襲撃のオフィエル
白山祝田田町線を横切り、細い路地に入ると、慈愛医科大学病院が見えた。その正面玄関から、プリ様くらいの女の子と、その母親らしき女性が、手を繋いで出て来るのが見えた。
「ままぁ、ぱぱは?」
あどけない顔で自分を見上げて来た娘を、彼女はヒシと抱き締めた。
「あらとよん……。」
プリ様は、その子が誰なのか気が付いた。あまりにも表情が幼くなっていたので、最初はわからなかったのだ。今日退院なのだと、リリスから告げられた。
「アラトロン……、笠間晶は目を覚ました時、何も覚えていなかった。プリちゃん、貴女の事もね。」
リリスが言うと、プリ様は悲しげに俯いた。
「六花の一葉をプリちゃんに託したからだと思うけど、超常の力も、高い知能も、全て消えていた。今のあの子は平凡な幼女よ。」
貴様とは、どこかの公園の砂場で会いたかった。
あの時のアラトロンの台詞が、プリ様の脳内でリフレインしていた。どこかで、普通に出会えれば、友達になれていたかもしれないのに……。
「何々? 察するところ、プリちゃんは、あの子と友達になりたいの?」
渚ちゃんが割って入った。
「だったら、まず話し掛けなくちゃ。私だって、野生の虎みたいに心を閉ざして『何? 曽我さん。何か用?』って冷たかった美柱庵さんと、今や『渚ちゃん』『リリスちゃん』の仲だよ。フレンドリーに話し掛けないと、何も始まらないって。」
そう言って、プリ様にウィンクした。
「そういう例え話は止めて下さるかしら、曽我さん。」
「ああ、リリスちゃん。曽我さんに戻っている。戻っているよ。」
縋り付く渚ちゃんを、リリスは無視した。
「曽我さんの言う通りよ。言って来なさいな、プリちゃん。私と曽我さんは日比谷通りに出て、待っているわ。」
病院の玄関がある路地を抜けると、東京マラソンでもお馴染みの日比谷通りに突き当たる。
プリ様はリリスを見上げると、コクリと頷いた。
「ありがとう、りりす、そがしゃん。」
「ああ、プリちゃんまで曽我さんって……。」
「じゃあ、行って来ます。リリス様、曽我さん。」
「昴ちゃーん。貴女もなのー。」
「さあ、行くわよ。曽我さん。」
「許して。もう、許してー。」
何で、貴女達そんなに息ピッタリなのー。
と喚きながら、渚ちゃんはリリスに連行されて行った。
プリ様はアラトロンを見ると、決意を固めた。短い御御足を踏み出し、彼女に近付いた。昴はその後ろに影のように寄り添っていた。
「あらとろ……、あきらしゃん。」
「あら、貴女どこの子?」
母親が気付いて、首を傾げた。
「晶のお友達?」
「いまは ちがうの。でも ぷり なりたいの。あきらしゃんと おともだちに なりたいの。」
母親のスカートに隠れていた晶は、そう言われて、そっと顔を出した。
「あったこと ある?」
プリ様は首を横に振った。
「でも なんか しってる。わたし、ぷりちゃん しってるよ。」
互いに顔を見合わせて、ニッコリと笑った。もう、それだけで、二人は友達だった。キャッキャッとはしゃぎながら、ふざけ合っている。
母親は少し戸惑いながらも、そんな二人を見守っていた。
「お母様、私はプリ様の奴隷……秘書をやっております。光極天昴と申します。」
「今、奴隷とおっしゃりました?」
「い、いえ。秘書です。秘書。」
昴は名刺を差し出しながら、挨拶をした。
「阿多護神社のお子さんなの? うちはトンネルを抜けてすぐのマンションですのよ。」
「それでしたら、プリ様もすぐに遊びに伺えますね。よろしければご住所を……。」
「まあまあ、可愛い秘書さんね。」
母親は昴の差し出したメモ帳に住所を書いて渡した。
「それにしても、貴女、凄く整った顔をしているわね。これ、本物?」
「い、痛いです、お母様。顔を引っ張らないで……。生きてますから。人間ですから。」
プリ様と晶が交流を深めている間、昴は懸命に自分が生物であるのを説明していた。
「さあ、名残り惜しいけど、今日はもう帰らなくちゃ。ね、晶。」
やがて、母親は晶の手を引いて歩き出した。
「いつでも、遊びに来てね。プリちゃん。」
「まってるよ〜。」
プリ様と晶は、いつまでも手を振り合っていた。
「さあ、私達も行きましょうか。リリス様と曽我さんが待ってますよ。」
「うん。りりすと そがしゃんの ところに いこう!」
元気良く歩き出したプリ様は、一瞬、何か違和感を感じた。辺りを見回してみると、何人か居た通行人が、全員消えていた。
「これは いせかいしょうかん とは ちがうのよ〜。」
頭の上から声がした。
