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ホムラの4月



 春、新年度になったからと言って生活面で特別何かが変わるわけでもなかった。

 四月の頭に二年次でやることの軽いオリエンテーションがあっただけで、それが終われば一年目の延長線上にある大して目新しくもない座学と訓練の繰り返し。周りにいる同期の面子だって何人か辞めてった人はいても新しく入ってくる人なんているわけないし、物の見事に代わり映えのしない顔ぶれだ。


 私が座学終わりに机に肘をついて手のひらで顎を支えてぼーっとしていると、前年度と変わらずミヨシとトーカの小大コンビがひょこひょこと寄ってくる。

 

 「お疲れホムラ!この後どうすんだ?ホムラも次の座学講義まで時間が開いてるだろ?」

 「私とミヨシは食堂の方に寄って少し早いお昼を食べようかなーって話をしてたんだけどー」


 「あーうん……そうだなぁ」

 つい先程終わった午前一発目の座学の後、本来ならお昼までにもう一つ座学が入ってるはずだったんだけど、その講義を担当するリーナ教官っていう新しい教官に急用ができたらしく新年度一発目早々休みとなっていた。要するにお昼すぎまでやることが無くて暇なのである。

 他の同期の面々も突然できた休みに友達と雑談したり、魔道学の復習をしたり、自主トレーニングに出たり、お昼を取りに行ったり、寝不足なのか完全に机に突っ伏して休息につかったり、それぞれ思い思いに空き時間を利用している。

 という状況でのミヨシとトーカからのお昼のお誘い。私もご多分にもれず時間を持て余していたので別に誘いに乗っても良いんだけど……。


 「ごめん、私はパスで」

 

 「りょーかいっ!まあ次始まるまでは食堂にいると思うから気が向いたら来てよ」

 「そんじゃねー」


 「ほいほーい」


 私が返事を返すと二人は特に嫌な顔するわけでもなく手を振りながら講義室から出ていった。私も机に座ったまま小さく手を振り返す。

 別に予定は無いから一緒にお昼食べに行っても良かったんだけど、なんとなく気分が乗らなかったから断ってしまった。そう、こういうのは気分の問題なのだ。別に私は人付き合いを嫌煙しているわけではない。ミヨシたちからの誘いだって二回に一回は行くし興が乗れば休日の遊びだって付き合う。コミュニケーション能力が無いのではなく発揮するタイミングを選んでるだけなのだ。完全に言い訳だけど。


 こんな私のいい加減な性格を二人は知っていて、理解してるからこそ強引に誘ってきたりはしない。そんな二人だからこそ同期の中で一年くらい交流を保てている唯一の知り合いなのだ。

 もちろん他の同期と交流がないわけじゃないし、何度がグループ的なものには入ったけど……なんだろう、どれも大して長続きしなかった。人と関わるのに抵抗はないけど、深く踏み入った関係になったり、仲間内の予定を優先して自分の時間が束縛されるのは苦手だ。人数が多くなるにつれて陰口やどうでもいい諍いが見え隠れして……そういうのを見てしまうと自然と気持ちが萎えて相手のことがどうでもよくなる。関係を維持しようとする努力ができなくなる。他人の感情に当てられて気持ち悪くなるのが嫌で騎士団に逃げてきたのに、ここでもわざわざ不快な思いをすることはない。


 「……さて」


 このまま座っているとお尻と椅子がくっついて午後までこの場所に座ってしまいそうな気がしたので、私は重い腰をあげて渋々立ち上がる。軽く伸びをしながら講義室を見回すと残っているのはノートに何か書き込んだり爆睡している数人だけ。講義室にいた殆どの人がもうとっくに出ていったみたいだ。みんな行動が早い、アクティブだなぁ。


 私もどこかに行こうか……とも思うけど、特に行きたいところは思いつかない。困ったな、予定してない突発的な時間の空きは本当に困る。

 

