ホムラの過去【Ⅵ】
† † † † †
デメルの丘はハイゲルの街の外れにある丘で、姉とガルの家からは十五分ほど歩いたところにあった。
「とういか……これ丘というよりちょっとした山なんじゃ……」
『こちらデメルの丘』と書かれた看板の向こうはかなりの坂道になっている。たぶんこの看板のとこが入り口で、この道を行けば丘の上に登っていけるんだろうけど、道の続く先が全く見えない。これって歩いていくんじゃなくて乗り物を使って登って行く道なのでは……という疑問が私の中に生まれる。
「ま、ここで迷ってても仕方ない。行こう行こう」
私は自分に言い聞かせるようにひとりごちると坂道を歩き出した。
まぁ母に聞いたからって別にすぐに丘に来る必要は無かったんだけど。
葬儀に関する事柄が既に終わっていて特に何もやることもなかったのと、母には悪いが二人っきりであのまま家に居ると気分が落ち込みそうだったので、気分転換の散歩を兼ねて外出してきたのだ。
「ふぅ……はぁ……」
しかしこの坂道は長い。
晴天の下、一歩、また一歩と、誰とも会わず何もせずに黙々と歩いているとジワリと汗が滲んでくる。道の両脇には樹木が立ち並んでいて、両側から伸びた枝葉が私の頭上で重なって自然のアーチを作っているから直接日差しは当たらないものの、風が通らないせいか全然涼しくない。むしろ森に近い環境で独特の蒸し暑さが襲ってくる。
そのままただ歩くこと五分。十分。十五分……二十分近くになって、これもしかして違う道に入っちゃったのではという可能性を疑い始めた時。
私の目の前の景色が――ぱっと開けた。
「…………!」
蒸し暑い樹木のトンネルを抜けた先、そこにあったのは見渡す限りの高原。
青空の下、視界一杯に緑の景色が広がり、夏の始まりの爽やかな風が高原に並ぶ草を揺らしながら駆け抜けていく。
「綺麗……ここがデメルの丘……」
確かに聞いてたとおりの良い場所だ。ハイゲルにもまだこんなに自然が残っている場所があったんだと私は驚く。歩くたびに風が火照った私の体を撫で、涼しさと草の匂いを運んでくる。思わずここで寝っ転がってお昼寝したい欲望にかられるけど、私はデメルの丘に来た目的を思い出してぐっと我慢する。
「さてガルの場所は……あっ、あそこかな?」
指を伸ばした右手を額に当てつつ高原を見渡すと、高原の一画の白いお墓が立ち並んでいる場所があり、そこに小さく黒いスーツの人が立っている姿が見えた。デメルの丘の一部が霊園になっていると母に聞いていたがきっとあそこがそうなんだろう。
涼しい風と綺麗な高原の光景で気力を回復した私は、意気揚々と見つけた霊園の方向へ歩みを進めていく。
霊園は高原の端でハイゲルの街を見下ろせるような場所にあって、霊園に近づくにつれて段々と下のハイゲルの街の光景が見えてくる。高原だけの光景も中々綺麗だったけど、こうやって丘から街を見下ろすのはまた違った楽しみがあって良い。
そんなことを思いながら霊園に足を踏み入れた瞬間、墓石の目に座り込んで石を見ていたガルが私の方を一切振り向かずに声をかけてきた。
「ホムラか。わざわざ来てくれてありがとう」
「……お、おう」
この距離で勘付かれたことに驚いて動揺した声を出してしまう。
気配……いや、足音が聞こえたのかな。それにしても足音だけで私と判別はできるはずはないし、獣人特有の第六感でもあるのだろうか……?
「騎士団の訓練のほうはどう? 人間関係は上手くやれてるかい?」
そう言いながらガルは立ち上がって私の方を振り向いた。何年かぶりに見たけど……ガルは本当に変わらない。野性味溢れる獣耳と尻尾と、それとは反対に真面目さが滲み出る爽やかな顔。スタイルの良い引き締まった体で黒いスーツを着こなしている。結婚式の時に見かけたそのまんまだ。
目の下の濃いクマや何日も着ているであろうスーツのシワから疲れてる様子は察せるけど、ガルは疲れを表情に出そうとはしていない。むしろ笑顔を作って私の心配をしてくれている。自分が一番辛いだろうに本当に強い人……姉が惚れるだけはある。
「うん、訓練所は良いところだよ。先輩や同期は優しいし、上手くやれてるほうだと思う」
「そっか、なら良かったよ」
「ガルは……お姉ちゃんのお墓の場所を探していたんだよね」
「ああ。色々見て回ってみたがやっぱりデメルの丘が一番だと思う。ほら……ここからならハイゲルの街が一望できるだろう?」
「うん」
ガルが指差す先、丘の下には経済的成長を続けるハイゲルの街が広がっている。まるで雲の上の別世界から下界を見ているような感覚……。あの街の建物一つ。家の一軒。道を歩く人混みの一人一人にそれぞれの営みがあって、それぞれ別の人生を生きている。きっとこういうことを思ってしまう場所だから死者たちが眠るのに最適の場所なのだろう。ここからなら死んだって皆のことを見守っていられる。
「きっと……お姉ちゃんもここを気に入ると思う。分かんないけど」
「はははっ、そうか。妹のお墨付きならもうここに決めるしかないな。きっとあの人も喜ぶよ」
「分かんないって言ったのに……」
「ホムラが分かんないって言う時は本当は分かってるときだって聞いたぞ?」
「ぐっ……」
姉め、余計なことを。
「はははははっ」
ぐぬぬと悔しがる私の様子をみてガルは笑う。ただ……やっぱり目は笑っていない。そりゃそうだ。最愛の人が死んだ事実からそう簡単に立ち直れるわけがない。
