ホムラの7月【Ⅰ】
人は清廉潔白であるべきだ。
少なくとも私はそう思うし、親からもそう育てられた。
嘘をついてはいけません。人が嫌がることをしてはいけません。欲に溺れることなく、後ろめたいことのない正しい心を持ちなさい。
もちろん社会に出れば善人なんて少ないわけで、世の中全てが嘘なしで回ってるわけじゃない。そんなことは百も承知だ。
だけど例え分かっていたとしても耐え難いことに変わりはない。理解しても性格まではそう変わらない
私は……嘘をつく人がどうしようもなく嫌いだった。
そんな私にとって魔導騎士候補生という身分は有り難いものだった。
この寮付きの訓練所では右を見ても左を見ても同じ魔導騎士候補生がウロウロしている。将来この国を背負う立場に有る彼女らは私から見ても素晴らしい性格の持ち主であり、これまた優秀な教官の元で日夜真面目に訓練に取り組んでいた。
ここでは嘘をつく人もいないし、嘘をつく必要も暇もない。ただ訓練に集中し日々を過ごせばいい。
本当に魔導騎士候補生になれて良かった。
ありがとうお母さん、私がんばるね!
†
「……って、思ってたんだけどなぁ」
入団二年目の夏。
一年前の若き日の自分の決意を回想しながら、汗だくの私は誰もいない旧訓練所の廊下を歩いていた。
蒸れる長袖の上着はとっくに脱いで腰に巻いてしまっている。私の体から吹き出る汗が白い短袖のシャツに染み込んでいて、薄っすらと下着が透けてる気がしないでもないけど、別に訓練所に男はいないからどうでもいい。生活指導の教官と鉢合わせてしまったら……真夏日の訓練終わりということで見逃してください。
そうそう、騎士の服というと格好いい甲冑のイメージがあるが候補生もとい訓練生の私たちにとっては縁遠い話だ。訓練所に入ってから着たことは一度もないし、あんなもの着て訓練したら死んでしまう。
私たちに支給された訓練服は柔軟性に長けた運動向きの布製の服でジャージーとか言うらしい。故郷の村では見たことなかったけど他国からの輸入品かな、分かんないや。
ともかくジャージーの上着を脱いでシャツと短パンの私は、手に持った氷入りのバケツをガラガラさせながら廊下を歩いているわけ。
旧訓練所は今は使われてない木造の古い施設で私以外の人はいない。というか……実を言うとまだ訓練時間中なので訓練生はいるはずないんだけどね。
何を隠そうこっそり抜け出してきたのである。
本当に……一年前の自分と比べたら考えられないこと。
こうして訓練時間中に抜け出すのも、食堂から昼食前に炭酸飲料を買ってくるのも、氷と一緒にバケツに放り込んで持ち歩いているのも、暗に立ち入りが禁止されている旧訓練所に忍び込むことも、昔の自分ではあり得ない。
どれも発覚したから罰を受けるという重い規則破りでなく、せいぜい口うるさい教官から注意を受ける程度だろう。けれど魔導騎士としての忠義には反するし、清廉潔白を旨とする私にとてもじゃないが耐え難い。
現にこうして廊下を歩く私の胸にはずっと不快感が渦巻いているし、誰かに見つかったらどうしようとビビりっぱなしだ。さっき自分が踏んだ床が変な音として思わず声をあげちゃった。おのれ腐った床め……。
ま、考え方が変わったとしても人の性根は変わらない、私の芯は入学した時のままだ。
嘘を嫌悪したまま、自分もそういう人間になっただけ。
だけど行くのを止めるという選択肢はない。この先、旧訓練所の裏に会いに行くべき人がいるからだ。
先に断っておくけど恋人ではないし、決闘を受けにいくわけでもない。
じゃあ何だと言われたら……上手く表現できる言葉がなくて困る。
清廉潔白な言葉では彼女を表す言葉がない。
もし私の嫌いな嘘をついていいのだとしたら――
「よっ、今日は早いね、ヤミ」
「ううん……私も今来たとこだよ、ホムラ」
廊下の突き当り、外へ繋がる扉を開けた私が声をかけると、扉の近くに座り込んでいたヤミは振り返って微笑む。
まるで私が来ることを分かっていたように、さも当然のように、ヤミは優しく微笑む。
そう、彼女との関係を一言で説明するのなら。
ヤミは私の……とても大事な『友達』なのだ。




