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ヤミの7月【Ⅰ】


長い長い雨季のトンネルを抜けると、私を待ち受けていたのは見渡す限りの夏だった。



 夏を待ち望んでいた木々が青々と葉を茂らせ、活動を始めた虫や小動物の鳴き声が辺りにこだまする。日差しの熱と人々の期待で膨らんだ空気は上へ上へと昇り、青と白のコントラスト眩しい、どこまでも突き抜けた夏の空に吸い込まれていく。

 

 なんていうか……夏だ。

 この熱気に当てられた人々の多くは不思議と気分が高揚し、友達と遊びにいくなり出会いを求めるなり、何か行動を起こさずにはいられなくなるらしい。

 けれど反対に暑さを嫌って日陰に隠れる私のような人もいる。ギンギンの日差しの中でテンションあげるのは悪魔的にきつい。二つの意味で。

 まぁどちらにしろ、夏の空気が人の精神に何かしらの影響を与えるのは間違いないのだ。光が強くなれば同時に影も濃くなるように、夏という強烈な光は人の心の陰影を浮き彫りにしていく。

 そう……今まで隠していた気持ちさえ、白日の下に曝け出させてしまうのである。


 

 「……っていうか。本当に暑い」

 この魔導騎士訓練所は位置的に首都に近いものの、周囲に大きな建造物や住宅地は少なく、どちらかといえば手付かずの自然に囲まれた場所にある。

 そのせいで敷地内を歩いてるだけの私にも夏がこう……何のフィルターも通さずダイレクトに降り注ぐ。特に今日のような雲一つない晴天、肌がジリジリと焦げる錯覚さえ覚える猛暑日は、とてもじゃないが耐えられない。ううう……。

 周囲のグラウンドや訓練施設からは、待ってましたとばかりに張り切ってトレーニングに励む同期や先輩方々の声が聞こえてくる。こんな暑いのによくやれると素直に関心してしまう。

 

 かく言う私は早々に今日の訓練は諦め、涼みとホムラに会う目的でいつもの旧訓練所裏に足を運んでいる。

 幸い今日は一日を通して自主練メニューだけの日、つまり私にとっては堂々とサボれる……もとい休める日なのだ。誰に後ろめたく思うこともない。


 そんなわけで足取り軽やかにいつもの場所までやってきたのだけど。


 「あれ?ホムラまだいないな……」


 すっかり夏模様に衣替えした旧訓練所裏には誰もいなかった。

 

 木造の旧訓練所が日差しを遮って作り出す涼やかな空間に、鮮やかな濃い緑の葉が揺れる音が響いてとても居心地がいい。深呼吸すれば木々と爽やかな夏の匂いが体の中いっぱいに広がっていく。

 私だけが知っている……私とホムラだけが知っている特別な場所。


 ホムラはまだ来てないみたいなので、いつも椅子代わりに座っている石段に新品のハンカチーフを敷いて座る。ホムラが見たらせっかくの良い布をお尻の下に敷くのは勿体無いと思うのかな。私は支給品にあまり拘りはないし、手を拭くのもこうやって敷くのも用途としては変わらないように感じる。

 まぁ人の価値観はそれぞれだし、違うからこそ話してて楽しいと私は思う。少なくとも最近はそう割り切れるようになってきた。きっとこれもホムラと出会ってこの三ヶ月過ごしてきたからこその変化だろう。別に同期や教官たちに心を開けるようになったとか、すごく明るくなったとか、そんな大きな変化は起きなかった。けれど四月にホムラと出会えなかったら私は今よりもっともっと暗く自分の殻に閉じこもっていただろう。


 ホムラと出会えて良かった……今の私は素直にそう思える、確信できる。


 ホムラと話す時間は最早私の生活の一部で、かけがえのない当たり前のこと。本人に言ったら重いやつだなぁって一蹴されそうだから口が滑っても言えない。てか言われたらしばらくへこんで立ち直れくなる。私のメンタルはそこまで強くはないのだ。


 そして当たり前の習慣だから、旧訓練所の木造の廊下を軋ませながらこちらに向かって歩いてくる足音にも、中から旧訓練所の裏手に出る扉を開ける音にも、私は対して驚くことはない。


 「よっ、今日は早いね、ヤミ」

 

 「ううん……私も今来たとこだよ、ホムラ」


 来ることが分かっていたから、当然だから、私はホムラを見て自然と微笑む。


 旧訓練所裏までやってきたホムラは自主練を切り上げてきたのか額や頬に大量の汗をかき、ホムラが着ていた少し首周りの伸びた白いTシャツは薄っすら中が透けて見えるほど湿っていた。旧訓練所裏に風に乗っていつもより濃いホムラの匂いが流れてくる……いやいや、興奮しちゃいけない、落ち着け落ち着くんだ私。


 ふぅ……。何とか気持ちを落ち着けて真顔をキープする。


 「でもさ、私より先に来るなんて珍しくない?」

 「ん……」


 必死で気持ちを落ち着けてるせいで無口な人みたいな返答になってしまう。変に思われてないかとホムラを見やるとホムラが何故か私の顔をジロジロと見てきていて更にドギマギしてしまう。

 な、なに?私の顔に何か付いてる?それとも内心動揺してるのが悟られている!?

