悪夢の終わり
当初の目的を半分だけ果たして、嬉しい様な、物足りない様な気分で、家に戻った和臣を、今度は妹の渚ちゃんが待ち構えていた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
「ああ、うるせー。お兄ちゃんは一回までだ。」
「合宿で何かあった? リリス、どうしちゃったの?」
どうしちゃったの? って何だよ?
「物凄く色っぽくなったというか、求心力が増したというか……。元々、存在感あったけど、もう、女子も男子もクラス中がリリスに夢中状態なのよ。」
そうなんだよな。クラウドフォートレスから生還してこっち、何だか艶っぽくなってて、慣れてる俺でさえまともに見れないというか……。
和臣は首を捻った。
「か、彼氏が出来たのかな? というか、お兄ちゃん何かしたんじゃないの。」
するか! 大体、雲隠島に男の影なんて……。もしや、乱橋!? は、ないか。
和臣の記憶にある限り、リリスが乱橋を見る時の目は、牛乳を拭いた後放ったらかしにしておいた、臭くて硬くなった雑巾を見る目と同じだった。
「どうしよう。ねえ、どうしよう。お兄ちゃん。」
「どうしようって何だよ。今まで通り、仲良くすれば良いだろ。」
「そうじゃなくて……。」
寂しげに俯く妹を見て、和臣は大きな溜息を吐いた。
「お前、要するにあれか、百合的好意をリリスに……。」
「ば、ば、ば、馬鹿。何言っちゃってくれちゃってるの? そんな訳ないじゃん。い、いやらしい。あっー、お兄ちゃんはいやらしい。」
真っ赤になって逃げて行く妹を『わかりやすい奴。』と思いながら、眺めていた。
噂のリリスは、学校帰りに阿多護神社に寄っていた。その近くの慈愛医科大学病院に行くのに、プリ様を誘おうと思ったからだ。
「べとーゆの おみまいに いくの?」
「そうよ。プリちゃんも一緒に来る?」
「うん! いくの。」
玄関先でリリスをお出迎えしたプリ様が、お目々を輝かせて頷いた。
「すばゆ〜、すばゆ〜。おみやげ もってくの。」
「お見舞いですよ、プリ様。そうですね、何を持って行きましょうか?」
そこで、プリ様はニヤリと悪い笑みを溢した。
「そうりょぷりぷりきゅーてぃの でぃすくでも もっていってあげようか。にゅういんちゅうは たいくつなの。」
くっくっくっ、と真っ黒な笑い声を漏らすダーティーなプリ様の悪の魅力に抗しきれず、昴は「ああっ、私の心も黒く染め上げてくださいぃぃ。」と抱き付いた。
始まってしまったプリ様ラッシュを『またか。』とリリスが傍観していたら、奥から胡蝶蘭が憔悴仕切った表情で出てきた。
「あらあら。お疲れですね、叔母様。」
「朝から六連星と乱橋君が来ててね……。」
乱橋?! と聞いた途端、リリスは第一級戦闘態勢に入った。
「大丈夫よ。そんなに警戒しなくても。もう、お引き取り願ったから。」
「叔母様、あの男を甘く見たらダメです。そこらのゴミ箱の中にでも隠れているかもしれませんよ。セクハラの為なら、何をしてもおかしくないケダモノです。」
リリスちゃんにここまで言わせるとは……。一体、何をしたんだ? あいつ……。
胡蝶蘭の口元に乾いた笑いが浮かんだ。
「本当に大丈夫よ。家には彼の天敵が居るから。」
これくらいでは死にませんから。
と笑顔でカルメンさんが愛用のベレッタをフルオートでぶっ放すと、さすがの乱橋も泡を食って逃げ出したのだ。
「りりす、いくの。」
胡蝶蘭と話している間に、身支度を整えたプリ様が、リリスの制服のスカートを引いた。銀魚を締め、手にはニール君の入った籠を持っている。
「とんでいく?」
「ダメよ、プリちゃん。フライング幼女と女子中学生なんか発見されたら、街がパニックになっちゃうわ。」
胡蝶蘭に窘められたプリ様は頰を膨らませた。
「飛べるようになったのが、嬉しくて仕方ないんですね。プリ様。」
そう言いながら、さり気無く抱き付く昴。
「あら、昴ちゃんも行くの?」
「酷いですぅ。何でリリス様は、私とプリ様を引き離そうとするんですか。私達は何処に行くのも一緒なんですぅ。」
今日は特に暑くてカンカン照りだ。阿多護山を降りて、道路を横断すれば、すぐ病院なのだが、その距離でも昴はへばりそうだった。
「いくら何でも大丈夫ですぅ。リリス様、私をバカにし過ぎですぅ。」
と言っていた昴だが、案の定、信号を渡り終えた時点で動けなくなっていた。
「暑過ぎですぅ。きつ過ぎですぅ。」
「ほら、頑張って。あとちょっとだから。」
「すばゆ〜、とんでく?」
隙あらば飛ぼうとするプリ様と、疲労困ぱいの昴の手を引きながら、リリスは病院へと向かって行った。
病室では舞姫が出迎えてくれた。操が此処に運ばれて来てから、毎日お見舞いに来ているらしい。
「もう、目覚めないなんて事ないですよね?」
