アスフォデロスの花
和臣と紅葉が大氷塊を登って行った後、昴は一人地面に置き去りにされていた。
「す、昴様? 何をされているんですか?」
様子を見に外に出て来た奈津子は、氷壁の前でピョンピョン飛び跳ねては、疲れて肩で息をしている昴を見付けた。
「これを登って、プリ様の所に行くんですぅ。」
紅葉達は、僅かな足掛かりでジャンプしながら、足を滑らす事もなく、アッと言う間に姿が見えなくなってしまった。
その真似をしようとしているのだが、悲しいかな、最初の足掛かりに手さえ届かない有様なのだ。
「此処で大人しくお帰りを待ちましょうよ。危ないですよ。」
抱っこしている奈々ちゃんをあやしながら、奈津子は言った。
「ダメですぅ。きっとプリ様、昴から離れてしまって、泣いているに違いないんですぅ。」
と半泣きで言う昴。
「前世でもこんな事があったんですぅ。」
前世? いきなり電波な話が……。
「前世、私とプリ様は夫婦だった(嘘です)んですが、夜中に街に遊びに行ったプリ様(不良幼女みたいです)は、寂しくて一晩泣いていた(それは自分です)んですぅ。その後一週間は、眠っている間も私にしがみ付いて来て(主客が転倒しています)、余程お寂しかったんだと思います。」
涙ながらに語る昴の話に、奈津子はどう反応していいのかわからず、曖昧な笑みを浮かべていた。
「そうだ。あれが有った。」
何かを思い付いた昴は、ポンと手を打ってから、自分達の宿泊部屋に駆けて行った。
暫くしたら戻って来たのだが、奈津子の目には全速力で走っている様に見えるのに、一向に近づいて来る様子がなかった。五十メートルに二十秒くらい掛かっている感じだ。
御三家の方達って、皆超人的な身体能力を持っているのではなかったかしら。
奈津子は昴を眺めながら、首を捻っていた。
「ジャーン。タラリアですぅ。」
昴は、あまり趣味が良いとは言い難い、黄金のサンダルを見せびらかした。
「これは自動的に進んでくれる魔法具なのです。これなら登れますぅ。」
昴はローヒールの可愛らしい革靴を脱いで、タラリアに履き替えた。
「おおっ、行ける。行けますぅ。」
確かに凄い、と奈津子は思った。昴は氷壁に垂直に立って登り始めたのだ。
しかし、五メートルくらい登ると、ストップしてしまった。
「どうしたんですか?」
「お、お腹が……、腹筋が痛いです……。」
タラリアは安全装置が働いたのか、スゥーッとバックして、昴は地面に舞い戻って来た。
「此処で大人しく待ってましょうよ。ねっ?」
奈津子が再び、あやす様な口調で言った。
「うぇーん。私は役立たずですぅ。」
へたり込んで泣く昴に、奈々ちゃんがダアダアと手を伸ばしていた。
ケラウノスの欠けらに守られたベトールは、クラウドフォートレスの甲板に軟着陸していた。
其処には、すでに自軍の兵の姿は、一兵も見られなかった。全て、和臣と紅葉に平らげられてしまっていたのだ。
やや遅れて、プリ様も戻って来た。そして、リリスを庇っている紅葉達の側に降り立った。リリスの傍には舞姫も居た。
ベトールはプリ様達を呆然と見ていた。万策尽き、これからどうすれば良いのか、わからないみたいだった。
「りっかのいちようを わたすの。いせかいかを かいじょ するの。」
プリ様に言われて、慌てて手の甲を隠すベトール。
「いやだ。これまで わたしたら、ほんとうに おれは、おれは……。」
「ならば、死んで貰うしかないわね。」
アラトロンの時は躊躇を見せていた紅葉も、リリスを痛めつけられる様を目の前で見せられて、頭に来ていたのだろう。ベトールに対しては容赦が無かった。
その紅葉の言葉を聞いた舞姫は、雲隠島での自分への蹴りを思い出して、この人ならば本当にやるかもしれない、と思った。思った時には、もう身体が動いていた。
彼女はベトールの元に駆け寄り、その前に立って両手を広げ、プリ様達を睨んだ。
「なんの つもりだ、まいき。」
その行動に一番驚いたのはベトールだった。
「ちょっと、あんた。何してるのか、わかっているの? 其奴を倒さないと、次元の狭間に取り込まれた人達は戻って来れないのよ。」
紅葉に言われても、唇を噛み締めたまま、動こうとはしなかった。
「例え、鬼と言われても、悪魔と蔑まれても、わ、私は操ちゃんを庇う。私だけは操ちゃんの味方をする。」
「やめろ、ぎぜんしゃめ。そうやって おれを かいじゅう しようという はらなんだろ?」
後ろでベトールに叫ばれて、舞姫は振り返った。その目には涙が光っていた。
「ごめんね、操ちゃん。貴女の事、何にもわかって上げられなくて……。」
そう言いながら、腰に着けたパレオに手を伸ばした。
「信じてくれなくても良いよ。嫌ってくれて良い。それでも……。」
舞姫は布を解き、パレオを外した。
「おい、なにをする。やめろおぉぉ!」
「忘れないで……。私は操ちゃんの味方だから。」
プリ様との戦闘で力を使い果たしたベトールには、もう舞姫の魔物への入れ替わりを防ぐ力は残って無かった。舞姫の姿は、空間に吸い込まれるが如く、消えていった。
「入れ替わりに魔物が出てくる訳か。」
「まいきしゃん。そうまでして、べとーるを まもろうと……。」
和臣とプリ様が話している間にも、何かが出て来る気配が有った。
プリ様パーティの全員が固唾を飲んで、見守っていた。
しかし、出て来たのは……。
一輪の花だった。
「まかいに さく はな。あすふぉでろす……。」
オクがポツリと呟いた。
「あすふぉでろす? しろくて せいそな たたずまい ですわね。」
「まさに そのみを もって、かのじょは べとーるちゃんに あいじょうを しめしたのね……。」
オクとオフィエルの会話を聞いたベトールは、天を仰いで号泣した。躊躇わず、惜しみなく注がれた愛情に、飢えた心が満たされていくのを感じた。
「ぷりぃぃぃ! しょうしんしょうめい さいごの しょうぶだ。おれが まけたら、りっかの いちよう くれてやる!!」
おおおぉぉぉぉぉ!!!
