大日本帝国海軍駆逐艦叢雲の叢
エロイーズの処遇はトールやクレオと合流してから決めようという、出来るのかどうかもわからない条件付きで保留となった。和臣の出した完全に一時凌ぎの提案であった。三人は車両の片隅に車座になっており、昴の膝の上ではプリ様がスヤスヤと眠っていた。一見平和そうに話し合っているが、紅葉は相変わらず肉食獣の目付きで睨んでいて、気の弱い昴は彼女の一挙手一投足にビクビクと怯えていた。
「あんた本当に前世の記憶はないの?」
「ぜぜぜ、前世とか言われても、ななな、何の事だかさっぱりですぅ。」
その返事に紅葉は舌打ちした。
「何でさっきから震えてんの? 何か隠しているんじゃない? 疚しい思いがあるから震えが来るんでしょ。」
「ちちち、違います。こここここ、怖いんです。貴女が怖いんですよぉ。」
ああ、言っちゃたよ。と和臣は思った。
「まあ、落ち着けよ、紅葉。昔からエロイーズは怖がりだっただろ。」
「そうよ。不本意だけど、私もしっかり思い出してんの。現世の姿のままの私達がこれだけハッキリ記憶があるのに、何で前世丸出しのこいつが何も覚えていないのよ。」
「そ、そんな事言われましても、私からすれば、前世とか言っている貴方達の心理状態が不可思議ですぅ。」
「あんたに馬鹿みたいに言われたくないわ。ほれ、見ろ。自分の姿をよ〜く見てみろ。」
紅葉はポケットからコンパクトを取り出し鏡を見せた。そこには銀髪であられもない姿の昴(=エロイーズ)が映っていた。
「いやぁぁぁ、見せないで下さいぃ。何でこんな目に会うのぉぉぉ。」
嘆き悲しむ昴を見て、勝ったとばかりに紅葉がニヤリと笑った。
「お前等、あんまり騒ぐな。ガキが起きるぞ。」
「ロリコンのあんたとしては幼女の動向は気になる訳か。」
「やたらめったら噛み付くなよ。狂犬か、お前は。」
そこでプリ様が「ううんっ。」とうるさそうに寝言を発したので、全員が自然と静かになった。
「そもそも、あんたの苗字、光極天って本名なの?」
「光極天家は代々続いた名門の家系だったのですが……。」
「そんな名門の家の子が何でプリ様のお世話係をしてるのさ。」
「それは、話せば長い事ながら……。」
「ていうかさ、プリ様って何? こいつ、どう見ても純和風のお子様なんだけど。どんな名前を、どう略したらプリ様になるの?」
話がコロコロ変わるな、と思いつつ、和臣は口を開いた。
「そいつが下げているポシェットを見ろよ。それ確かプリプリキューティとかいう女児アニメのキャラクターグッズだろ。」
「おお、これ今のプリキューか。私は三代目まで見ていたな。」
「大方、自分の事をプリプリキューティと呼べとか言って、この先結婚式とかでバラされて、赤面して頭を掻き毟りたくなるような黒歴史を生産中なんだよ、そのガキは。」
Q.E.Dとでも言いたげなドヤ顔で、和臣は話を締めくくった。
「違います。プリ様は……確かにプリプリキューティはお好きですが、そんな浅薄なお人ではありません。」
「じゃあ何の略なのさ?」
「プリ様は、知る人ぞ知る日本神道界を陰で支配する一族、神王院家の御息女で、御名前を……。」
「御名前を?」(紅葉&和臣)
「音符の符、瑠璃色の璃、大日本帝国海軍駆逐艦叢雲の叢、と書いて……。」
「書いて?」(紅葉&和臣)
「プリムラ様と……おっしゃいます……。」
一瞬、辺りを静寂が支配した。突っ込みたい事柄が途方もなく多いと、どこから突っ込んで良いのかわからなくなるという、あの現象が起こっていた。
「ええと……、まずは何で大日本帝国海軍駆逐艦叢雲の叢なのか聞いても良いですか?」
あまりの事態に紅葉も丁寧語になっていた。
「いや、そこから聞くのかよ?」
「でも、私としてはそこが一番引っ掛かって……。」
天叢雲剣の叢でも良いだろうと言うのが、紅葉の言い分であった。むしろ、神道界の支配者なら、そっちの方がふさわしいと主張した。それについて、私も聞いた話ですが……、と前置きしてから昴は話し始めた。
「名付けの際に、奥様は『プリちゃんとか呼べる可愛い名前が良い。』とおっしゃり、旦那様は『大日本帝国海軍駆逐艦叢雲の叢が入っていれば何でも良い。』とおっしゃったので、二人の意見を合体させて符璃叢様と……。」