「大丈夫よ。前の子も数日寝込んでいたわ。そろそろ、目を開ける頃よ。」
「何人も居るんですか……。」
舞姫はギリッと唇を噛んだ。
「リリスさん、私にも貴女達のお手伝いをさせて下さい。操ちゃんみたいな子が他にも居るなら、私……。」
詰め寄る舞姫を、リリスは柔らかく制した。
「戦いは私達に任せて、貴女はベトール……、操ちゃんの側に居て上げなさい。」
そう言いながら、鞄から書類袋を出した。
「はい。これは貴女と貴女のお父様に頼まれていた物よ。手続きは私が終わらせておいたから。」
「本当ですか? 家みたいな父子家庭では難しいって聞いてたのに……。」
「そこはそれ、役所にちょこっと圧力をかけて……、いえいえ、私のツテでね。おほほほ。」
一瞬、怖い本性を覗かせるリリス。だが、感激の涙を流しながら、書類を抱き締める舞姫は気付いてなかった。
「ありがとうございます。ありがとうございます。リリスさん、操ちゃんに酷い目に合わされたのに、ここまでして頂けるなんて……。」
舞姫の言葉に、リリスはちょっと微笑んだ。
「ベトールの奴なら、今でも八裂きにしてやりたい程憎たらしいけどね……。」
眠る操に近付いて、その頬をスッと摩った。
「ベトールはプリちゃんがやっつけたわ。此処に居るのは栗生操っていう、ただの子供。誰かの手を必要としているね……。」
窓から射し込む、夏の日差しに照らされるリリスの顔が、舞姫には後光が差している様に見えた。
この女性を好きになって良かった。例え叶わない恋だとしても、一生好きでいて良いですか?
舞姫は胸焦がす想いに打ち震えた。
「まいきしゃん、おみやげなの。」
「お見舞いでしょ、プリ様。」
昴に訂正されながら、プリ様はディスクの入った袋を差し出した。舞姫はリリスからプリ様へ視線を落とした。
「これ、なあに? プリちゃん。」
「のんぷりの でぃすく なの。このあいだ いちまい ひゃくえんで うってたの。」
たまたま、昴とネットの通販サイトを見ている時に、レンタル落ちの物を見付けたのだ。
「ほりだしものなの。せんにひゃくえんで ぜんかん そろったの。」
「プリ様、ダメですぅ。値段を言っちゃダメなんですぅ。」
プリ様と昴のやり取りに、舞姫は小さく笑いを漏らした。
「ありがとう。でも、プリちゃんは『僧侶プリプリキューティ』の面白さを、操ちゃんにわからせたかったんじゃないの? ノンプリで良いの?」
「そうりょは ともだちに なってからなの。ゆっくり、おもしろさを おしえてあげゆの。」
ニコニコと自分を見上げるプリ様を、舞姫は知らずに抱き締めていた。目には再び涙が浮かんでいた。
「ありがとね。ありがとね、プリちゃん。目が覚めたら、お友達になって上げて。操ちゃんの良いお友達に……。」
「まいきしゃん、なきむしなの。」
プリ様は、小ちゃなお手手で、舞姫の頭を撫でてやった。
昴は慌ててプリ様を奪い返そうとしていたが、リリスにがっちりと止められていた。
舞姫がプリ様達を見送りに病室を出た後、栗生操は静かにその瞼を開いた。
記憶が混濁していて、今、自分が何処に居るのか理解出来なかった。ただ思ったのは、また無味乾燥な一日が始まるのだという事だ。
施設の職員達は、良く気遣ってはくれていたが、本当に欲しいものは与えてくれなかった。父親が彼女を抱き締めてくれた時の様な、強烈な充足感だ。
そこまで考えて、操は自分の胸の中が、今迄無かった暖かいもので満たされているのを感じた。
何だろう、これは?
その時、誰かが、操の寝ているベッドの傍に近づいて来た。その人は操と目を合わせると、口に手を当てて涙を零した。
まいきおねえしゃん……。
会いたくて、会いたくて、夢にまで見ていた人。恐らく、自分の欲しいものをくれる、この世でただ一人の人。
舞姫……。
「ずっと、ずっと一緒だよ。操ちゃん。これからは、私がずっと側にいて上げるからね。ずっとだよ……。」
舞姫に抱き締められて、操はホッと安堵の息を漏らした。
終わったんだ。長い悪夢が……。
今、やっと……。
舞姫ちゃんは本当は、プライドの高い女の子が、ベトールに家畜扱いされる様子をコミカルに描こうと思って、作ったキャラでした。
でも、自分はギャグのつもりでも、そういうのを読んで不快に思う方もいるだろうな、と思い直し、舞姫ちゃん絡みは真面目に書いてみました。
舞姫ちゃんは突然の災厄で、人権も、衣服も、プライドも、全てを剥ぎ取られてしまいます。
そんな状況でも、人が人としていられるには、どうすれば良いのか? などと考えながら書いてみました。
舞姫ちゃんは超常の力など持ってませんが、実は全キャラクターの中で一番強い子なのかもしれません。
偉そうな事を言っているけど、衣服を剥ぎ取ったのは、お前がエッチだからだろうと言われると、返す言葉もありませんが……。