ひっくり返しては、ホヤ〜っと眺める。
交互に砂時計をひっくり返す響と兎笠を、皆は、微笑ましく眺めていた。あのヤンチャな操でさえ、その光景を、触れてはいけない、シャボン玉の様に、儚く美しいモノと認知し、暖かく見守っていた。
…………最初の十五分までは。
まさか、二人が、ひっくり返しては、ホヤ〜っと眺め、ひっくり返しては、ホヤ〜っと眺めるを、一時間四十五分も繰り返すとは、誰も、予想だにしなかったのだ。
「ね、ねえ。もう、そろそろ……やめない?」
堪り兼ねた晶が、遠慮しがちに話し掛けた。響と兎笠は、連動して動く機械人形みたいに、同時に晶の顔を眺め、また、ゆっくりと、視線を砂時計に戻し、どちらからともなく、ひっくり返した。
「ひぃぃぃ。ひっくりかえした。また、さんぷん。また、さんぷん。あのこたち、ぽや〜っと、ながめるのよ。あと、さんぷんも。」
まるで、その三分の間に、地球上の生物が一回滅び、再びアミノ酸から生命が生まれ、ナメクジ文明を経て、人類が登場し、邪馬台国の時代まで戻って来るかの様な、言い方である。
「おちつくの、あきらちゃん。さくらん して いゆの。」
「ぷ、ぷりちゃんも、みさおちゃんも、なんで へいき なのぉぉぉ。」
プリ様は、物凄い忍耐力で耐えていたが、操は、決して、平気ではなかった。身体中に充満する、ムズムズした感覚を持て余し、一人でスクワットをしていた。ただ、前のハギト美柱庵家襲撃事件の時もそうだったが、昴だけは、二人の超絶的時間感覚を共有出来るみたいで、ホエ〜っと、砂の落ちるのを見続けていた。
ちなみに、響の母親、恵美子さんは、担当医に呼ばれて行って、席を外していた。
「まったく、もおぉぉぉ。」
仕方ないわね、という感じで、口を尖らせながら、響を見る晶。その時、ふと、気付いた。
「あれ? ひびきちゃんって、はぎと……?!」
確かに、晶は、ハギト時代の響と、遊んだ事があった。しかし、七大天使になっている時は、よほど親しい人間でも、同一人物とは気付かないくらい、容姿が変わっているものなのだ。
鋭過ぎ晶に、慌てるプリ様。そして、何だか、コクコクと頷いている兎笠。
「ちちち、ちがうの。」
「だって、とりゅうちゃんも、うなずいてるよ?」
「ととと、とりゅうちゃん ってば、ねむくて、ふね こいでゆの。」
「そう?」
ふっー、誤魔化した。と、プリ様が額の汗を拭っていると……。
「あれぇ? プリ様ぁ。響ちゃんは、ハギトちゃんですよね?」
何も考えていない昴の発言に、背中から撃たれた。
「ほら、やっぱり……。」
「ちちち、ちがうって いってゆの。すばゆも、なに いってゆの?」
「えっ?! だって、響ちゃんは……。」
「す・ば・ゆ。」
ままま、まずい。良く分からないけど、プリ様怒ってる。下手をすると、一時間抱き付き禁止令が出るかも……。そう思い、恐慌状態に陥る昴。
「よ、良く考えたら、違ってましたあ。もう、晶ちゃん。響ちゃんが、ハギトちゃんの訳ないんですぅ。」
「そ、そうかな?」
突然の昴の翻意に、晶は、自信を失くした。今度こそ、はぐらかし切った。ほぉぉぉ〜っと、プリ様が溜息を吐いていると、病室のドアが、勢い良く、開けられた。
「おおっ! ぷり、あらとろん、べとーる。みんな そろってるじゃん。」
オフィエルであった。
「わたしは『あらとろん』じゃ、ありませーん。っていうか、なにしに きたの? あんた。」
いつもの様に、オフィエルに言い返すアラトロン……じゃなくて晶。操は、突然の乱入者に、目をパチクリさせていた。
「ぷりんちに いったら、るす だった、るーずりーふ。ぺねろーぺさんに ここ だって きいてきた かんじ?」
成る程な、とプリ様、晶、昴が納得していると……、オフィエルが、ベッド上の響を見た。嫌な予感が流星となって、頭にメテオストライクするプリ様。
「おおっ〜! はぎと、めざめた じゃん。ひとあんしん じゃん。よかった、よかった、よーかん たべた。」
ギンッ! 晶の両の眼が見開かれ、サーチライトの如き視線が、プリ様を直撃した。
「ぷ〜り〜ちゃ〜んっっっ。」
「…………。」
