寒がるお前を仕方なく布団蒸しに……。
不気味としか言いようがなかった。
和臣と宮路さんが、良い感じで話を弾ませていても、紅葉は我関せずで、車窓の外を飛び去って行く風景を眺めているのだ。
先程の渚ちゃんの様に、露骨な介入をするならまだしも、これ程までに沈黙を守られると、かえって落ち着かなかった。
「も、紅葉?」
「なあに? 和臣。」
「やけに大人しいな。」
「いやだわ。せっかく和臣が憧れの宮路さんと仲良くなれるチャンスなのに。そんなに野暮じゃないわよ。」
「そ、そう?」
何なんだ、この後ろめたさは。何で俺が罪悪感を覚えなければならないんだ?
理不尽な空気感を、和臣は感じていた。
その三人の様子を、前の方の席から見ていた渚ちゃんは、頰を膨らませていた。
「あらあら、河豚の子みたいよ、渚。どうしちゃったの?」
「リリスゥ。やっぱ、お兄ちゃん酷いよね。紅葉ちゃんの目の前で、他の女とイチャイチャして。」
義憤に駆られた渚ちゃんは、今にも和臣の元へ突撃しそうな勢いだった。
「大丈夫よ、あの二人は。口では何やかや言っていても、結局、和臣ちゃんは紅葉ちゃんを第一優先に行動しちゃうの。それで女の子に振られちゃうの。昔からよ。」
「……? リリスとお兄ちゃん達は、そんなに昔から知り合いなの? でも、リリスはずっと英国に留学していたんでしょ?」
そこでリリスは意味深な微笑みを浮かべた。
「だから、前世からの知り合いなのよ。」
「もう、真面目に答えて。この間のプリちゃんといい、前世流行ってるの?」
だが、リリスは笑って受け流すばかりだった。渚ちゃんは不満そうだったが、それよりも、兄や紅葉の方が気になって、それ以上の追求はしなかった。
一方、昴は、最初の緊張感は何処へやら、膝に感じるプリ様の重みに、幸せを噛み締めまくっていた。
「すばゆ〜、おもい? たいじゅう かるくしようか?」
「い、良いんです、プリ様。この重みが良いんです。プリ様を乗っけているっていう実感が良いんですぅ。ああ、プリ様、良い匂い。」
昴はプリ様の頭頂部に鼻を埋めて、匂いを嗅ぎ続けた。
「プ、プリ様ぁぁぁ〜。」
辛抱堪らなくなったのか、覆い被さる様に後ろから抱き付き、盛んに頬ずりや愛撫を始めた。
「……。本当にプリちゃんが好きなのね、昴ちゃんは……。」
「ぷりちゃん、あかちゃん みたい。」
笠間親子の発言に、プリ様はお顔を真っ赤にされた。
「もう、すばゆは〜。はずかしいの。やめゆの。」
「え〜。だって、せっかくプリ様が膝の上にいるのに。」
「やめないなら、ひとりで すわゆよ?」
究極の脅し文句に、昴は渋々と愛撫を止めた。だが、その手は細かく震えていて『物凄い意志の力で我慢しているのだなぁ。』と尚子に感じさせた。
そのうち、プリ様も晶も、大きな欠伸をして、ウトウトし始めた。朝が早かったせいだ。昴もプリ様を抱き抱えたまま、目をトロンとさせている。やがて、三人は眠りに落ちていった。
「子供達、寝たみたいだよ、和臣君。」
「プリ達はしゃいでいたからな。」
「でも、子供って可愛い。絵島さんは子供好き?」
非常に性格の良い宮路さんは、邪魔でしかない紅葉にも、律儀に話題を振っていた。しかし、話し掛けられた当の本人も、うつらうつらと舟を漕いでいた。
「お前、そんな服装で寝てたら風邪引くぞ。けっこう、冷房効いているからな。」
和臣に注意された紅葉は、半分寝かかりながら、彼に手を伸ばした。
「……なら、暖めて……。抱っこして、イサキオス……。」
「しょうがねえな……。」
言われた和臣は、身を乗り出して、隣の席で寝ている紅葉の細い身体をヒョイと持ち上げると、自分の膝の上に乗せ、着ていたパーカーを脱いで、彼女の上半身を包んだ。
「足が冷たい……。」
「当たり前だろ。こんな格好して……。」
上はタンクトップ、下はショートパンツだ。
文句を言いながらも、和臣は足を摩ってやった。それで落ち着いたのか、紅葉はそのまま寝息を立て始めた。
「全く困った奴だ。ねえ、宮路さん……?」
和臣は、自分を見る宮路さんが固まっているのに、気が付いた。宮路さんどころか、リリスと渚ちゃんまで、いつの間にか隣の席に座っていて、呆れた様に自分を見ていた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!!」
「うるせえな。お兄ちゃんは一回までだ。紅葉が起きるから大声出すな。」
「何でそんなに自然体なの? いつも、そんな事してるの?」
「そんな事って?」
イサキオスと呼び掛けられた和臣は、つい、前世の感覚で行動していて、周りの人間にどう思われるかを考慮してなかった。
前世、野宿をする時は、二人は寄り添って寝ていたし、寒がるアイラの肌を摩ってやるのは普通にやっていた。
