ぷり よりも だいじな おしごとなの
クラウドフォートレス艦橋の下にある、ベトールの寝室の窓から外を眺めて、舞姫は溜息を吐いた。
どういう仕組みかわからないが、この船は空を飛んでいる。いや、船と言って良いのかも微妙だった。外観はまるで雲。中に入ると、客船の様に部屋が仕切ってあるのだ。
その部屋や廊下には魔物が練り歩いていて、一人でいる舞姫を見付けると、すぐにちょっかいを掛けて来た。
魔物達は正座をさせたり、投げたボールを取って来させたりした。時々、食べ物をくれたりもした。何の意味があるのだろうと思っていたが、ある時、ペットとして調教や餌付けをされているんだ、と気が付いた。
口惜しくて、恥ずかしくて、手が痛くなる程、壁を叩いた。
それでも、舞姫は羞恥に耐え、魔物の指示に従った。欲求が満たされると彼等は何処かに行ってしまう。大人しく言いなりになっていれば、大抵はやり過ごせた。
しかし、この前は人数も多く、構い方が暴力的にエスカレートして来て、命の危険を感じたから、逃げ出した。たまに、そういう事態にもなるので、油断出来ない。一般人の舞姫からすれば、猛獣の檻の中で暮らしているのと変わりがなかった。
安全地帯はベトールの傍だけだ。少しでも姿が見えないと、不安になった。あんなに憎いと思っていた彼女に依存しているのだ。
無力な者として、他者から翻弄される毎日。一秒先の安全さえ、保障されない生活。感じるストレスは半端ではなかった。
舞姫は、窓に映った自分の姿を見て、唇を噛んだ。着ているのは、所謂、旧型スクール水着である。ベトールが、何処かから持って来た物だ。何故か、AT THE BACK OF THE NORTH WINDには、こういう古臭い物しかなかった。
裸よりはマシだが、動いているうちに、お尻の辺りが捲れて来るのが恥ずかしかった。必死に頼み込んで、やっと腰回りにバスタオルを巻く許可をもらったのだが、改めて客観的に眺めてみると、そのチグハグな格好に情け無さを覚えた。
ベッドの上では、ベトールが寝息を立てていた。舞姫は窓際を離れ、ベッドに戻った。一人では、いつ、魔物に襲われるかわからない。安眠出来ないので、一緒に眠らせてもらっているのだ。
ベトールは嫌味は言うが、基本、舞姫の頼みは断らなかった。連れ去られて来てから、痛い思いをさせられたのは、最初の一回だけ。以後、表向き恭順の意を示していれば、むしろ魔物から守ってくれたりもした。
舞姫はベトールに添い寝して、その寝顔を眺めていた。起きている時は、幼女と思えない程険しい表情をしているが、寝姿は年相応だ。それでも可愛いなどとは思えなかった。
もう、終わりにしよう。
ふと、思った。追い詰められた精神は、短絡的行動を促した。舞姫は熟睡しているベトールの首に手を伸ばした。
「まいきおねえしゃん。」
ポツリとベトールが寝言を洩らした。それは七大天使としてではなく、素のベトールが発した言葉であった。
それを聞いた舞姫は、ハッとして、首を絞めるのを止めた。
『もしかして、この子、私を前から知っていたの?』
今の今迄、突然現れた怪物に、平穏な生活を奪われたのだと思っていた。しかし、あの声は確かに何処かで聞いた覚えがある。
『誰なの? 貴女は一体誰なの? どうして、私をこんなに苦しめるの?』
差し込んで来る青白い月の光に照らされて、舞姫はベッドに手をつき、ガックリと肩を下ろした。
夜中におトイレに起きたプリ様は、部屋に戻ろうとして、例によって間違った方向に進んでいた。
「お〜、よちよち。」
という声が聞こえて、引かれるように其方に向かうと、玄関のロビーで、若い女性が子供を抱きかかえて、あやしていた。
この宿泊施設には、職員の住居も同居しているので、スタッフの家族だろう。
「あかちゃん!」
プリ様も女の子だ。前世が特盛筋肉ゴツ男でも、今は可愛らしい女の子だ。赤ちゃんを見ると顔を輝かす。
「あれ、符璃叢様?!」
女の人はプリ様の歓声に振り返った。
「おばちゃんの あかちゃん?」
「おば……。」
自分を見上げて、首を傾げているプリ様を見て、ちょっと溜息を吐いた。
私、まだ二十四だもん。
「初めまして。お姉ちゃんは日村奈津子、こっちの赤ちゃんは日村奈々ちゃんですよ〜。」
お姉ちゃんを強調しながら、屈み込んで、プリ様に赤ちゃんを見せて上げた。
「かわいい! あかちゃん、かわいいの!」
