妄想爆発、渚ちゃん!
トラノオとゲキリンについてはクレオも知っていた。トールが恐怖を覚える程の武器だとは聞いていたし、何回か見てもいた。だが、具体的に、どんな力を持っているのかまでは教えられていなかった。
今、リリスは自分にその刃先を向けられて、初めて二つの刀を目撃した時のトールの絶望感を理解していた。カテリーナが、これ等があれば戦況が覆せる、と思ったのも道理だ。
その刃は死そのもの。
圧倒的な力ならば、まだ抗う気も起きよう。しかし、黄泉の暗闇が口を開け、自分を飲み込もうとしているのだ。震える事しか出来ないではないか。
「トォォルゥ……。」
昴が口を開き、喉の奥から音声を絞り出した。
「トールゥ、会いたかったよぉ。」
両の目から涙が零れた。
トール? リリスの頭は目まぐるしく回転していた。
誰を指して言っているんだ? 胡蝶蘭? いや、違う。彼女は自身の能力では塔を目視出来なかった。符璃叢を抱いて初めて……。
その日は驚きの連続で、何回も背筋に戦慄が走ったが、その事実に気付いた時は、超特大級に冷たいものが撫でるように背中を滑り落ちて行った。
符璃叢がトール?!
だが、間違いはなかった。
昴の両手からは、何時の間にか、トラノオとゲキリンは消えていて、引き寄せられるみたいに、フラフラと符璃叢に歩み寄っていた。符璃叢もキャッキャと笑って、彼女に手を伸ばしている。
「プ、プリちゃんが笑っている?」
「どうして珍しそうに言うんですか、叔母様。赤ん坊は笑うものでしょ?」
「珍しいのよ。プリちゃんは、生まれてから、まだ一度も笑ってないの。」
符璃叢の手が昴の頬に触れた。二人の唇が吸い合うように触れ合い、その瞬間、牢獄の塔は消え、四人は何時もの日比谷公園に居た。
一度姿を隠し、再び忽然と現れた彼女達に皆は驚愕の視線を向けていた。
「あっ、お兄ちゃん? どうしたの、こんなに遅くなって。パパとママ、心配しているよ。今日、銀座線で変な事件あったでしょ。」
曽我渚ちゃんは十二歳。三つ歳上のお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんには紅葉ちゃんっていう恋人がいて、二人はお互いに「俺等(私達)はそんな関係じゃない。」と言っているけど、渚ちゃんは「あやしいなぁ。」と思っていた。今だって、お泊まりすると言って電話をして来たお兄ちゃんの後ろで、紅葉ちゃんの声がするのだ。
『あれ、もしかして今夜二人は……。きゃぁぁー、お兄ちゃんったらスケベ。』
話しながら、内心、渚ちゃんは一人で盛り上がっていた。
「お兄ちゃん、お友達の家に泊まるとか言って、実は紅葉ちゃんと一緒なんでしょ。」
ここは、パパとママに聞かれてはマズイと思い、小声になる渚ちゃん。気配りの出来る良い子なのだ。
「また、お決まりの『そんなんじゃない。』? もう、ミエミエだって。大丈夫、大丈夫。私、黙っておくから。えっ、お母さんに替れ? わかった。バレないようにするんだよ。」
ママに受話器を渡すと、暫くしてから「まあ、ご迷惑をお掛けします。」などと、大人の会話になった。むむっ、紅葉ちゃんと二人きりなのではないのか? それともアリバイ作りの工作員がいるのか?
電話が終わっても、特にママの態度に変化はない。気になる。本当にお友達の家に泊まるのか。
…………、そんなのつまんない!
「ねえ、ママ。お兄ちゃん、何だって?」
さりげなく、探りを入れてみる。
「もしかしてさ……、紅葉ちゃんと一緒なんじゃない?」
揺さぶりもかけてみる。気配りの出来る良い子は訂正させていただきます。
「そんなんじゃ、ありませんよ。神王院さんっていうお寺さん……神社だったかしら? に泊まるんですって。お家の方も挨拶して下さったし、ほら、連絡先の電話番号もちゃんと教えてくれたわ。」
渚ちゃんの学校の成績は中の上だ。しかし、記憶力には自信がある。メモってある番号を素早く覚えた。
「でも、あちらのお母さん、随分若い声だったわ。羨ましいわね。」
リビングを出て行く時に、ママの独り言が耳に入った。
えっ、もしかして浮気? いやいや、確かに紅葉ちゃんの声が聞こえた。つまり、まさか、三人で……。いやぁぁぁ。お兄ちゃん、不潔! 何考えてるの。
素直にママの話で納得しとけば良いものを、余計な妄想を膨らませて、グルグルする渚ちゃん。自室に戻ってからも興奮冷めやらない状態だ。
そうだ、さっきの番号に電話してみよう。早速、買ってもらったばかりのスマホを取り出した。
「もちもち?」
子供が出た? あれ、番号間違えてないよね?
