レヴィアタンであった記憶
プーリ様。プーリ様。つよつよ強いぞプーリ様。
どんな敵でも、一撃なんだ。
プーリ様。プーリ様。だけど、ホッペは柔らかなんだ。
スリスリ、スリスリ、していたい。
プーリ様。プーリ様。可愛い、可愛い、プーリ様。
どうして、そんなに、可愛いの?
突いちゃうぞ。撫でちゃうぞ。抱き締めちゃうぞ。プーリ様。
「すばゆ……。その うた なに? なの。」
「私が考案した、プリ様を讃える歌ですぅ。」
慈愛医科大学病院の、紅葉が入院している病室で、ベッドの横に、プリ様と並んで座り、林檎の皮を剥きながら、昴が、幸せそうに、歌っていたのだ。
「私の病室で、珍妙な歌を、歌っているんじゃないわよ。」
紅葉は、文句を言いながら、切り終わった林檎に、手を伸ばした。
「はい、プリ様。あーん。」
「私のじゃ、ないんかい。」
迷わず、プリ様に食べさせようとする昴に、思わず突っ込みを入れた。
「紅葉……モミンちゃん、欲しかったんですか?」
「普通、お見舞いとして置かれているフルーツを剥き始めたら、入院している人間に、食べさせるものでしょ。そして、何故『モミンちゃん』と、言い直した?」
そう言われながらも、昴は、プリ様のお口に、林檎を放り込んでいた。
「じゃあ、プリ様の次に、剥いてあげますぅ。モミンちゃん、一応、怪我人ですから。」
「だから、モミンちゃん呼ぶな。」
「あっ、でもぉ。食べさせるのは、婚約者の和臣さんが、して上げて下さい。」
いきなり、言われて、和臣が目を剥いた。
「婚約なんか、していない。」
「あら? でも、お母様と、お父様に、ご挨拶に行ったんでしょ?」
横から、リリスが、口を挟んだ。
「ご挨拶じゃない。紅葉……モミンちゃんを守れなかった、詫びを入れに行っただけだ。」
ちょっと、待って。今、この男も「モミンちゃん」って、言い直したよ?!
想像以上に「モミンちゃん」が定着している事実に、紅葉……モミンちゃんは、戦慄を覚えた。
「目を覚ましたら、ママとパパが、目を真っ赤に泣き腫らして、私の事見ていたの。アレは、ビビったわ。」
内心の動揺を隠しつつ、モミンちゃんは、軽口を叩いた。
「居なくなって、どれだけ娘を愛していたか、思い知った。と、言っていたぞ。」
「ふ、ふーん……。」
母の楓は、仕事終わりに、必ず見舞いに来ていた。そして、小さい子にするみたいに、頭を撫でたり、手を握ったりした。気恥ずかしいが、母なりの贖罪なのだろうと、モミンちゃんは、されるがままに、なっていた。
そんな会話が為されている間に、昴は、二個目の林檎を剥き終えて、載っけた紙皿とフォークを、和臣に渡した。軽く溜息を吐いて、フォークに刺した林檎を、モミンちゃんに差し出す和臣。
「あーん……。」
「あーん、じゃねえ。自分で、フォークを持って食え。」
「やだ。やだぁ。和臣が食べさせてくれなきゃ、嫌。」
甘えん坊モードになっている……。プリ様、リリスの二人は、モミンちゃんの新モード「甘えん坊」に、戦慄していた。昴は、プリ様に、頬擦りスリスリするのが忙しくて、見ていなかった。
結局、折れて、和臣は、林檎を食べさせてやっていた。シャクシャクと咀嚼しながら、ご満悦のモミンちゃん。暫く、そうしていたが、皆の視線に気が付いて「まだ、身体が痛いから、仕方ないよね。」と、言い訳した。
「じぶんで ひーりんぐ すればいいの。」
「自分の怪我は、何故か、治せないんだな。」
なんで、本人は、あのヒーリングの激痛を、味わわずに済むんだ? 非常に、理不尽な思いで、リリスと和臣は、モミンちゃんを見詰めていた。
「あらあら。そろそろ、行かないと……。」
リリスは、スマホの時計を見て、呟いた。
「どしたの?」
「今日は、翔綺のショッピングに、付き合う約束をしているの。」
プリ様の質問に、ちょっと照れた表情で、答えるリリス。ハギト戦後、姉妹の仲は上々みたいだ。
「プリ様ぁ。私達も、響ちゃんのお見舞いに行きましょうか?」
響も、同じ院内に入院していた。まだ、目覚めていない。
プリ様、昴、リリスの三人が出て行った後、病室は、二人切りになった。
「ねえ、キスする?」
「何故だ?」
唐突なモミンちゃんの提案に、椅子ごと後退る、和臣。
