恋のアバンチュールは女の子同士で
渚ちゃん、和臣兄妹の通う学校は、中高一貫の私立校である。今日は金曜日だが、中等部は教員の講習がある為、午後の授業はなかった。それで、リリスは神王院家に立ち寄り、寄り道をしていた渚ちゃんはプリ様達と会ったのだ。
高等部は普通に午後も授業があったので、和臣はまだ学校にいた。
その和臣は今日、日直当番をやらされていたが、朝から浮かれていた。日直は男女一組で、相手がクラス内美少女ランキングで二番目に位置する、宮路杏奈さん(十六歳)だったからだ。ちなみにランキング一位は絵島紅葉さんなのだが、彼女を女性の数に入れていない和臣にとっては、実質、宮路さんが一番と言えた。
しかも、風の噂(和臣君の悪友、安田洋平君談)によると、宮路さんは自分に気があるらしいという話なのだ。
ちょっと気になっていた美少女が自分を好きかもしれない。しかも、日直で一日中密着状態(一緒に黒板を消すだけです。)なのだ。思春期の少年なら舞い上がろうというものだ。
今も、始めての協同作業(先生に提出物を届けました。)を終え、新婚旅行(職員室に行きました。)も済まし、もう夫婦も同然じゃね? というくらいの浮かれようだ。現在の彼の脳内妄想を文字に起こすと、発禁処分を食らうくらい気持ち悪いものであるのは確実であった。
二人で廊下を歩く至福の時間。肩先が少し触れ合うだけで、顔を真っ赤にして距離を取る宮路ちゃん。可愛過ぎ。
「あのぉ、和臣く……曽我君って、付き合っている人とかいるの?」
何これ? 何これ? 何この展開!
和臣は鼻血を垂らしそうなのを我慢して、平静を装った。ここで失敗してはいけない。クールかつ、かっこ良く、出来れば辛い過去を思い出しているかの如き表情を浮かべて答えねば。
「いや、いないよ。」
「嘘……。だって、絵島さんがいるじゃない。」
またか……。また「絵島さんがいるじゃない。」か……。過去何度それで煮湯を飲まされて来た事か。俺があいつを犬か猫並くらいにしか扱っていないのは、見ていればわかるだろ。出来の悪い妹みたいなものだ。妹! そうか、それでいこう。
「いやいや、違うよ。あいつは妹みたいなものだよ。俺が面倒見てやんないと、社会生活が営めないからさ。」
これは嘘ではないだろう。あれ程性格が破綻していては……。
「そっか……。絵島さん、清楚で大人しいものね。」
それが良くわからない。周りの人は、何で、あいつをそういう人物だと捉えているのだろうか?
「じ、じゃあ、私が曽我君を誘っても怒られないかな?」
うおおお、急転直下キター。敵機直上急降下! もう、自分で何言ってんだかわからないー。もしかして、もしかして、始めての彼女が出来ちゃうのかー!
「ふっ、もちろん。君に誘って貰えるなんて、光栄の至りだね。」
やべ、口元が緩んで来る。しっかりしろ、俺。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。って、やっぱり何言ってんだかわからねー。
二人が微笑み合いながら教室に入ると、電話で話している紅葉が見えた。
あれ、あいつの持っているスマホ、俺のじゃねえか?
訝しく思いながら見ていると、紅葉と目が合った。
「あっ、和臣ぃ。今、お母様から電話があったわよ。」
おい、勝手に人の電話に出てんじゃねえよ。
和臣が焦って隣の宮路さんを見ると、彼女は顔を強張らせていた。
「絵島さんって……、曽我君の電話に代わりで出ちゃうんだ……。それで、お母さんとも普通に話しちゃうんだ。」
「いや、だから、兄妹みたいなものだから。全く、仕方ないなあ、紅葉は。」
あくまで、兄らしく振る舞おうとする和臣。
「兄妹……。」
紅葉はキョトンとした表情で、小首を傾げた。
「そうよねぇ。兄妹じゃなければ、恥ずかしくて一緒のお布団でなんて眠れないわぁ。」
爆弾投下! って何言ってんだ、お前。
宮路さんの厳しい視線を感じて、和臣は焦った。
「あっ、誤解しないで、宮路さん。『共通』の知り合いの家に『二人』で『お泊り』した際に、お布団が『一組』しかなくて、しょうがなく『一緒』に『寝た』だけだから。当然『いやらしい行為』なんてしてないわ。だって兄妹みたいな関係だもの。ふざけ合っていたら、和臣の顔が私の『胸の谷間に埋もれた』のにはちょっと吃驚したけど。それぐらいよ。でも、眠っている間に『求め合って』しっかり『手を繋いでいた』のは、目覚めた時に恥ずかしかったね、和臣。」
紅葉の発言は、宮路さんだけでなく、教室中の人間の耳目を集めていた。
男子の大半は、喰い殺さんばかりに、睨んで来ている。してみると、前に紅葉がモテていると自慢していたのも、あながち嘘ではなさそうだ。
だが、今はそんな事はどうでも良い。問題は宮路さんだ。和臣は恐る恐る彼女の方を見た。
「み、宮路さん? いつ……遊びに行こうか……?」
なけなしの勇気を振り絞って話し掛けたら、宮路さんよりも先に、紅葉が口を開いた。
「あれ、もしかして二人付き合うの? おめでとう。もう『浮気性』の『酒場の未亡人』に振られた傷は癒えたのね、和臣。」
前世の話してんじゃねえ!