「だから、それ質問の答えになってないじゃん。どうして海軍に拘るのか聞いているんでしょ。」
「そんなの私だって知りませんもん。旦那様がその軍艦に特殊な思い入れがあるんですよ、きっと。」
拘りがある、とすれば実艦ではなく、十中八九ゲームの方だな。和臣は直感でそう思ったが、旦那様の名誉の為に黙っておいた。「艦隊集めよう」略して「艦アツ」は符璃叢が生まれる前から流行っているオンラインゲームだ。軍艦の艦橋部が女の子の上半身になっているという、往年の合体プラモを思わせるシュールさが受け、各船にコアなファンが付いているのだ。
「しかしさあ、漢字の字面が見事にバラバラよね。三つの文字に何らの関係性も見出せないというのが逆に凄いわ。」
「良いじゃないですか。名前がその……ちょっとアレでも、可愛らしくて、お優しい方なんです。」
「可愛らしいねえ? さっきから見ていても、ずっと仏頂面だったけど……。」
紅葉が憎まれ口を叩いたちょうどその時、プリ様が目を覚まして上半身を起こした。昴の膝の上で、欠伸をしながら短い両腕をいっぱいに上げて伸びをし、その手でまだ眠たげに両目をクシクシと擦った。昴はその様子をとろけるような表情で眺めていたが、プリ様が手を下ろしフイと自分の方を見た途端に、我慢出来なくなったのかギュッと抱き締めた。
「ああ、寝起きも可愛らしい。ほら、こんなに可愛らしいでしょ? ああ、プリ様、プリ様ぁぁぁ。」
うわぁぁ、と二人は若干引いていた。昴は、頰ずりをしたり、顔中にキスをしたり、頰を両手で擦ったり、過剰とも言えるスキンシップを繰り返していた。何時もの事なのか、プリ様は一切抵抗せず、為すがままになっている。その内、ハァハァと息を切らしながらも落ち着いて来たのを見計らって「気は済んだか?」とばかりにプリ様が昴の頭を撫でてやると「ふにゃあぁぁ。」と鳴き、再びプリ様をギュッと抱いて果てた。
「どうです愛らしいでしょう?」
昴はプリ様を抱き締めたまま、紅葉と和臣の方に向き直った。確かに可愛いいかもしれないけど、別にあんたの手柄じゃないよね、と紅葉は心の中で毒づいた。
その時、紅葉は妙だなと感じた。自分達は現世での昴の姿を知らないが、鏡を見た彼女の反応からすると、いつもとはかなり掛け離れた容姿になっているのではないだろうか?
「あんた現世ではいくつなの?」
「十歳です。」
「じゅ......。」
予想外に若かったが、それならば十七、八にしか見えない今の姿は普段の昴とは別物の筈だ。
ならば、何故プリ様は昴を認識出来るのだ?
プリ様は昴も知っているし、エロイーズも知っているのではないか? とするとプリ様とは何者だ?
クレオか? と真っ先に思ったが、彼女にしてはどうも毒がない。あれだけのスキンシップをされれば「もう、エロちゃんったら、相変わらずお馬鹿さんねぇ。」くらいは思わず言ってしまう筈だ。
だが、そうすると、一番信じたくない人物が該当してしまう。しかし、まさか、でも......。
「こ、こいつさ......、トールなんじゃない?」
あまりにも恐ろしい現実を前に、紅葉は自分の声が震えているのがわかった。言われた和臣は「What's?」と、まるで知らない言語でいきなり話し掛けられた時みたいな反応を示している。それも無理はないだろう。紅葉にしたって、国語の問題を解いていたら、因数分解が出来てしまったみたいな違和感を感じているのだ。それもこれも導き出された結論が、人間の理解の範疇を大きく逸脱しているせいだ。
このちっこい生き物が、筋肉の塊、筋肉の山、動く筋肉要塞とまで言われたトールの成れの果て?
リアリストたれ、紅葉は自分に言い聞かせた。確認しなければいけない。それがどんな恐怖に彩られた事実だとしても。彼女は覚悟を決めた。
作中に出てくる「プリプリキューティ」というアニメはフィクションであり、実在の人物、団体等とは一切関係が有りません。
勝手に日曜日の朝に放送している女児向けアニメを連想してはいけません。
同じく「艦アツ」もフィクションです。こいつ叢雲ちゃん好きなんじゃないの、などと邪推するのは止めて下さい。