何故レモネード?
島の管理センターから歩く事一時間。
舗装路から海岸沿いに向かう灌木に覆われた獣道を抜けると、波の打ち寄せる岩場に直径百メートル程の円い闘技場があった。
「あんた達遅過ぎるわよ。彼処から此処まで二十分もかからないでしょ。」
紅葉と和臣の姿を見るなり、闘技場に立っていたテナがダミ声で怒鳴った。
『ほらみろ。やっぱり、迷っただろ。』
和臣が紅葉を恨めしそうに見た。地図を奪い取った彼女は、いきなり反対側に歩き始めたのだ。
「ふっふっふっ。いくらでも苛々しなさい。それが私達の作戦なのよ。」
巌流島の宮本武蔵に倣った、とでも言いたげなドヤ顏で、紅葉が返した。
『よく言うよ。』
和臣は心中で呟いた。
「残念だが、一時間くらいでは待った内にも入らないな。」
「そうね。何せ、私等三百年も待っているからね。」
「それも今日で終わりよ。」
羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てながら、紅葉が言った。
下は、チューブタンクトップにショートパンツという格好で、中々の露出度だ。スレンダーな彼女の身体の線がはっきりわかる。
思わず和臣が視線を向けると、紅葉がニヤッと笑った。
誘惑してやがる。
和臣の背中に戦慄が走った。
これから命のやり取りを始めようという局面で、俺を落とす事を考えているのか。
昨日のストレッチリムジンの中での会話を思い出して身震いした。
本気なのだ。ウカウカしていると、帰る時には婚約成立という事態にもなりかねない。
嫌だ。絶対に嫌だ。
和臣は改めて身を引き締めた。
集中、集中。眼前の敵に集中するのだ。知らずに紅葉の太腿へと泳いでしまう視線を、キッとテナ&アシナに向けた。
昨日の彼等はシャツを着て、ズボンを穿いていた。それで通常の人間との違いに気付かなかったのだが、今はアイボリーの貫頭衣を着用していた。弥生時代の服装に似ている。首からは、トップに黒い大きな勾玉の付いた、首飾りを下げていた。
「今日は神様っぽい服装じゃん。」
紅葉も二人の衣装に注目していたらしく、口にした。
「我々は神の分霊だからね。」
「そうよ。そうなの。本来なら、貴方達の相手なんかしないのよ。」
「フン! プリじゃないけど、瞬殺してやるわ。」
躍りかかろうと飛び上がった紅葉を、アシナが空中で迎撃した。その蹴りを、思いっ切り身体を反らして躱した紅葉は、一回転して和臣の隣に着地した。
「慌てるな。ルールを説明するから。」
「ルール?」(和臣&紅葉)
アシナは首飾りの勾玉を持ち上げた。
「この石を破壊出来ればお前達の勝ちだ。」
ハンデのつもりなのか?
声を出そうとした紅葉を、アシナは手で制した。
「簡単ではない。これはミサイルの直撃を受けても壊れはしない。」
古代人みたいな装束で「ミサイル」と言われると、違和感があった。
「更に、この玉以外の身体の部分を攻撃すると、そのダメージはお前達に跳ね返る。」
また「ダメージ」とか……。
「要するに、私達はその勾玉しか攻撃出来ないのね?」
紅葉の問いに頷く両名。これはハンデどころか、こちらが不利だ。一撃必殺で、一点しか攻められない。
「ルールはわかったわ。」
話し終え、アシナが一息吐く間も与えずに、再び紅葉は彼女に飛びかかった。先手必勝一瞬で凍らせてやる、と凍気を纏った拳で胸元を狙った。
が、アシナは簡単に右手でそれを弾いた。
その時、テナと対峙していた和臣が「冷てえ!」と右手を振った。
「どういう事?」
「お前の攻撃のダメージが跳ね返るのはお前のパートナーだ。」
何と、これでは益々迂闊な攻撃は出来ない。
と和臣は思ったが、何故か紅葉はニヤリとした。
「あっー、お前。今『それなら、いざとなったら勾玉を和臣ごと凍らせればいいや。』とか思っただろ。」
「お、思ってないわよ。」
そう言いながらも、目を逸らす紅葉。
「遊んでいるなよ。」
「そうよ。そうなのよ。真面目にやりなさい。」
テナとアシナの姿が消え、一瞬で間合を詰めて来た。当たると骨まで砕けそうなダブルのハイキックが唸る。
二人は辛うじて避けた。
「安心しろ、和臣。さっきから見ていると、この女はお前にベッタリ依存している。犠牲になど出来やしないさ。」
アシナの言葉に紅葉がブチ切れた。
