ヤミの8月
八月に入って数日が経った。
短い夏季休暇が始まり、講義棟やトレーニング施設へ通うことはなくなった。
この期間は合同カリキュラムに縛られない自由時間が殆どを占めるため、その時間をさらなる鍛錬のために使ったり、魔導学の予習復習を進めたり、肉体のメンテナンスや心の休息に当てたり、人それぞれ自分に必要だと考えるメニューをこなしている。休暇という名が付いているものの完全にフルで遊びにでかける人は殆どいない。
そんな中、私は今日も今日とて自室の床をゴロゴロと転がっていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
頭を抱えながら部屋の隅から反対の隅まで、床のゴミを巻き取る掃除用具みたいに何回も転がっては止まり、また転がっては止まる。その繰り返し。六月の時にホムラに会えなくて悶ていた時を思い出す転がりっぷりだ。
今回も原因は明白。
あの日、皆の前でホムラを祭りに誘った時の自分の言葉が、勉強の合間とか、筋トレの合間とか、ふとした瞬間に脳裏にフラッシュバックするからだ。
“これは――宣戦布告だから”
「ってなんだうおおおおおおおおおおおおおおっ!! すごいドヤ顔臭がするうううううううううううううううううううっ!!」
ベッドの上の枕を取って顔を押し付け、足をジタバタさせ、思いっきり叫びながら更にゴロゴロゴロゴロ転がりまくる。思い出すだけで顔から火が出そうなほどに熱くなって動悸が激しくなる。
そのまま数回部屋を転がって往復した後、息苦しさが限界になったところで私は枕から顔を離して、そのまま仰向けに寝っ転がった。
「はぁ……はぁ……はぁ…………」
「…………疲れた」
別に、あの時の行動を後悔しているわけじゃない。
強引なやり方だったけどホムラを祭りに誘えたのは本当に良かったと思うし、皆の前であんな行動を取る勇気を出せた自分自身も褒めてあげたい。色々と偶然と勢いとノリが混ざった結果の行動だったけど、今こうやって思い返して見ても、やって良かったと確信が持てる。
ただ……それはそれとして、やっぱり気恥ずかしさというものはあるわけで。
脳内に興奮物質がドクドクしてハイテンションだった時は気にならなかった諸々が、時間が経って頭が冷えるにつれてすごく恥ずかしくなってくる。面食らったホムラの顔が面白くてちょっと調子に乗りすぎてたかなぁ……とか考えてしまう。あんな堂々と啖呵を切ったにも関わらず、音が小心者なところは全然変わっていないのだ。
「まぁやってしまったものは仕方ない……」
過ぎ去った時間は変えられない、変えられるのは自分と未来の行動だけ。自分が動けば自ずと世界だって変わってくる。
仰向けになりながら壁のカレンダーに目をやると、日付の数字に大きくマークしてある魔絢流星祭の日はまであと十日もなかった。私がこうして悶々と無為な時間を過ごしている間も、期日は刻一刻と迫って来ている。
私はこの祭りにホムラと一緒に行って……変わらない私の想いを伝えるんだ。流星花が咲き誇る夜空の下で、言い伝えを信じて、ホムラへ最後のアタックを試みる。その後の結果のことはどうでもいい。答えなんてホムラ次第なんだから想像したところで無意味、私が余計に緊張して動けなくなってしまうから考えない。
しかし……どうしようか。
私は頭の中で祭り当日の待ち合わせからの行動をシミュレーションする。ホムラを誘ってから暇さえあればこれをしていた。ちょっと慎重すぎるかなと思うけど失敗できないイベントなんだから、考えすぎて悪いってことはないと思う。
というわけでまずは待ち合わせ。
ああいう状況で誘った以上、ホムラの性格からして待ち合わせに来ることは確実で、そこはたぶん間違いないから心配しなくていい。