プリ様は大喜びで、頭を撫でて上げている。
「おばちゃんが うんだの?」
「そうよ。お姉ちゃんが三ヶ月前に産んだのよ。お姉ちゃんがね。」
少し大人気ないぞ、日村奈津子。
「本当はね、島の勤務が終わって、本土に戻ってから子供作るつもりだったんだけど……。」
ポロリと大人の事情を幼児に言ってしまうあたり、迂闊な性格が滲み出ている。
「こうのとりさんに まって もらえば よかったの。」
「えっ……。」
無垢な微笑みを浮かべながら、純心な言葉を放つプリ様に、恥じ入る奈津子。
「符璃叢様って……、噂とは違うね……。」
「うわさ……?」
奈津子は、おっとと、と口を噤んだ。
神王院家に女傑現る、とか、一睨みで虎も逃げ出す幼女、とか、現代の巴御前、とか呼ばれている事は口が裂けても言えません。
「あかちゃん うまれたばかりなの。」
プリ様は気にした風もなく、奈々をあやし始めたので、奈津子はホッとした。
「かわいそうなの。あと……うーんと、にねん なの。おかあたまと いっしょに いられゆの。」
「? 何を言っているの、符璃叢様。赤ちゃんとお母さんは、ずっーと一緒よ。」
言われたプリ様は、キョトンとした顔で、奈津子を見上げた。
「そうなの?」
「そうよ。お母さんは可愛い我が子を決して手放したりはしないのよ。」
「ぷりの おかあたまは ずっと おしごとなの。」
しまったー。今年最大の大チョンボ。神王院の宗家が超多忙な事くらいわかってたのにー。
奈津子は冷汗をダラダラと流した。
「ええっと、符璃叢様? それはね、胡蝶蘭様は特別な仕事をしていて、他に替えが効かないっていうか……。」
「いいの。わかってゆの。おかあたまは このくにを まもっていゆの。とても だいじな おしごとなの。」
「……。」
「ぷりよりも だいじなの……。」
プリ様が頬を撫でて上げると、奈々はキャッキャと喜んで、小さな手を伸ばした。
「ねむたくなったの。もう、もどゆの。」
二人に別れを告げ、プリ様は歩き出した。
「符璃叢様! 胡蝶蘭様は符璃叢様を一番大事にしていると思うわ。」
後ろから奈津子が声を掛けた。プリ様は寂しげに微笑むと、トテトテと廊下を歩いて行ってしまった。
翌朝、時間の巻き戻しも終わり、完全に目を覚ました昴は、プリ様がジッと自分を見詰めているのに気付いた。
『な、何かしら。あの熱い視線の意味は? お前が欲しい、とか言われたらどうしよう。キャー、プリ様ったら。』
……、あくまで脳天気な女である。
そんな事を思っていると、プリ様は這うように近付いて来て、ヒシッと昴に抱き付いた。
「ど、ど、ど、どうしたのです? プリ様。そんなに積極的に……。」
まだ、物心つく前のプリ様は、よく這い這いして昴に接近し、足元に纏わりつく感じで、戯れて来てくれたのだ。
それが最近では、すっかりクールになってしまわれて、昴は寂しく思っていた。
「プ、プリ様〜。やっと昴の愛情の深さに気付いたのですね。溺れましょう。二人で愛の渦巻きの中で溺れましょう。プリ様、プリ様、プリ様〜!!」
昴はプリ様を抱き締め、自分の身体のあらゆる部分を使って、愛撫し始めた。頬で頭をスリスリし、掌でお背中を撫り、お顔を胸に押し付けて……。
「すばゆ、うゆさいの。おとなしく してゆの。」
「……はぁぁぃ……。」
怒られて、シュンとなる昴。
「何かあったのですか? プリ様ぁ。」
「なんにもないの。ぷりは さみしく なんて ないの。」
「えっ?」
「いいの。ぷりには すばゆが いゆの。それで いいの。」
昴の白い手が、プリ様の背中をトントンと優しく叩いた。
「泣いても良いのですよ、プリ様。」
「…………、すばゆ〜。」
プリ様は涙を零し、昴は包み込むが如く、柔らかにプリ様を抱いていた。
いつまでも抱いていた。
執筆にあたって、旧型スクール水着に関してネットで調べたら、検索結果にアマゾンの商品案内が引っ掛かりました。
まだ売っているんだと、何気なくそのページを見たのですが、それから色々なサイトのアマゾンの広告バナーが、旧型スクール水着の紹介になってしまいました。
…………。
迂闊に人前でタブレットを開けません。
アマゾンさん、もう許して下さい。変態だと思われてしまいます。
絶対に旧型スクール水着なんて買わない客だと気付いて下さい。
インターネットって恐ろしい。というお話でした。