女子が全員、ヒソヒソと指差していた。
「え、絵島さんって、和臣君の事、何でも知っているんだ。」
あれ、呼び方が「和臣君」になっている。もしかして、親密度ワンランクアップ? などと浮かれている場合じゃない。何としても、この馬鹿の口を塞がないと。
「ご、ごめんなさい。不快だった? 昔『一緒に旅』をして『苦楽を共に』したから、ついつい、わかったような口きいちゃって……。」
だから、前世の話を持ち出すんじゃねえ。
「宮路さん、和臣は誠実で良い人よ。私、断然応援しちゃう。和臣は出会った頃、泣いている私を『抱き締め』て『世界中が敵に回っても、俺は味方だ。』って言ってくれたの。それ以来、ずっと私を『命懸け』で『守って』くれたのよ。私達には『切っても切れない絆』が有って、これからも彼とは『親しく』付き合うけど、あくまで兄妹みたいな関係だから。何かあった時は、彼女の宮路さんを優先するように『私』が『させる』から。安心して。」
宮路さんはプルプルと震えていたが、やがて「和臣君のバカー。」と叫んで行ってしまった。その瞬間、紅葉の口角がニヤリと吊り上がったのを、和臣は見逃さなかった。
「お・ま・え、どういうつもりだ?」
「あ、あの、ごめんなさい。私、何か宮路さんの気に触る事言ったのかしら。」
オロオロと狼狽える大人しい少女。アカデミー賞ものの演技を紅葉は繰り出していた。
「自分が浮気するのが悪いんじゃん。それなのに逆ギレってねぇ。」
「ホント、サイテー。杏奈も絵島さんも可哀想。」
いつの間にか俺が一番の悪者になっているー。
女子達がヒソヒソと話しているのが聞こえ、和臣は大衆の無責任な決め付けに慄然とした。
「ちょっと来い。」
「あっ、痛ぁーい。乱暴にしないで、和臣ぃ。私が悪かったのぉ。」
いつまでカワイコぶってるつもりだ。和臣は紅葉の手を引いて、グイグイと校舎裏まで連れて行った。
「こ、こんな所に連れ込んで、どうするつもりなの? 和臣ぃ。私、犯されちゃうの?」
「良い加減に、その気持ちの悪いブリッ子を止めろ。」
「そんなに怒んないでよ。宮路ちゃんが和臣に惚れているっていう情報を掴んだから……。」
掴んだから?
「悪い芽は早めに摘んでおこうと思って。」
「何で摘まれなきゃいけないんだよ。」
だって……、と言いながら、決然と顔を上げる紅葉。
「だって、私、将来は和臣と偽装結婚するつもりだから。他の女の子と付き合われたら困る。」
「何で『偽装』が付くんだよ。」
「私、百合じゃん。真実の愛は女の子同士とでなきゃ育めないし。」
「じゃあ、真実の愛を育んだ相手と結婚しろよ。渋谷区に行けば出来るらしいぞ。」
「でも、私、コミュ症じゃん。ぶっちゃけ、まともに働けないと思うし。」
何ぶっちゃけってんだ。というか、働け。
「だから、私、和臣に養ってもらおうと思って。養ってもらいながら、女の子と恋のアバンチュールを楽しもうと考えているの。」
そんな厚かましい要望を、どうして、何のてらいもなく言えるんだ?
「それなら、俺も他の女の子と付き合って良いわけだな?」
「ダメよ。それは不倫よ。」
「お前だって不倫するんだろ。」
「私は女の子同士だからセーフなの。和臣も付き合いたいなら、同性と付き合いなさい。」
何? こいつと結婚すると、女の子とのエッチな行為は一切出来ず、男と付き合わなきゃいけないの? 嫌だ。そんなの嫌過ぎる。
「和臣ぃ……、幸せになろうね……。」
顔赤らめて言ってんじゃねえ。幸せなのはお前だけだろ。絶対に逃げてやる。
和臣は決意を固めた。
「そうそう、さっきお母様がね『紅葉ちゃんがお嫁に来てくれたら、和臣も安泰だわ。』って言ってたわよ。そろそろ『婚約』も考えようかって……。」
お袋ぉ……。
自分の足元が蟻地獄と化している事に気が付く和臣であった。
ある意味、幼女神聖同盟のそれより恐ろしい紅葉の野望。
正に結婚は人生の墓場。墓場過ぎる。
外堀を埋められつつある和臣君の運命や如何に。
まあ、逃げられないとは思うけれど……。