ベトールが雄叫びを上げると、ケラウノスの欠けら達が、彼女の身体に吸い込まれていった。
今迄とは違う。
ミョルニルを握るプリ様の手に緊張が走った。
ベトールの全身が発光し、電気エネルギーが迸った。彼女自身が、最早、生ける電気の塊なのだ。
ふっふっふっ。
隣に立っているオクが低く笑いを溢しているのを、オフィエルは聞いた。
「おいつめれば、きっと あのこは ばけると おもった。そうで なければ。あのくらいの ちからで たたかれなければ、とうしんは とぎすまされない。」
オフィエルには、オクが何を言っているのか、理解出来なかったが、彼女がこの事態を望んでいたのは確かだった。
「ぷりぃ!」
来る。
プリ様は先制を仕掛けるべく、ベトールに向かって、半重力ダッシュで突っ込んだ。
だが、ベトールが腕を振るだけで、プリ様に向かって強力な雷が落ち、近付く事さえ容易ではなかった。
クラウドフォートレスの甲板は穴だらけとなり、和臣達は分厚い障壁を周りに張って、リリスを守るのが精一杯だった。
プリ様はミョルニルを突き出し、魔法力の盾を作りながら進んでいたが、ベトール渾身の一撃に盾を粉砕され、吹き飛ばされた。
「どうした、ぷり。そんな ものか?! おまえの ちからは そんなものかぁ。」
「くっ。めぎんぎょゆず。」
メギンギョルズの羽を輝かせ、プリ様は上空に舞い上がると、直上からベトールへ急降下した。
「ばかめ。それを まっていた。」
ベトールはジャンプし、己を巨大な雷と化し、体当たりを敢行して来た。突っ込むつもりでいたプリ様は、速度がつき過ぎていて、避けようがなかった。
ダメだ。魔法障壁でも防げない。
「よけられないなら、ひきよせるの。」
グラビティウォール!
それは重力の壁。言うなれば板状のブラックホール。
「うわぁおおお。すいこまれる。すいこまれるぅ。」
ベトールは壁にぶつかり、その電気の力は際限無く吸い込まれていった。
「ぷりぃ、ぷりぃぃぃ……。」
吸い込まれながらも、ベトールは一歩も引かず、プリ様目掛けて雷を放とうと、手を伸ばし続けた。
「いたいの。」
プリ様の前髪の辺りで、小さく火花が散った。
全てを吸い込む壁に阻まれても、死力を尽くしてプリ様に当てた、ベトール最後の一撃だった。
物理法則に鑑みても、当たる筈のない攻撃だった。
「おそろしい やつなの。べとーる。」
そのプリ様の呟きを聞くと、満足気に微笑み、ベトールは力尽きた。
真っ逆様に落ちて、甲板に叩き付けられたベトールは、大の字に寝転がって、降りて来るプリ様の姿を見詰めていた。もう、指一本動かす事も出来なかった。
『まけちまったか……。』
瞳から涙が一雫流れ落ちた。
不思議と心は晴れやかな気持ちで覆われていた。
ベトールの顔のすぐ横に咲く、アスフォデロスの花が風にそよいだ。
今回の話、昴ちゃんをどうやってクラウドフォートレスまで行かせよう?
と考えて「あっそうか、タラリアがあるよ。」と意気揚々と書き始めたのです。
その時点では、昴ちゃんもクラウドフォートレスに到達し、それを踏まえたストーリー展開を構想していました。
それなのに、昴ちゃんが垂直に氷壁を登り出した時点で「あれ、この子の筋力でそんな姿勢に耐えられるのだろうか?」と疑問に思い、どう考えても無理という結論に達しました。
それからまた、構想の練り直しです。
元々、タラリアは、体力の無い昴ちゃんが、プリ様達の行軍について行く為に考案した物だったのに、それすら役に立たないなんて……。
これが「キャラクターが一人歩きをし、話が勝手に展開する。」という事でしょうか?
違いますか。そうですか。