「はあああ? 誰が誰に依存しているって? 私を昴みたいに言わないでくれる?」
「わかるさ。お前は常に目の端に和臣を捉えている。姿が見えないと不安なのだ。」
「ふざけんな!」
激昂した紅葉が、後先考えずに大氷結を放とうとした。しかし、アシナは避けるそぶりすら見せない。紅葉はチッと舌打ちして、その足元に氷気を打った。
そんな隙だらけの動きを見逃す筈もなく、再びアシナは一瞬で間合を詰めると、紅葉の腹部を打った。堪らず、吹き飛ぶ紅葉。
「紅葉!」
彼女を助けようとした和臣にテナが迫った。
「仲間の心配をしている場合じゃないわよ。」
長いリーチから繰り出される右のアッパーカットは躱したが、続く左のボディブローをくらって、和臣も地面に転がり、紅葉の側に倒れた。
「もう、終わり?」
「手応えないわねー。」
紅葉だけでも守らなければ……。
和臣はヨロヨロと立ち上がり、近づいて来る二人を睨んだ。
「ごぶりんや おーくが そらを とんでるの。」
どう見ても、そうとしか思えない。
監視小屋からの報告で、管理センタービルを出て空を眺めていたプリ様は、黒い雲の如く押し寄せて来る敵影を見て断じた。
「背中に翼が生えているわ。」
天然物ではないわね。
と、リリスも観察していた。
彼等は雲隠島上空に辿り着くと、全力で一点に魔力を注ぎ始めた。
「まずいわね。このままでは穴を開けられてしまうわ。」
「だいじょぶなの。」
リリスの懸念に、プリ様は涼しい声で答えた。
「ぷりぷりきゅーてぃぜぶらさんだー!」
天を指すプリ様の右手の人差し指から、稲妻が魔物達に向かって立ち昇った。結界の天井に貼り付いている人数なら、難なく蹴散らせる威力だ。
だが、彼等は一斉に散開し、雷から逃れた。逃げ遅れた鈍臭い奴が二、三人やられたぐらいだ。
むむむっ。
プリ様が眉間に皺を寄せていると、また彼等は一箇所に集まり、魔力の注入を始めた。
「どうしよう。プリ様ぁ。」
一緒に空を見上げていた昴が、背中から抱き付いて来た。
「すばゆ。ぴりっと くるから、はなれていゆの。」
「はぁい。」
小さく返事をしながら、名残り惜しげに昴は引いた。
「ぷりぷりきゅーてぃ れもねーど さんだー。」
プリ様が両手を広げて天に翳すと、小さな稲妻が沢山発生し、オークやゴブリン達に向かって飛んで行った。
『何故レモネード?』
隣で聞いていたリリスが疑問に思ったが、突っ込む暇はなかった。
散開して逃げようとした魔物達は、広範囲に広がった針の様な稲妻に打たれ、態勢が崩れたのだ。その機を逃すリリスではなかった。
「でかした、プリちゃん!」
叫ぶと同時に飛び上がり、一気に結界の天井近くまで昇った。
「ゴールデンアロー。」
無数の黄金の矢を作り、放った。
この結界、内側から外側に出る分には、何の障害にもならない。つまり、島内からは攻撃し放題なのだ。
寄せ手の軍勢は矢衾の攻めに会い、壊滅状態となった。
後陣の者達は、仲間の惨状を見て、近付くのに二の足を踏んだ。
その様子をクラウドフォートレスの艦橋から見ていたベトールは、飲んでいた「黄金の林檎味」の缶を握り潰した。
「おのれ、ぷりめ。こうなったら、ちょくせつたいけつだ。」
ガタッと、椅子を蹴倒し立ち上がるベトール。
「おく、まいきを たのむ。」
「あらぁ、ずいぶんと べんりに ひとを つかうのね。」
オクは微笑みながら、言った。
「それくらい いいだろう。ぜんりょくで いけと いったのは おまえだ。」
「はいはい。どならなくても たのまれて あげるわよ。おともだち ですもの。」
返事を聞いて、フンと鼻を鳴らした。
「おい、おくの あいじん。おれにも つばさを たのむ。」
「おふぃえる ですわ。」
オクの左腕に抱き付いていたオフィエルが、頰を膨らませながら、立ち上がった。
『ぷりめ〜。めに もの みせてくれる。』
翼を付けたベトールは、クラウドフォートレスを飛び出し、一直線に雲隠島へと向かって行った。
今回のお話を書きながら思ったのですが、紅葉さんは和臣の妹、渚ちゃんの位置に生まれ変われば良かったかもしれませんね。
まあ、それはそれで、お兄ちゃんの彼女を悉く追い払い「お兄ちゃんと結婚する。」とか真顔で言い出す、メンヘラ妹になるような気もしますが……。