「和臣ちゃん……。現代人の常識に照らし合わせて、今の自分の状況を客観的にご覧なさい。」
リリスに言われて、漸く和臣も気が付いた。
「い、いや、違う。こいつは妹みたいなもんだし。」
「実の妹の私は、そんなに優しくされた事ないんですけど。」
「そ、そうかあ? 優しいだろ?」
「前に寒いって訴えたら『じゃあ、暖かくしてやる。』って言って、お布団でグルグル巻きにされたりしたけど……。」
渚ちゃんの告発に、リリスと宮路さんは眉を顰めた。
「酷い……。和臣君、妹さんを虐めているの?」
「あらあら、それはちょっと擁護出来ないわ。」
「いや、だって。肌を撫でたら、お前は怒るだろ。」
二人から非難され、渚ちゃんに向かって抗議した。
「当たり前じゃん。妹とはいえ、普通は無闇に女の子の肌には触れないのよ。」
「そうだよ。だから俺は寒がるお前を仕方なく布団蒸しに……。」
苦し過ぎる言い訳だな、と前の座席で聞いていた尚子は思った。
「じゃあ、何で紅葉ちゃんの太腿は平気で撫でられるのよ。」
紅葉を起こさぬよう小声だが、怒気を含んだ声で渚ちゃんは言った。
「あらあら、そうね、それは私も聞いてみたいわ。」
「和臣君……。」
リリスはこの上なく面白そうに、宮路さんは祈るみたいな目付きで、見ていた。
「さあ、言いなさいよ。早く。」
渚ちゃんは日頃の恨みを晴らすかの如く、嵩にかかって責め立てている。
この野郎、覚えていろよ。帰ったら知っているプロレス技を全部かけてやる。
と、和臣は嫌な決心をしていた。
「何で紅葉だと平気かというとだな……。」
「何で?」(渚ちゃん&リリス&宮路さん)
「慣れてるから……。」
そうとしか言い様がなかった。
渚ちゃんはわざとらしく肩を竦め「オーマイゴット。」とか言っていて、非常に憎たらしい。
「だ、だから宮路さん、気にしないでくれるかな。これは、いつもの事なんだよ。」
「そ、そうなの……。」
必死に言い繕う和臣に、完全に引いた声で答える宮路さん。
言えば言うほど深みに嵌っているわよ。
リリスは、ご愁傷様です、と心の中で手を合わせた。
マズイ。このままではマズイ。
取り敢えず、紅葉を隣の席に戻そうとすると「うーん。」と彼女は寝言を言った。
「魔王軍が来るよぉ。怖いよぉ。」
その言葉に反射的に紅葉を抱き締め、頰を合わせた。
解説しよう。前世、魔王軍に住んでいる街を焼き払われたアイラは、それがトラウマとなって、よく夜中にうなされていた。
彼女がうなされると、イサキオスは、いつもこうやって安心させてやっていたのだ。
だが、それは、現世の高校生同士で、しかも好きな女の子の前でやれば、それだけで致命傷と言えるものだった。
「わ、私、妹さん達と一緒に前の方の座席に座るわ。」
腰を浮かせた宮路さんを引き止めようと伸ばした手を、渚ちゃんに叩かれた。
「お兄ちゃんは紅葉ちゃんを暖めて上げてなよ。」
「じゃあ……、そういう事らしいから……。」
憤慨やる方ない様子の渚ちゃんと、気の毒そうに愛想笑いをするリリスに連れられて、宮路さんは行ってしまい、後には茫然自失となった和臣と、スヤスヤ安眠する紅葉だけが残された。
「れーす、れすれす。れす、とーらーん。しつこい、しつこい。だめだめーん。」」
その時、いつの間にか目覚めていたプリ様と晶が、前の席の背もたれから顔を出して、呪文の合唱をした。
それを聞いた尚子は「これ、ダメでしょ。」と二人を叱った。
「こいつら、何のお呪いをしたんですか?」
「これは……、振られた男の子が、ストーカーにならないようにするお呪いで……。」
和臣の質問に、言いにくそうに尚子は答えた。
「お前ら〜。さっき、紅葉から守ってやったのに〜。」
幼女二人にアッサリ裏切られ、和臣は落胆した。
失意の和臣を乗せたバスは、一路、横浜を目指していた。
作中の渚ちゃんの体験談は、現役妹の皆さんに「クソ兄貴にされて一番腹が立った事」というアンケートを取り、見事一位に輝いたエピソードを元にしています。
世の中のお兄ちゃんは、軽い気持ちでしているみたいですが、皆さん真剣に恨みに思っています。何年も前の出来事でも未だに思い出すと腹が立つ、と言ってました。
次点は「足首を掴まれて、逆さ吊りにされた。」「トイガンの標的にされた。」がありました。「オヤツを取り上げられた。」「自分の分のオヤツを、遊びに来た兄の友達に供された。」というのは、どこのご家庭でもあるメジャーな「兄の横暴」らしいです。
一番酷かったのが「倉庫に閉じ込められたまま忘れられた。」で、二時間くらい監禁状態が続き、トイレも限界だったと、涙ながらに語ってくれました。
お兄さん方、妹はオモチャではありません。人間なのです。人権もあるのです。
よくよく、肝に命じておいて下さい。