問題は……待ち合わせに来た後だ。祭りを見て回っている間、私の喋る言葉を適当な返事でのらりくらりかわし続けて逃げられちゃ堪らない。最悪の場合、流星花が咲く前に何か理由をつけて帰ってしまうかもしれない。講義室でのような公衆の面前でのやり取りならまだしも、二人っきりの状況でホムラに屁理屈合戦で勝てる自信は全くもって無いのだ。
だからきっと、話術以外の武器がいる。ホムラの有利な形で会話を展開させないための武器がいる。服でもアクセサリーでも行動でも一発芸でもなんだっていい。卑怯スレスレの手だって使ったって構わない。
私はホムラに“宣戦布告”をかましたんだ。これは戦い……手段なんて選んでいられない。ホムラにデカイ一撃食らわせて弱らせて、私が主導権を握るくらいの強力な武器がいる。
考えろ……考えろ……。
今の私が用意できる中でホムラが一番びっくりする準備、それは―――
「……あっ!」
そういえば“アレ”があったはずだ。
床に寝転がりながら目を閉じ考えを巡らせていた私は、すっと立ち上がると部屋のクローゼットまで歩いていき、扉を無造作に開く。
「確かこの中に……」
吊り下がってたり見えるところに畳んである自分の服はどうでもいい。それらを乱暴に外へ掻き出し投げ出して、クローゼットの奥の方を集中的に探していく。普段片付けていないせいで物がゴチャゴチャしていて探しにくい……こんなことならもっと整理しておけば良かった。こっちでは着る機会が絶対にない故郷の服とか、服ですらない辞書の山とか、今見つけなくていいものばかりが見つかってしまう。
そんな悪戦苦闘を続けること十分ほど……。
「……あった!」
私はようやく、探していたものを見つけることができた。
折り畳まれていたそれをクローゼットの外へ丁重に取り出すと、シワを伸ばしながら床へと広げて様子を見てみる。
「うん……祭りの日までにもう少し綺麗にする必要があるかな。誰かに手入れの方法を聞かないといけないかもしれない」
でも、まさかこれを使うことになるなんて……あの時は想像すらしなかった。
ホムラに対してこれを武器に使うのは少し卑怯な気がしないでもないけど、私が貰ったものなんだから私に好きに使ったところで文句は言われないだろう。それに……きっと元の持ち主のあの人だって、クローゼットの奥にしまわれているよりは誰かに着て欲しいと思うはずだ。
不思議……床に広げたこれを見れば見るほど、私がホムラと対面するのに相応しい格好はこれだと思えてくる。
「よしっ!」
決めた。私はこれを着て……ホムラに挑む!
†
それから祭り当日までの時間は、本当にあっと言う間だった。
最低限の自主練や魔導学の勉強を熟したり、魔絢流星祭についての出店やスケジュールの情報を調べたり、勝負服のクリーニングの件をリーナ教官に頼みに行ったらリーナ教官はあまり家事に詳しくなくて、困って廊下をトボトボと歩いてたら偶々出会った同期の子が教えてくれたり。色々な準備をしている間に時間はすごい速さで過ぎ去っていく。
祭りが数日後に近づくと、夏季休暇に入ってもいつもと変わらなかった訓練所内の空気が、どこか少し浮かれたものに変化していくのを感じた。廊下に沢山のチラシが貼られていたり、祭りについて楽しげに話す先輩たちを見かけたり、中庭で何かの催し物の練習をしている集団を見かけたりと。いつも見ている光景に、いつもじゃない何かが混ざっていって、私の心も自然と高揚してくる。
前日の夜とももなれば、寮から見える訓練所の外の景色に、屋台を組む人や不思議な形の灯りを設置していく人の姿がちらほらと見える。訓練所内だけでなく騎士団領区画全体が祭りに向けて動き出していた。
ここに集まる全ての人から発せられるドキドキとワクワクの熱が、ただ蒸し暑いだけの夏の空気を何か別のものへと変えていく。
まるで、魔法でもかけたかのように。
そしてその期待と興奮を含んだ空気の熱が最高潮に達した時――
魔絢流星祭の――幕が上がる。




