ヤミの7月【Ⅲ】
ホムラ。
フルネームはまだ知らないけど。これが下の名前だということは分かった。
初めて会った時に比べると、今の私はホムラについて沢山のことを知っている。食べ物の好み、人付き合いの仕方、背の高さ、触れた手の熱さ、家族のこと、お姉さんのこと。時折見せる悲しげな顔の意味だって……今の私は理解している。
理解したところで、もう何の意味も無いけれど。
とにかくホムラが私の前からいなくなったのは事実で、私はあの日以降ホムラと会うことは無かったのである。
ホムラは……本当に勝手な人だった。
†
ホムラと会わなくなってから半月ほど経った、七月最後の日の午後。
本格的な夏に向かいますます上昇する気温に旧式の冷房が追いつかず、妙な涼しさのムラができて候補生に不評を呼んでいる講義室内に、メガネをかけた教官が発する眠気を誘う抑揚のない声だけが響いていた。
「魔導器に注入された魔力はこの回路を通り、ガイシュナル鉱石とユレイシェント次元湾曲素子でコーティングされた貯蔵炉に入り――――」
既に何度か聞いた魔導器内部構造の簡易的な説明。それを図と共に板書していく教官の字をノートに書き写していくだけの退屈な作業。午後特有の気怠げな空気と冷房の不調による蒸し暑さに加え、メガネ教官の説明が教本をなぞるだけの見どころにかける講義だったこともあり、真面目に話を聞いている人は全体の半分にも満たない。みんな態度で減点されたくないから見かけだけはビシッと椅子に座ってるけど、教官が板書に向かった瞬間に内心別のことを考えている、のはデビルアイがお見通しなのである。
ま……そう言う私だってノートに真面目に書いていたのは最初の数分くらいで、すぐに不毛さを感じて書くのをやめてしまった。講義が退屈なのもあったけど、何より今は他のことに集中できる精神状態ではなかった。あの日から結構時間は経ったけど……まだまだホムラが告げた言葉の衝撃から立ち直れてはいない。講義のことは上の空、ずっと頬に手を当てて考え事ばかりしている。
本当に……ホムラは勝手だ。
勝手に嘘をついて私に近付いてきたくせに、こっちが好意を持ったら謝って勝手に去っていく。本人も自虐していたけど自分勝手にもほどがあるっての。
それにあの「ヤミなら大丈夫だよ」ってなんなの? 私のメンタルがどれだけ柔らかくて雑魚いか分かっていってるの? 未だに半月前のことをこんな引きずってるのに……どの口が「誰とだって仲良くやっていける」なんて言うんだか、本当に信じられない!
そりゃ最初はショックだったし、悲しいとか寂しいって気持ちで精一杯だったけど、ある程度落ち着いてきたらふつふつとホムラの態度に苛立ちが湧いてくる。私を騙していたことにじゃない。勝手に謝って勝手に向こうから立ち去ったことに苛立ちが募る。
あぁ、なんだか思い出すとまたムカムカしてきた。
なんでっ……! 私の話を聞かないでっ……! 一人で勝手に決めてっ……!
全く……ホムラってやつはぁぁぁぁぁ――――!