プリ様は、観念した。響がハギトである事は認めつつ、その他の事情については韜晦しよう。素早く、その後の対応を計算した。
「た、たしかに、ひびきちゃんは、はぎと なの。」
肯定するプリ様のお言葉に、少なからず驚く晶。
「えっ……。な? どういう こと? あんなに すがたも かわって。しゃべりかた とかも。なにが あったの?」
「ええっと……。ひびきちゃんは あたまの びょうきで……。」
プリ様、言い方……。身も蓋も無い言葉のチョイスに、昴は苦笑した。
「しんじられないけど、そうなんだ。ひびきちゃんは、はぎと……。」
「そして、おまえは あらとろんで、おまえは べとーる なりよ。」
「…………。おふぃえゆ、すこし だまゆの。」
計算をご破算にしてしまいかねない、オフィエルの半畳を、威圧で排除するプリ様。その時、会話に加わってなかった操が、オフィエルに向かって叫んだ。
「おれさまが べーこん だと?!」
誰も言ってない、そんな事。
プリ様のコメカミが、ピクピクっと波打ち、それを見た昴は『あっ〜。プリ様、苛ついているんですぅ。』と、普段、泰然自若としているプリ様の、レアな表情を堪能していた。
「みさおは べーこん じゃなくて、べとーゆ なの。そんな こと より……。」
「ちょちょちょ、ちょ〜と まって、ぷりちゃん。みさおちゃんが べとーる って みとめるの? じゃあ、わたしは あらとろん?」
ややや、やばい。超失言。一番、突っ込んで欲しくない方向からの、突っ込みが来た。動揺するプリ様。そして、この緊迫した雰囲気を、意にも介さずに、砂時計を、ひっくり返し続ける、兎笠と響。
「きくまでもなく あらとろん じゃーん。さんびゃくろくじゅうど、どっからみても あらとろん じゃーん。」
「なに? あきらが あらまきじゃけ だと?」
「あら」しか、合っていない。操の言葉に、苛々が募っていくプリ様である。
「おまえ おもしろい って、おもてさんどう。なかよく やれそう じゃーん。」
「うむ。おれは なかやまみさお だ。よろしくな。」
「わかった じゃん。べとーる。」
中山操って、名乗っているだろ。何故、ベトールと呼ぶ。プリ様は、オフィエルに近付くと、ガッチリ肩を組んだ。
「そっか、そっか。ちょっと、ろうかに でようか、おふぃえゆ。」
「な、なぜじゃん? というか、おまえ、ちょっと、かおが こわい かんじ?」
強制的に、オフィエルを廊下に引き摺り出したプリ様は、幼女とは思えない程、ドスの効いた声で凄んだ。
「あらとよんは あきらちゃん。べとーゆは みさお。そう よべないなら、こんご でぃすくの かんしょうは なしなの。」
「…………じゃん……。」
オフィエルは、最近、シリーズ七作目「笑って、笑顔で、プリプリキューティ」にハマっており、プリ様の家に遊びに来るたびに、ディスクを見せてもらっていた。あざといくらいに可愛いと評判の、プリプリジャンケンにメロメロなのだ。
一方、晶は、プリ様とオフィエルの出て行ったドアを、釈然としない顔で、見ていた。
「なんなの? ねえ、みさおちゃん。あらとろん とか、べとーる って、なんだと おもう?」
「かんがえすぎ だよ、あきら。あの おちょうしものが つけた あだな だろ。」
この単純脳筋女ぁぁぁ。晶は、難しい事は、何も考えてなさそうな操の顔を、恨めしげに睨んだ。
「でも、この びょうしつ なつかしいな。おれも、ここに、にゅういん してたんだよな。」
えっ?! と、何気無い操の一言に、晶は衝撃を受けた。彼女も、さっきから、自分が目覚めた病室は、此処だったんじゃなかったっけ? と、思っていたからだ。
『やっぱり、なにか あるんだ。』
晶が考えを巡らせていると、プリ様とオフィエルが、戻って来た。
「いいところに。おふぃえる、あらとろんって……。」
早速、口火を切る晶。しかし……。
「んっ? あきらさん? あらとろん? しらない じゃん。」
「んんっ? あきらちゃん、あらとろんって なに? なの。」
コイツら……。
すっとぼける、オフィエルとプリ様を前にして、益々、疑念を深める晶であった。
兎笠と響は、ひたすら、砂時計を、ひっくり返していた。