 とりあえず廊下に出てみると、どこからか暖かい風が吹いてきて、切るのが面倒で伸ばしっぱなしにしていた私の長い髪を揺らした。


 「ん? ああ……あれか」

 辺りを見回してみると誰かが閉め忘れたのか、廊下の窓の一つが開いていて外の風が中へ入ってきてるのが分かる。暖かい……春の陽気な風。私がその風に誘われるように開いた窓にフラフラと近づくと、窓の下の床に桃色の花びらが落ちていることに気付いた。ここは三階だし誰かが外から投げ込んできたわけじゃないだろう。おそらくはこの風に乗って運ばれてきた花びら。


 いったいどこから――


 窓枠に手をかけて外を眺める。

 二階から見下ろす訓練所の敷地には訓練所や教官棟と言った多くの建物の他に、様々な樹木が建物の間や中庭と言った場所に植えられているのが見える。けれど今いる建物の近場の木々はどれも花を咲かせてはいない。


 これは違う、あれは違う、それも違う。あっちは……


 「……お、あった」

 敷地の一番奥、旧訓練所の裏に桃色の花を咲かせる樹の姿があった。


 「あんな遠くから運ばれてきたんだ……そりゃすぐには気付かないはずだ」

 私は窓枠に引っかかっていた花びらをつまみ上げて小さく笑う。あんな遠くから風でこの建物まで運ばれてきて、偶々開いていたこの窓から入って私の目に止まる。それは本当に奇跡的な偶然で、まるで花の精霊が私を呼びにやってきたような光景……ってのはちょっと臭すぎるかな。

 

 「というか、あの場所の樹ってこんな綺麗な色の花を咲かせるんだ……」


 そう、私はあの旧訓練所裏の場所を知っている。何を隠そう去年の夏の終わりあたりに見つけた私の秘密の場所なのだ。あそこは人が来ないし静かで、何もすることがない時にぼーっとするにはうってつけの場所。冬が訪れてからはさすがに寒くて行ってなかったけど……うん、しばらくぶりに行ってみようかな。


 「よしっ」


 桃色の花びらを運んできた春風に誘われて、私の足取りはどこか軽くなる。

 

 廊下を走り階段を駆け下り、そして――――




 †




 桃色の花を咲かせる天蓋の下に、悪魔が立っていた。


 「……わぁ」


 旧訓練所裏に繋がる扉を開けて外に出ると、私だけが知っている秘密の場所に私の知らない少女がいて、満開に咲く花を驚きと感動が入り混じった顔で見上げている。ただ……その少女は普通の人間ではなかった。頭には羊のような短い角、背中には蝙蝠のような黒い羽、腰からは先端が三角形に尖った尻尾がそれぞれ生えている、まるで悪魔のような少女だった。


 悪魔……そう考えたところで、私は教官が四月の頭の全体朝礼で言っていたことを思い出す。確か今年から異種族の団員が一つ下に入ってくるとかって話で、種族がハーフデーモンって言ってたような覚えがある。


 じゃあ、今私の目の前にいるあの子が――――噂の特例魔導騎士候補生。



 「…………」

 ゴクリ、と私は唾を飲み込んだ。

 

 異種族と聞いて頭をよぎるのはやっぱりガルのこと。姉のこと。

 姉に関する断片的な記憶の欠片がフラッシュバックされると共に、ガルと付き合った姉に対する非難と侮蔑の声と、ガルと結婚した姉に対する祝福と歓喜の声が、時に交互に、時に混ざり合って、頭の中で反響し、私の心を蝕んでいく。


 まだ……ダメなのか。姉の死から一年が経とうとしているのに、私はまだ自分の過去を振り切れないでいる。

 

 正直この場から一刻も早く立ち去りたい。回れ右をして走り去りたい。

 姉の時から時間が経って異種族に対する扱いが少しはマシになったとは言え、まだまだデリケートな存在であることに違いはない。ガルと付き合った姉に対する周囲の目の変化を目の当たりにした私にとっては、願わくば関わり合いになんてなりたくない相手。面倒事は抱え込みたくないのだ。