「ぷりね、おといれで おきたの。ひとりで おといれ いけゆの。えらい?」
「え、えらいねぇ。」
「ぷり、えらいの!」
「う、うん。ところで、プリちゃん、で良いのかな? プリちゃんちに曽我和臣さんは居る?」
「かずおみ……。かずおみはね、もみじと いっしょ。」
よっしゃー、いきなり核心だ。ありがとう、プリちゃん。
「おねえさんは だあれ? かずおみ しっていゆの?」
「お姉さんはねぇ、和臣の妹だよ。」
「なぎさしゃん!」
私の名前を知っている? 渚ちゃんは混乱した。
「プリちゃんは私のお兄ちゃん、和臣とお友達なの?」
「かずおみはねぇ、ぷりの けらいなの。」
お兄ちゃんが幼女の家来? 混迷は益々深まった。
「なぎさしゃん……、ぷりねぇ、もう おねむなの。すばゆの とこに もどって いい?」
すばゆ? また新しい女の名前か?
「あ、ああ。ごめんね、眠いのにお話ししちゃって。お休み、プリちゃん。」
「おやしゅみ なしゃい。」
電話を切った渚ちゃんは、もう訳わからん状態だった。
『でも、とにかく、紅葉ちゃんと一緒だという証言は得たわ。プリちゃんちに二人で泊まっているのね。』
しかし、経緯がどうにもわからない。そもそも、お兄ちゃんとプリちゃんは、どういう関係なんだろう。まさか、本当に家来の筈もないし……。渚ちゃんは一人、悶々としていた。
一方その頃、和臣と紅葉は困惑していた。
神王院家には、男湯と女湯に分かれた大浴場があり、そこで入浴をした。浴衣も借りて、良い気分で案内された部屋に行ってみると、二人は同室にされていた。
しかも、一つの布団に枕が二つ。この場合、プリ様&昴コンビと違って、非常にマズイ。年頃の男女が同衾すると、コウノトリさんの介入を招く事態に発展するかもしれないのだ。滅茶苦茶マズイ。
「コチョちゃん、何か誤解してたもんね。」
あの時、もっと全力で否定しておけば良かった。
「俺は畳の上で寝るから。」
そう言って、枕を取ろうとする和臣を、紅葉が止めた。
「良いわよ、一緒でも。あんた、別に私に手を出したりしないでしょ。」
「そうだな。天地がひっくり返っても、それはないな。」
二人は布団に入り、背中合わせに寝転がった。
「前世でさ。野宿の時は、よくこうやって一緒に寝たよね。」
「そうだったな。」
屋外の寒さは辛い。二人は身を寄せ合い、互いの体温で温め合って寝るのが常だった。
「前世かぁ。そんなの有りなの? 思い出した今でも半分信じられないよ。」
「俺は前から言ってただろ。お前とは何か縁を感じるって。」
「……、そうだね。口説き文句だと思っていた。」
「何で俺がお前を口説くんだよ。自惚れるな。」
カチン! 紅葉さんの癇癪玉に和臣君の台詞が突き刺さった。
寝返りを打つと、彼の背中を両手で揺さぶった。振り返る和臣。
「何だよ。」
「あんたねえ、私だってモテるのよ。しょっちゅう告白されているの知らないでしょ。」
「ハイハイ、そうですか。」
「う、嘘だと思っているわね。私と一緒に寝たなんてバレたら、あんたクラスの男共に殺されるわよ。」
和臣は、憐れむように、フンと鼻を鳴らした。紅葉はその態度を見て、いきなり浴衣の胸元を広げた。
「うわっ、何やってんだ、お前。見える、見えるって。」
「私を見て興奮したわね。はい、私の勝ち。」
「興奮するかよ。見えそうだから、早くしまえ。」
「何? まだ頑張るの。これならどう?」
紅葉は和臣の頭を掴んで、自分の胸に押し付けた。
「ほら、発情しろ。どう? バカにしていた女に欲情して悔しいでしょ。」
「止めろー。」
二人が布団の上で組んず解れつしていると、カラリと障子が開いた。
「あれぇ、もみじぃ、かずおみぃ、どうしたの?」
そこには寝ぼけたプリ様が立っていた。
「プ、プリ。何でもないのよ。」
紅葉は乱れた襟元を直しながら言った。気付けば、肩まで、はだけていた。
「ど、どうしたんだ? トイレか?」
「ぷりねぇ、おといれ いったの。おへや まちがえちゃった。」
プリ様は、カラリと障子を閉めて、出て行った。そのまま、欠伸をしながら歩いていたら、また電話が鳴っていた。
「もちもち?」
「あ、あれ? プリちゃん?」
それは煮詰まって、再び電話してしまった渚ちゃんであった。
「寝たんじゃなかったの?」
「ぷり、おへや まちがえたの。もみじと かずおみの おへやに いっちゃったの。」
何という僥倖。渚ちゃんは思わずガッツポーズをとった。
「二人は何してたの?」
「あのねぇ、おふとんの うえで じゃれてた。もみじ、すこし はだかだった。」
うわぁ、うわぁ、決定的だよ。
渚ちゃんの胸は、少しのショックと、それ以上の好奇心で、はち切れそうだった。
取り敢えず、誰に話そう。知佳まだ起きてるかな。
頭の中に、三、四人、話せそうな相手を思い浮かべた。噂が広がるのは必至であった。
渚ちゃんは耳年増です。
学校の同じクラスに、これまた耳年増の知佳ちゃんというお友達がいて、二人で余計な知識をガンガン補完し合っています。
全く経験はないくせに、知識だけなら、お兄ちゃんの数倍の保有率を誇っているのです。
今日もこれから、二人はお兄ちゃんと紅葉ちゃんを肴に、妄想話に華を咲かせます。
もう完全に「二人はやっちゃった。」という事になってしまうでしょう。