「うふふふ。生涯かけて添い遂げる、契約のキ・ス。」
罠だ。これは、罠なんだ。
目を瞑り、唇を突き出して来るモミンちゃん。ジリジリと、後退する和臣。膠着状態は、担当医が巡回に来るまで、続くのであった。
モミンちゃんの病室を出たプリ様は、昴の手を引いて、トテトテと、響の所へ、向かっていた。
響は、元々、この慈愛医科大学の小児病棟に入院していたのだが、連れ戻されて来た彼女の、精密検査をした主治医は、その驚きの検査結果に、目を見張った。
「病巣が消滅している……。」
来年の春までは、保たないだろう。そう、思われていた響だったが、完全な健康体に戻っていたのだ。行方不明だった、余命宣告を受けていた娘が、病気を快癒させて、戻って来た。響の両親は、喜びと戸惑いで、複雑な表情になっていた。
それが、プリ様のお陰である事は、関係者しか知らない。プリ様も、わざわざ、告げようとは、思わなかった。賞賛や感謝など要らない。響に未来を与えられた。ただ、その一事が、たまらなく嬉しかった。
「すばゆぅ。ひびきと おともだちに なれゆかな?」
「成れますよ。晶ちゃんや、操ちゃんとも、成れたじゃないですか。」
目覚めた響は、ファレグの記憶も、失ってしまっているだろう。寂しかったが、信じてもいた。心の奥底には、決して消えずに、残っている想いもあると……。
日数的に、まだ、目覚めないだろうとは思ったが、響の寝顔だけでも見ておこうと、彼女の病室に入るプリ様。そこには、すでに、先客が居た。
「おく! おふぃえゆ!」
二人が、ちょこんと、ベッド脇の椅子に、腰掛けていたのだ。
「ぷりぃぃぃ!」
プリ様の姿を見付けると、嬉しそうに駆け寄り、その手を握り締めるオフィエル。この子、プリ様大好きだよね。と、昴は、オフィエルを微笑ましく眺めたが、同時に、この友情が、恋愛感情に発展したら要注意だと、警戒心も疼かせていた。
「れいを いうわ、ぷりちゃん。はぎとちゃんを、すくってくれて ありがとう。」
「だれに たのまれなくても、ともだちは たすけゆの。」
敵意を隠さず、オクを睨むプリ様。オクは、その視線を、ソッと、受け流した。
「まあ、いいわ。これで りっかのいちようは よっつ。あと ふたつね。」
オクが言うと、オフィエルが、プリ様の目の前で、胸を張った。
「ざんねん だけど、むっつは そろわない じゃーん。わたしには かてないって、さいきょう。」
「くっくっくっ。おもしよいの。みょゆにゆの さびに してやゆの。」
バチバチバチッと、火花を散らす、プリ様とオフィエル。仲が良いんだか、悪いんだか、もう……。
「たたかいは ごじつね。かえるわよ、おふぃえるちゃん。」
「おまえ さきに かえれって かんじ? わたしは ぷりんちに あそびに いくじゃーん。」
帰還を促すオクに、答えるオフィエル。やれやれと、オクは、溜息を吐いた。
一方、その頃、翔綺は、幸せの絶頂であった。憧れていた、姉とのショッピング。二人で服を選んだり、小物を見たり、甘味を賞味したり……。夢の様であった。
「姉様、私、ちょっと、お手洗いに……。」
そう言って、ショッピングセンターのトイレで、用を足す翔綺。洗面所で手を洗い、ハンカチを出そうとして、バッグを弄っていたら、十五センチくらいの長さの、細長いカプセルが……。
『何かしら、これ?』
不思議に思って、眺めていたら、鏡に灰色の髪をした女が映った。
「あっ、貴女は……?」
「忘れたかい? 私は、お前の、ご主人様さ。」
鏡に向かって、叫んだ翔綺を、その女、トキは、後ろから羽交い締めにした。
「離しなさい。私は、貴方達を、許さないんだから。」
「くくくっ。奴隷のクセに、許さないとな?」
「奴隷なんかじゃ……ない。」
「奴隷さ。思い出させてやろう。」
トキに頭を掴まれると、一気に記憶が蘇って来た。レヴィアタンであった記憶まで……。
「あっ。ああっ。」
「ふっふっふっ。思い出したか?」
トキは、恥辱の記憶の復活に苦しむ翔綺を、包み込む様に、抱き締めた。
「あっ、あっ、止め……て。」
「ふふふっ。お前は、私のモノだ。身も、心もな。」
トキに抱き締められる、鏡に映る自分。その姿を見ながら、翔綺は、絶望の涙を零した。