「ではヤミさん、この問題に答えて……」
「ああんっ!?」
「ひぃっ!」
「……あっ」
しまった。ムカムカしてる時に話かけられたせいで、無意識に教官に変な悪態をついてしまった。こんな態度は友達や家族にすら取ったことないってのに。
私がどう言い訳をしようかと考えてるうちに案の定周りがザワザワと騒ぎ出す。
私に直接悪態をつかれたメガネ教官なんて青い顔をして目を白黒させていた。
「あ、あぁぁぁっ! ヤ、ヤミさん、私何か失礼なことをしてしまったでしょうか……だったら言って下されば……」
正直この反応は仕方ない。今までの生活で温厚に静かに過ごしてきた特例魔導騎士候補生がいきなり怒声を上げたらこうなってしまう。特にこのメガネ教官は私に対して一際デリケートな扱いを推奨している一派の一人だし、次の私の一言次第では泡吹いて倒れてもおかしくはない。
不味いな……このままでは明日の騎士団新聞の一面が噂のハーフデーモン候補生突然ブチ切れ周囲困惑みたいな見出しになってしまう。いや無いと思うけど……万が一そういうことになりでもしたら、波風立たない生活を望んでいる私にとっては大問題だ。
どうにかしてこの場を切り抜けて、切り抜ける言い訳を考えて……。
考えて……。
考え――
「……いいや、めんどいな」
「え?ヤミさん……?」
「……うん、気にしないでください。たまたま気分が悪かっただけですから」
入団当初みたいに理由をつけて取り繕うと思ったけど、なんだか……急にどうでもよくなってしまった。名前すら知らない教官、大して話したこともない同期、この人たちの前で私が焦って気を使う必要が果たしてあるんだろうかと思ってしまう。たぶんこれは三ヶ月前の私だったら思いつきもしなかった考えだ。
私が頭を悩ませるのは……ホムラのことだけで充分。ホムラ以外なんてどうでもいい。
「それとごめんなさい。今日の講義はこれで抜けます」
「……え? ……え?」
私は困惑するメガネ教官に対して軽く一礼すると、荷物を持って講義室を出る。
逃げるように走って出た前回とは違い、私の足取りは無駄に堂々としていた。
ガララッ。
「さて……ここからどうしようか」
申し訳なそうにサボるのも堂々とサボるのもサボりに変わりはない。むしろ後者のほうが悪質じゃないかな……。それに前回と違って私が行く予定のある場所はない。ホムラのいない旧訓練所裏に行った所で意味はないのだから。
「困った……」
私は誰もいない廊下を歩きながら考え込む。
正直なところ、何度か自分からホムラに会いに行こうとしたことはある。けれど運良くホムラを見つけたとしても、姿を見かけた瞬間にビビってすぐにターンしてしまう。なんというか……怖かった。会いたい気持ちは山々で、ホムラにも苛ついて言いたいことは山程あるけど、それをもう一度ぶつけるだけの勇気が私には無かった。
だって……私はホムラの気持ちが分かるから。ホムラがどんな覚悟であの話を切り出したのかが痛いほど分かるから、その覚悟をご破算にしてまで会いに行きたい強い理由を私は考えつけなかった。何より、会いに行ってもう一度冷たい言葉で突き放されたら……私は今度こそ立ち直れない。
「…………はぁ」
深い溜め息を付く。
そうだなぁ……ホムラに会いに行けないのなら、せめてホムラのことをもっと知りたい。ホムラ以外でホムラの話ができる人だと……あのチビノッポコンビとか。いやいや、あの二人の近くには高確率でホムラ本人がいるからダメだ。それに私のコミュニケーション能力だと上手く話せる自身がまるでない。
他だ。他でホムラの話ができる人はに心当たりは――――
「あっ!」
……いた。私とホムラのことを両方知っていて、話を聞いてくれそうな人物。ラッキーなことにその人が普段いる場所も分かっている。というか向こうから教えてくれた。
「よし……時間も余ってることだし行ってみよう。今いるかは分かんないけど」
そう決めた私は廊下を早足で歩くと、階段を降りてそのまま建物の外へ出る。
そして中庭を通って隣の建物――教官棟へ足を踏み入れた。
教官棟は教官たちそれぞれに与えられている個室や、その他の職員たちの部屋、事務的な手続きをするための部屋などが入っている建物で、特に用事がなければ私たちのような騎士候補生が中に入ることはない。
私の目的地はここの一階の端にあるらしい……ので、各部屋の上に掲げられているネームプレートを注意深く見ながら廊下を歩いていく。
「おっ……あった」
すぐに分かるよ、と本人が言っていたとおり目当ての部屋はすぐに見つかった。
私は扉の前に立ち……少し深呼吸をした後に扉をノックする。
コンコンッ。
「り、リーナ教官!いますかっ!?」