 不味い、これは非常に不味い。ホムラに見つめられていると心臓の音が破裂しそうなドックンドックンして来て痛くなってくる。これがホムラ関係ないとしたら完全に病気判定されるほどの痛み……いや、ホムラでこれだけの症状が起こるなら立派な病気だと思う。どこから見ても重症ですはい。


 このまま黙って見つめ合ってると頭が茹だって口から煙が出そうなので自分から話を先に進めることにしよう。確か私がホムラより先に来て待っていたのが珍しいって話だった気がする。

 「今日は今日は訓練入れてなかったから。申請書も提出してなかったし……サボりのホムラとは違う」

 「サボりじゃないわい」


 ドキマギしてちょっとキツイ言い方になった私とは対象的に、ホムラはいつもの調子で気怠げに手を振りながら私の言葉を否定する。


 「ヤミも知ってると思うけどさ、うちには共通カリキュラムと自己カリキュラムがあるわけで、自己カリキュラムのほうは時間内にやる自主練みたいなもの。メニューも個々で考えるんだよ」

 「知ってる、入団して三ヶ月経つし」

 「つまり必要な施設と器具と内容をまとめて申請書を提出してたらその時間何をしようとフリー。バカみたいに時間を全部使う必要もないし、余った時間は休息に当ててもいい。今日の私はたまたま早く終わっただけなの」 


 さらっと否定したままならカッコいいのに、こうやってすぐに自己弁護の壁を作っていっちゃうのが何ともホムラらしい。これは相手に分かってもらう言い訳というより、自分の中で自分を正当化するための呪文みたいもの。それを分かってる私だからこそ特に返答に遠慮はしない。


 「……あくまでそういう建前ってだけで皆時間一杯使ってるけどね、休憩時間は間にあるし」

 「ぐっ!」

 「それに怪我を気にして調整が必要なプロ騎士でも無いんだし、私たち候補生は時間あるだけ訓練するべきだと思う」

 「がはっ!」


 私の言葉にホムラはいちいち派手にリアクションを取って膝から崩れ落ちる。その様子はすごく面白いけど、実際ホムラの自主練時間が日に日に短くなってることは目に見えていた。あの雨の日以降……特に夏に入ってからのホムラは練習をサボることが多くなった。定められた最低限の課題はこなしているから口に出して咎めるほどじゃないし、もっとサボってる私が咎められる立場でもないけど、真面目か不真面目かと問われたら不真面目だろう。


 「はぁ……」


 項垂れたホムラは自分が腰に巻いていた上着を石段に敷いて私の隣に座り、持っていた氷バケツから瓶を取り出して私に渡してくれる。


 「はいどうぞ、冷えてるよ」

 「ん、ありがと」


 氷で冷やされていた瓶はキンキンに冷やされていて触っただけでその冷たさが伝わってくる。栓を開けるとぷしゅっという音と共に瓶の口から白い煙が出てきて、そこで私はこれが炭酸飲料なのだと気がついた。口にあてがって流し込むと果実で味付けされた爽やかな風味が喉を通り体の奥へと入っていく。


 「……うまい」

 「ぷはーっ!」


 ホムラ……本当に美味しそうに飲むなぁ。

 ホムラは普段は私を子供扱いするけど、隙を見せた時のホムラはその私の何倍も子供っぽっくて可愛いからズルいと思う。私だけに見せるホムラの一面、もっと皆に知ってほしいような、私だけのものにしておきたいような……歯がゆい気持ち。

 まぁ、私の考えなんて関係なく、これからもホムラはホムラのスタンスを貫いていくだろう。正直に、不器用に、いつまでも――

 

 「ほんと、ホムラは変わらない」

 「え?」

 「素直なくせに、面倒くさい性格してるところ」

 「あはは……申し訳ない」



 「でも、今更変わってほしいとも思わないよ、それがホムラだし」

 

 そう、私はなんだかんだホムラのそういう性格が好きなのだ。そういう性格のホムラだからこそ一緒に入れて、気持ちが救われた。今行った言葉は嘘偽りない私の本当の気持ち。


 「…………」


 でも、私の言葉を聞いたホムラはどこか悲しげな顔をして俯いてしまった。

 飲み干して持て余している手元の瓶に目線を落とし、何やら神妙な面持ちでうんうん唸っている。

 そしてひとしきり唸ると……ポツリと言葉を漏らす。


 「ほんと……なにしてるんだろ」


 あれ?私としてはホムラを褒めたつもりなんだけど……もしかして攻めたような空気になっちゃってる!?

