ホムラの過去【Ⅳ】
† † †
まぁ……特にもったいぶって引っ張るような話でもない。
死んだのだ、姉が。
死因は事故死。事件性があるわけじゃない本当に不幸な事故だったらしい。
お別れとはそういうこと。言ってしまえば何ともシンプルな話だ。
訃報が届いたのは入団から二ヶ月後の六月。訓練所での生活にもすっかり慣れ、連日降り続く雨に嫌気がさしていたある日のこと。私は突然指導教官に呼び出されて指導室へと行くこととなり、教官の口から姉が亡くなったという事実を知らされた。正確には家族が騎士団へと連絡をして団経由で私に知らされたという形。訓練を受けている間は家族から私へ直接連絡するルートが無いから仕方がない。
姉の死という事実を前に……私は困惑した。呆然とその場に立ち尽くした。
もちろん悲しさだってあるにはあったけど、あまりに唐突な知らせに悲しみより戸惑いの感情のほうが強くなる。何より……現実感がなかった。
子供の頃の私にとってスーパースターだったあの姉が、殺しても死ななそうなあの姉がこんなあっさりと死ぬなんて……想像すらできないし実感なんて沸くわけがない。
誰かの書いた本の中の話を聞かされているようで、私の目からは涙の一滴すらこぼれなかった。
「――――それでだ、ホムラ」
あくまで事務的に私への連絡を告げた教官は、手持ちのファイルから一枚紙を取り出し私へ差し出した。
「身内の不幸ということでお前には特別に遠方外出許可が出る。しばらく訓練を中止して家族のところに戻るといい。この書類にサインして事務のほうに出してくれ」
「……は、はいっ」
私は言われるがままに書類を手に取る。
戻る……か。
しばらく姉のことなど考えていなかったから、どういう顔をして会いに行けばいいのか分からない。おめでとうすら言えずに別れた……こんな私が死んだ姉に合わせる顔などあるのだろうか。ダメだ……久々に頭が回らない。
考えるのが面倒になった私は教官にお礼を言うと指導室を出てフラフラとした足取りで自室まで帰った。
書類の詳細を特に読まず勢いで記入を済ますと、机に放り投げてベッドに倒れ込む。書類がぶつかったせいで机の上に置いてある写真立てが床に落ちた気がするけど……どうでもいい。拾い上げる気力もない。どうせ子供の私と一緒に映っている白いワンピース姿の姉が目に毒で伏せっぱなしにしてるし。
そういえば……あのワンピース、家を出る時に母さんから無理やり渡されたな。私は着る機会無いし成長してサイズも合わないって何度も断ったのに押し付けてきて……結局ずっとクローゼットの奥にしまってある。またあのワンピースを外に出すことなんてあるんだろうか……ないだろうな……。
「はぁ……」
その日はもう何もしたくなくて、何も考えたくなくて、ベッドの中で泥のように眠った。
きっとそのうち、謝ることができると思ってたのにな……。
お姉ちゃん、どうして――――
† † †
数日後。騎士団から直々に許可が降りて二ヶ月ぶりに訓練所のある区画を出ることとなった日の朝。
私が出発前に案内された場所は、今まで足を踏み入れたことのない施設。訓練所ともトレーニング施設とも寮とも違う、無理やり例えるなら病院のような場所だった。白い清潔な壁と独特のアルコールの匂い、そしてよく分からない器具が立ち並んでいる。
「ではボディチェックと、それからエーテル減衰薬の注射をしますね。すぐ終わりますから動かずじっとしていてください」
「……は、はい」
看護師さんに似た服を着た人が私の体をペタペタと触った後、横に置いてる銀の台から注射器を取って注射の準備を始める。
看護師さん風の人の胸のネームプレートを見ると名前はマルタさんと書いてあった。どうやら騎士団所属のメディカル職員らしい。
「肉体に問題があったり病気の様子は見られませんねー、健康体そのもので問題ないです。注射の説明は書面で確認してるからまた聞くのかよーって思うでしょうけど、義務なので口頭でもう一度説明しますね。ご了承くださーい」