「げんていてき ばとるふぃーるど ってかんじ?」
見上げると、十メートルくらい上空に、茶髪をツインテールにした幼女が浮かんでいた。つばの広い帽子を被り、足には翼の生えた黄金のサンダルを履いていた。
「あらとろんと しりあいって……、あんた なにもの? ってかんじ。」
プリ様は若干イラッとしていた。かんじ、かんじ、言いやがって。もっと、はっきりものを言え。
「ちょっと ためして みたくなったかんじ? ふつうの ようじょなら しんじゃうけど べつに いっか〜って おもうのよ?」
だから、何で自分の心情を語る時まで疑問形なんだ。
プリ様のイライラは頂点に達していた。
「けーりゅけいおん……、うわっ、なんなのってかんじ?!」
幼女が右手に持った、柄に二匹の蛇が巻き付き先端に翼のついた奇妙な杖を振り翳すより速く、反重力ジャンプで飛び上がったプリ様が目の前に出現した。
そのまま、パンチを食らわせてやろうとしたが、幼女が盾にした杖を見て、何もせずに着地した。
何か、ヤバイ。杖にアダマントの鎌と同等のきな臭さを感じたのだ。
「ふふっ。おまえが あらとろんを やぶったのは まちがいない ってかんじかな?」
幼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「わがなは おふぃえる! ようじょしんせいどうめい ななだいてんしのひとり ってかんじ〜?」
あー、やっぱりか〜。面倒くさい事態になっちゃたな。
と昴は思っていた。
そんな事より、早く腹切り最中を買って、プリ様のオヤツにしないといけないのにな。
「あのぅ、今、急いでいるので、また後日にしてくれませんか?」
「ひとが なのって いるのに。なんなの この ぶれいな こむすめは! ってかんじ?」
勇気を振り絞ってお願いしたのに、怒られてしまった。昴は怯えて、プリ様の後ろに隠れた。
その昴をオフィエルはずっと見詰めていたが、やがて、スルスルと下に降りて来て、プリ様の前に立った。
「よくみると、すごく きれいな おにんぎょうさん じゃな〜い? おまえの もちものなの? ってきいてるかんじ。」
「すばゆは ぷりの しょゆうぶつなの。」
プリ様〜!!
非常事態にも関わらず、昴のハートは天に舞い上がらんばかりになっていた。
プリ様が、プリ様がはっきり言ってくれた。昴を自分の所有物だって。もう、首輪を買って貰うしかないよ。プリ様のネームタグの付いた首輪を。ああ、前世みたいに「昴はプリ様の奴隷にして所有物です。」って登記されるシステムがあれば良いのに。もっと、はっきり私がプリ様の物ってわかる方法はないかしら? 出歩く時は、常に首輪にリードを付けて、引っ張っていただこうかな? そうすれば一目でわかるよね。プリ様が昴のご主人様だって……。そうだ。そうしよう。今度から、そうしてもらおう。
プリ様が聞いたら五秒で却下される提案を、昴は心の中で固めていた。
「しゃべって、うごいて……、どんな しくみに なってるの? きょうみしんしん ってかんじ。」
「わ、私はプリ様の所有物ですけど、お人形ではありません。」
「うそつくな ってかんじ? おまえみたいな うつくしい にんげんが いてたまるか〜 っておもうのよ?」
手を伸ばそうとしたオフィエルから、プリ様が小ちゃなお身体で昴を庇った。
「じゃまするんなら ねむってろ ってかんじ? けーりゅけいおん!」
オフィエルが頭に向けて振り下ろして来た杖を、腕を十字に組んでガードした。
「かかったな、ば〜かめ〜。」
飾り物だと思っていた蛇の一匹が、突然、鎌首を持ち上げて、プリ様の手に噛み付いた。プリ様は糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。
「きゃあああ! プリ様ぁー。」
「じゃまものは ねむったかんじ? これから じっくり おまえを かいぼう してやるって けつい?」
何て嫌な決意なんだ。
危し、昴!
プリ様は死んでしまったのか? って、そんな訳ないか。
最初に神王院家に行った時に入ったトンネルを、そのまま突き抜けて、すぐ左手に折れると、晶と母親の住むマンションに着きます。
離婚の際の財産分割で母親は、不動産と貯金半分、更に慰謝料を父親と浮気相手から分捕りました。
父親は毎月、晶の養育費も払わなければいけないのです。
浮気の代償は高くつきましたね。ご愁傷様です。
さて次回はプリ様の反撃です。
昴ちゃんを解剖の魔手から救うのだ。行け! プリ様!!