 いやいや!そんなつもりは全然ないのに!誤解だって!ホムラをそんな顔にさせる気持ちなんてこれっぽっちも……。

 

 訂正しようと必死に言い訳を頭の中で組み立てるも整理なんてできるわけなく、無限に溢れ出す言葉の奔流が焦りと混乱で喉に詰まって外に出ていかない。なんだか呼吸もままならなくなって辛い、頭に血が登って苦しくなっていく。


 「あ……う……あぁ!」


 「ヤミ……?」


 口をパクパク手をワナワナ。

 子供の演劇を見守るようなホムラの生暖かい目線を感じつつ、私は必死に体を動かすけど一向に何かが伝わる気配はない。


 「あ、あのっ……」


 ダメだ。どもれば吃るほどドツボに嵌っていく。ホムラが無言でじっと私を見つめている変な空気が生み出す間に耐えられない…………そ、そうだ!ここはとにかく話題を変えよう!うん、ナイスアイディアだ私!

 もっと明るい話題、ホムラが元気になるような――楽しいこと。ん?楽しいことってなんだ?楽しくなるにはやっぱり何かの遊びとか、遊び……ううぅ、人間の女の子って何して遊ぶのか全然想像つかない!悪魔族の遊びなんて誰か呪ったり供物ごっこだったり陰鬱なものばっかだし……あ!確か前にホムラに教えてもらった事の中に遊びの名前があったような……思い出せ思い出せ私、思い出せ――あ!思い出した!

 

 「缶蹴りしよう!」


 ドンガラッシャーン!

 私の言葉に何故かホムラが派手に転げ落ちた。


 「ホムラ?大丈夫?」 

 「だ、大丈夫だけど……」

 

 「あのねヤミさん、一つずつ確認していっていいかな」

 「うん、缶蹴りっていうのはまず鬼が缶を蹴って――」

 「それは確認しなくていい」

 「うん」

 「私たちさ、何をして遊ぼうかなーって話してたかな?」

 「して……ない?」

 「してないよね、疑問形じゃなくていいよ」


 「次にそれ、ヤミが持ってるのは缶じゃなくて瓶だから」

 「あっ……!」

 

 しまった、致命的ミス!挽回しなければ――


 「え、ええと……なら瓶蹴り!」

 「いやだよ、危ないよ」

 「ぐっ……」

 

 ダメだこりゃ。


 自分の口下手さと話題転換の下手さにガクッと膝をつき崩れ落ちる。

 そんな私を見かねたのかホムラが優しく声をかけてくれた。

 

 「ごめんごめん、時間も余ってることだし何かで遊ぼうか」

 「……!」


 気を使ってくれたことは重々承知だけど、それでも私を気にかけてくれたことが嬉しくて、私は自然と笑顔になってしまう。我ながら単純だ。


  「えーと、何か使えるものはっと」

 旧訓練所裏を見回したホムラは少し離れたガラクタの山まで歩いていくと、その中から古びたボールを拾う。

 「これでいいか。いっくよー!」

 そしてホムラはそのボールを私のほうへ投げた。


 ぽいーんっ


 訂正。見当違いの方向へぶん投げた。


 「あれ……?」


 頭に疑問符を浮かべたまま不思議な投球フォームで固まるホムラ。その手から離れたボールを私の頭の上を高く通り越して飛んでゆき、私の遥か後ろへと落ちて木の根元までコロコロと転がっていく。


 「とってくる!」

 「ご、ごめん……」

 

 振り返りボールを追いかけて走る。ボールの転がるスピードはそこまで遅くはないものの、走りながらだとタイミングが合わなくて中々拾えない。私はこういう玉遊びに慣れていないのだ、断じて私が運動音痴とかそういうわけではない。 

 第一魔導騎士を目指すものが運動できないってそれ致命的。そりゃ完全前衛思考のマッスル団員さんたちに比べたら体力面では劣るけど……それは私が全体で見たら肉体より魔道を重視する後衛タイプってだけで、きっと一般人以上の運動能力はあるはず。あると信じたい。

 とにかく今はこの小賢しく転がるボールを取って……くっ……このっ……上手く掴めな……お!木の根元で運良く止まってくれた!

 

 木の根元にぼうぼうと生えている草のせいで隠れた形にはなったけど、追いかけていた私にはボールのいった方向が分かる。確かこの辺りに――あったあった。

 「あったよー!」

 

 「さんきゅー!」


 ボールを拾い上げて持って大きく手を振り、ホムラにボールを発見したことを伝える。

 そしてボールを投げる構えを取って意気揚々と叫ぶ。


 「ふふふ、私がお手本をみせてあげよう!てやーっ!」


 投げられたボールはクルクルと不安定な回転をしならがら放物線を描き、青く澄んだ夏の空へと吸い込まれていく。どこまでも、どこまでも、薄汚れた白球が精一杯自分の体を動かして、熱された空気を掻き分けて進んでいく。



 まぁ、もちろんホムラの元へ真っ直ぐ届くことはなかったけど。

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