「……分かりました」
大して詳細を見ないで書類にサインしたからここで初めて聞く……とは口が裂けても言えない。言ったら外出禁止になりそうだ。知ってるふりをしてありがたく聞いておこう。
「このオレンジ色の薬は人工エーテルエネルギーが体内に及ぼす影響を減衰させるための薬です。まぁ簡単に言えばエーテルを使った暖房冷房が効きにくくなったり、ヒーリングマシンの治癒力が下がったりしますねー」
「えっと……エーテルエネルギーって今だとほぼ国の全域で使われてますよね?」
「うん、でもまぁ生命活動に関わるほどの影響減衰はしないので健康的な騎士様の肉体なら問題はありません。ちょっと不快だったり不便だったりするくらいですよー」
「いやでも不快なのもちょっと嫌で――」
「はいグサリ」
「うぐっ!」
注射器の鋭い針が私の腕に突き立てられて中の薬が血管内に入ってくる。エーテル医療が普及してからこの手の原始的な注射は見なくなったので、久しぶりの痛みに少し声が出てしまう。
「他に注意事項としてはなるべくエーテルエンジンを使ってる乗り物に乗らないこと、使ってる施設になるべく近づかないことですかねぇ」
「え、移動はどうすれば……」
「騎士団が持ってる汎用エネルギー式の四輪車で送っていく手はずですよ?」
「……あ、ああ、そうでしたね。はははは」
不味いな。下手に突っ込むと内容を読んでないのが露呈してしまう。
しかし改めて聞いてみると徹底した縛りが入ってるんだな。
一応私たち魔導騎士候補生は申請さえすれば訓練所からの外出を自由にできる。休日には訓練所の外の商業施設などに行って買い物をしたり遊ぶことだって許可されている。だけど……そこはあくまで魔導騎士団が管轄する区画内の施設なのだ。店の中には有名なチェーン店もあるけど働く店員や店で使用する機械には全て騎士団の目が届いている。あくまで管理された箱庭内で私たち魔導騎士候補生は自由を満喫する。
その壁の外へ出る……ということはここまで厳重なチェックと縛りを受けるんだということを私は自分の身を持って実感する。
「全ては外でも騎士団施設内と同じ体内環境を維持するためです。我慢して下さいねー」
「は、はい」
注射が終わり、全てのチェックが終わると、最後にマルタさんは一つのカプセルを取り出して私に手渡してきた。
「絶対に必要ないとは思いますが……万が一、億が一、緊急にエーテル機器を使用しなければ生命に危機が及ぶ状況に陥った場合、このカプセルを飲んでくさい。一時的にエーテル減衰の影響が回復しますから」
「……分かりました」
たった一つしか渡されないカプセル。本当に緊急時だけに使わせるつもりなんだろう。
「よしっ。これで検査は終わりでーす。外に出れば送迎用の職員が待っているはずなのでどうぞそちらに」
「ありがとうございました」
「いえいえ、私たちメディカル職員は騎士様たちの健康が一番。お気を付けて行ってきてくださーい!」
マルタさんの笑顔に見送られながら、私は制服の襟を正して検査室を出る。
外に出るとマルタさんの言っていたとおり、訓練所の正門の近くに車と職員が待機していた。四輪の車は無駄に古めかしく、何を動力にしてどう動いてるのかさえ想像がつかない。
今日は珍しく朝練をする人がいないのか、早朝の訓練所内は鳥や木々の声しか響いていない。この季節には珍しく空に浮かぶ雲もまばらで少しだけど日の光も差し込んでいる。何というか……久しぶりに感じる爽やかな朝の空気に包まれていた。
こんな空気の中で運転手付きの車に乗り込むのはとても変な気分だ。皆が学校に行ってる時に休んで旅行に行ったりする時に似た気分なんだろうか。私はそんな経験全く無いけど。
「はぁ……いつまでも待たせてるのも悪いしさっさと行こうか」
そうして職員の運転する車に乗り込み、目指す場所は遥か南西。
国の中心部に位置する魔導騎士団の領地から、この車の速度なら一日はかかるであろう距離にある国の端っこも端っこ。
姉とガルが暮らしていた街――ハイゲルへ。