こんなガルに……姉のことを聞いてもいいのかな。
戸惑いながらも、私はずっと胸につっかえていた疑問を口に出すことにした。
「ねぇ……ガル」
「ん?」
「お姉ちゃんは……こっちで暮らし始めてからどうだった?」
「…………そうだな」
私の言葉を聞いてガルは一瞬だけ悲しげな顔をした後、眼下に広がるハイゲルの街のほうを向き、遠い目をして話し始める。
「君のお姉さんはすごく楽しそうだったよ。少なくとも僕は二人で暮らすことが楽しかったし、すごく幸せだったと思っている」
「幸せ……」
「ああ。僕が仕事から帰ってくるといつも美味しい料理を作って待っていてくれた。仕事が遅くなってしまった時もお気に入りのお店のパンを買って帰ると喜んでくれた。休みの日には一緒に色んな場所へでかけた。僕のせいで変な目で見られることもあったけど……お姉さんは全く気にする様子はなかった。むしろ彼女から僕の手を引っ張って連れ回してくれた」
「楽しかった……ずっと、どこまでも、そんな日々が続くと思っていた……」
ガルの目にまた一瞬だけ悲しみの色が映る。
「辛い?」
「……辛いよ。こうして笑って誤魔化してるけど、心の中は八つ裂きにされるんじゃないかってほど痛くて苦しくて全てが嫌になる」
「だけどね……後悔はしていないよ。君のお姉さんと出会ったことは、結婚をするという選択をしたことは、今でも正しい選択だったんだって思ってる。彼女と過ごした時間は今の僕にとって何よりも大事な宝物だから」
ガルは言い切る。今にも泣きそうな笑顔で、震える声で、力強く言い切る。
それはまるで……天国の姉に誓う言葉のように見えた
私はそんなガルに圧倒されて返す言葉に詰まってしまう。
「ガルは……強いんだね」
「強くなんてないさ。今だって気を抜いたら涙が出そうになってくる。ただ……自分の選んだ選択は絶対に正しい、後悔なんてするわけないって自信を持ってるだけだよ。例え他の部分でどんなにボロボロに惨めでカッコ悪い姿を見せたって、一番大事な部分だけ守ることができればそれでいい」
「僕は……それを支えに生きていけるから」
「…………なんか、そういうの良いね。かっこいい」
私はそんな選択をしたことがなければ、何かを支えにしたこともない。姉がいる間はずっと姉を追いかけて、姉がいなくなってからは他人に流されるまま自分が楽な方へと流されて生きてきた。騎士団に入ったのだって本当に信念があったわけじゃない。だから実感は全然涌かないけど……今のガルの言ってることは本当にかっこいいと思う。
「僕が特別なわけじゃない、きっといつかホムラにもそういう時が来るよ」
「来る……かな……」
“いつかホムラにも”
あの日姉にも言われた言葉がリフレインする。いつか……私にとってのいつかは何時訪れるんだろうか。少なくとも今は全くその予感はない。
そんな俯く私を見て、ガルが力強く言い放つ。
「来るさ。きっと来るよ」
「ホムラは……今でも悩んでるんだろう。お姉さんと僕が結婚するってなった時、お姉さんに対して冷たい態度しか取れなかったことに」
「…………っ!」
ゾクッとした。心臓をナイフで刺されたのかと思った。
自分の悩みを他人にあっさり言語化されるとこうも突き刺さるのか……。
「あの時の君の心配は正しいもので、お姉さんが選んだ道も正しいものだった。どっちも正しいから……そう簡単に答えがでるものじゃない。きっと僕が何か言った所で、僕がお姉さんの代わりに答え合わせをしたところで、君の中の悩みは解決しないだろう。それは君自身が立ち向かわなければいけない問題だからね」
ガルの言うことは最もだった。
例えガルの口から“姉は全然気にしてなかったよ”と伝えられたところで私のモヤモヤとした気持ちは何ら変わらない。私が一歩踏み出て“何か”を解決しないうちは何も変わらない。
「君がその悩みを吹っ切ることができた時。きっとその時に僕やお姉さんが君に言った言葉の意味が分かるはず」
「だからその時が来たら、君なりの答えが見いだせたのなら……またこの丘に来てお姉さんと会ってほしい。今は無理でも……いつかは笑顔で姉妹が再会できる。そんな日を僕は願っているよ」
そう言って、ガルはまた優しく微笑んだ。
私はその気丈な笑顔を見るのが辛くて……視線を上にずらして空を見上げる。
ハイゲルの空は、どこまでも青く澄んでいた。
† † † † †
デメルの丘でのガルとの会話の後は、特に何があったわけでもない。
久々に会った父さんや母さんとガルの家で話をしながら食事をして、一泊して、姉にまた手を合わせて、次の朝には迎えの車を呼んだ。
母からはもう少しゆっくりしていけばいいのにと言われたし、実際外出許可期間はまだまだあったけど、私はすぐに帰りたかったのだ。ハイゲルの空と自然は優しくて、人や街は活気づいていて、悪いところではない。だからこそ……この街の良さに甘えて逃げてしまいそうで嫌だった。
そうして私は騎士団へと戻り。訓練漬けの生活がまた始まる。
雨季が終わって夏が始まり、夏が終わって秋が来て……そして寒い冬が来る。
姉の言った、『これだ!』と心が叫ぶ選択。
ガルの言った、自分の選択を後悔しない強い気持ち。
季節が変わっていく間も、私は頭の片隅でずっとそのことを考えていた。
けれど……私にはまだどちらのことも分からなかった。
未だに自分の中で何も答えを出せないまま、更に季節は巡り――――。
そして、二年目の春が来る。