 だけど……逃げてばかりじゃ状況は変わることはないんだ。姉が死んだ今、姉が私の元へ引き返して来て手を取ってくれることはない。私が変わらなきゃ、私から進まなきゃ、姉のいる場所には辿り着けない。横に並ぶことはできない。


 いつまでも、子供のままじゃいられない。


 私は拳を握りしめて笑顔を作り、一歩前に踏み出す。


 「その樹……サクラって言うらしいよ」


 「……え?」


 私の声にハーフデーモンが振り返る。突然現れた私に物凄く動揺しているようだった。

 

 「うちの国では見ない木だよね、たぶん他所から持ち込まれて植えられたんじゃないかなぁ。春になると毎年綺麗な花を咲かせるらしくて――」


 まぁ、動揺しているのは私も同じで、作り笑顔を保つことと、こっちの緊張が悟られないふりをすることで精一杯。自分が何を喋っているかなんて気にしている余裕は全く無かった。座学で適当に聞いていた植物の知識を思いつくまま喋り続ける。


 数分喋った所で、ハーフデーモンの子も全く話を聞けないくらい緊張してることに気付く。私は一呼吸して息を整えると、更に一歩前に踏み出して微笑みかけた。


 「随分と驚いた顔してるけどさ、私もちょっと驚いてるんだよ?」

 「へ?」

 「まさか私だけのお気に入りスポットに先客がいるなんて。しかも話題の悪魔っ娘」

 「えと……あう……」


 

 ……まだ、引き返せる。ふとそんな考えがが私の脳裏をよぎる。今ならまだ挨拶しただけの先輩として、浅い関係として、引き換えして何も無かったことにできる。

 

 でも、それじゃダメなんだ。

 私が子供から大人になるためには、正直なだけじゃダメなんだ。


 だから――

 

 「ま……これも何かの縁かな」


 「私はホムラ、あなたは?」

 「私は……ヤミ……ヤミって言います!」


 “私はヤミに、嘘をつく”。


 「ふむ、良い名前だ、気に入った!」 

 「え?」

 「ヤミには特別にこのお気に入りスポットを訪れる権利をあげよう!」

 「えぇぇぇ!?」



 「その代わりと言ってはなんだけど、私の話し相手になってくれないかな?」

 「……なっ! で、でも私は……悪魔……だから……」


 「知ってる」


 「だから――ヤミが良いんだ」

 


 

 † †



 その時私が思いついたのは、本当にくだらない児戯だった。

 

 自分の心に嘘をついて異種族であるヤミと仲良くすることで、少しは姉に近づけるのではないかと思ったのだ。

 かつて世間の目を気にして姉を傷付けた私が、世間の目を気にせずヤミを助けてあげることで、少しは成長したところを姉に見せつけられると思ったのだ。


 今考えてみれば……本当にくだらない。

 そんなものは心の篭っていない単なる姉の模倣だ。姉は同情でガルを愛したのか? そんなわけないのは私が一番知っている。

 ヤミのため? それだってただの言い訳だ。私がヤミを利用するにあたっての免罪符にすぎない。

 

 一歩踏み出せたように思ったのなんてただの錯覚。

 私は姉に近づけてもいなければ、ヤミのことを見てすらもいない。

 全ては自分のため。二人を理由にただ自分の心を慰めて誤魔化すための最低な嘘。私は自分の過去の嫌な思い出から逃げるために、忘れるために、都合の良かったヤミを利用しようと決めたんだ。


 もう嫌だった。

 何かあるたびに昔を思い出して、辛くなって、迷って、結局答えは出せなくて……そんな繰り返しに疲れていたんだ。全て無かったことにしたかった。


 楽に……なりたかった。



 ねぇ、ヤミ。だから私は――――



 


 

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