緊張で声が裏返る。本当なら先に自分の名前を言うのが礼儀なんだろうけど、テンパる私んの頭にそんな発想は全然出てこなかった。
そんな不審者じみた私の声に、中から明るい女性の声が帰ってくる。
「はーい! いるから入ってきていいわよー!」
「し、失礼しますっ!」
扉を開けて中に入る。すると振り返ったリーナ教官は最初少しだけ驚いた顔して、すぐに優しく微笑んだ。
「あなた……確か特例魔導騎士の……ヤミちゃんよね?」
「……はい」
「おおっ! どうしたのどうしたの? そんなところに立ってないで中に入ってきなよ」
「わ、分かりました」
私は手招きされるままリーナ教官の部屋の中へと入っていく。
南向きの窓から日が差し込む明るい室内は部屋の隅に飾られた観葉植物と合わさって、とても爽やかな雰囲気を醸し出していた。リーナ教官が持つ綺麗な女性のイメージもあってか、部屋の中はどこか大人の女性の良い匂いがする……気がする。
リーナ教官は今まで読んでいた分厚い本を机に置くと、私を空いてる来客用の椅子へと促す。本を置いた机の上にはこれまた大量の、おそらく魔導騎士やトレーニングに関すると思われる本が積み上げられていて、机に置けない分は部屋の壁一面を覆うように置かれた大きな本棚にギュウギュウに詰め込まれている。
何というか……ラフな見た目と違ってすごい勉強家なんだなぁと印象を受けた。教官なんだから勉強してるのは当たり前なんだろうけど。
「それで、今日はどうしたの? まさ本当に来るとは思ってなかったからびっくりしちゃった」
「迷惑……でしたか?」
「ううん。そういう意味じゃなくて。あの時のヤミちゃんさ、『どうせ行くことなんて無いだろうけどねー』みたいな興味ない顔してたから」
「うぐっ……」
図星を突かれて動揺する。確かにあの時の私はリーナ教官に勝手な失望をして興味を失っていたからなぁ。まさかもう一度話す機会がある……しかも自分から話しに行くことになるなんて思ってもみなかった。
「そんな顔してたヤミちゃんがわざわざ訪ねて来てくれるなんて……よっぽどのことがあったのよね?」
「…………はい」
椅子に浅く座り頷く私を、リーナ教官は優しい目で見つめる。
決して急かしたり強く促したりするわけじゃない。ただ私が話し始めるのをじっと見守っていてくれる。
そんな目に私はすごく安心感を覚えた。
「実は……私、ホムラとケンカしちゃって――――」
ここまで来ておいて隠していても仕方がない。私はホムラとの間に起こったことをなるべく包み隠さずリーナ教官へ話した。
もちろんホムラの過去やプライベートに深く関わることは伏せて、あくまで私とホムラが互いの気持ちの行き違いでケンカしてしまったという部分を重点的に話す。私たちが出会ってからの些細なやり取りなど、隠さなくて良いようなところはなるべく全部思い出して話すようにした……すごく恥ずかしかったけど。
「――という、感じなんです」
「なるほどねぇ……。ホムラちゃんはヤミちゃんに嘘をついたのが申し訳なくて友達を止めようって言ってて、ヤミちゃんはそれでも友達でいたいわけね?」
「ま……まぁ、要約するとそんな感じです」
身も蓋もない要約だけど、深く事情を知らず傍から見ると本当にそんな感じなのかもしれない。私たちの間の問題なんて、他の誰かからすれば笑って吹き飛ばせるほど些細なものなのだ。
「もっと突っ込んだ事情が分かれば具体的なアドバイスはできるけど、ヤミちゃんが話したくないのなら仕方ないし、私も無理に踏み入る気はないわ」
「そんな第三者視点の私から見れば二人の今までの関係はすごく良好だし、単純にホムラちゃんの考え過ぎでヤミちゃんがグイグイ行けば解決する問題に見えるけど……」
「はい……私もそう思います。けれど……どうしても会いに行きにくくて……」
「だからリーナ教官! 今のホムラのこと何か知りませんか? 何かを特に頑張ってるとか、何か気に入ってるものはあるとか。何か欲しがってるものがあるとか。風の噂でも良いんです! グイグイ会いに行く口実……みたいなものって何かありませんか?」
「口実かぁ……口実ねぇ……」
リーナ教官は腕を組んで目を伏せ考え込む。
十秒くらいそうやって考え込んでると……パッと目を開いて机の中から一枚のチラシを取り出した。
「うん、やっぱり仲直りと言ったらイベント! イベントと言ったらこれよ!」
「こ、これは……!」
リーナ教官が取り出し机に広げたチラシはイベントの開催を告げるもので……。
「来月の夏季休暇のど真ん中に行われる、この区画最大のイベント、星降る夜に騎士たちが自らの望みを星に願うお祭り――」
そのチラシの内容に見覚えがあった私は、リーナ教官と同じタイミングで名前を叫んだ。
「――“魔絢流星祭”っ!!」




