望を抱いていられる、と。
信仰か、と思うほどの勢いで、私は彼に惚れてしまった。
何か、何か喋りたい。
浅ましさすら感じる女の欲望で疲労が消失し、立ち上がる。
何か、何か一言。
っ、そうだ!
「き、斬ってないんじゃないかなぁ・・・」
瞑っていた目をびっくり見開き、彼は私を見た。
そして、何故か微妙に体を仰け反らせる。
「ゼ、全リョク疾走でニゲテイタはずデハ」
・・・あれ?
なぜにそんなに片言?
冗談で出てきた言葉だと思うから、もうちょっとノリよく返してくれそうな気がしたのに。
ツッコミから入るのは、なしでしたか?
ちょっとしたお話をしたあと。
一目惚れしてしまった救世主様と並び、歩いて杏奈さんたちのところへ向かっていると、松岡君とともに駆け寄ってきたお姉ちゃんに抱きしめられ、頭を撫でられる。
とても心地よく思いながらも、お姉ちゃんも松岡君も、隣の男の人に何の一言もないことに不満を覚えた私は、注意を促す。
「ねえ、お姉ちゃんに松岡くん。あの黒いヤツから私たちを助けてくれたのこの人なんだから・・・、先にお礼を言わなきゃだめ、でしょ?」
言われて、お姉ちゃんは彼を見る。
すると突然、全身を硬直させ、私を抱きしめる腕の力を強めた。
・・・お姉ちゃん?
横から覗くその端正な顔は、「神照茜の姉」ではなく、「神照詩織という女」の表情で。
慌てた様子で私を解放し、「誠にありがとうございました」と、いつもの倍くらい品行方正かつ優雅に頭を下げた。
あっ、あーあ。
それだけで、私の初恋は敗れ去ったと諦めそうになった。
いつだって、どんな時だって、私はお姉ちゃんに何かで勝てたことなど、一つもない。
身長だって。
運動だって。
スタイルだって。
得意なはずの勉強だって。
私はずっと、ずっと、この優しいお姉ちゃんの下位互換だった。
それでも別に良かった。
私のことをこれ以上なく愛してくれているお姉ちゃんを、私もまた愛していたから。
けれど、今、この時だけは。
私の抱くジリジリと熱い思いが、お姉ちゃんによって阻まれてしまうと確信した今だけは。
神照詩織に対して、仄暗い気持ちを抱いてしまう。
会話のうまいお姉ちゃんと救世主様の仲が進展しないように、彼女に積極的に話しかけながら、杏奈さんたちと合流するべく、四人で歩いて行った。
そして合流してから、ねっちゃりした話し方をする、幼児体型な少女が撮ったという救世主様の写真に夢中になっている間に、お姉ちゃんの姿が見えなくなった。
ギョーザ旨い…(飯食いながらの更新)